312 石の棺
魔女に願い事と聞いた瞬間、ファイの瞳が好奇心に輝いた。
「ほう? それはどのような願いだ? 昔、とはいつのことになる?」
ずいずいと迫られて、困惑しつつもカルサが返答する。
「えっと、7年前だから昔ってほどじゃないか。姐さんの村に、クンツァイトの暗殺者が押しかけてきて――」
その全員が、父の友人である「巨人殺し」の手で返り討ちにあった。
「あいつ、ヤンを誘拐して、敵をおびき寄せる囮にしたらしいんだけど。その時、まだ子供だった姐さんが弟を助けようとして――」
ゼオに石を投げつけたり、誘拐犯と叫んだりした。
「村はずれの森にある水車小屋まで、あいつの後を追いかけてきたんだってさ」
……そんな記憶はない。や、でも。ゼオも確かそんなことを口走ってたような気が?
「姐さん、やっぱり覚えてない?」
私の反応を見て、カルサが確かめてくる。「ヤンも言ってた。『エル姉さんは全部忘れてる』って」
「…………」
「覚えてないなら、この先はやっぱり行かない方がいいと思う。さっきも言ったけど、ショック受けるはずだから」
「…………」
さっぱり意味がわからないカルサのセリフを、わからないなりに考えて。
つまり、この先に行けばわかるということか。ゼオが何を隠しているのか。家族が何を知っているのかも。
だったら、私のとるべき行動はひとつ。
「どいて」
ひたと少年の顔を見すえて、静かに告げる。
「姐さん……」
「ショックでも何でもいいから、どいて」
私が王都に出てきたのは、父の行方を知るため。そして、父が姿を消した時からずっと心の内にわだかまっている、モヤモヤした気持ちの正体を知るためなのだ。
ここで引き返すなんてありえない。何が待っていようが関係ない。
「……わかった」
カルサは意外にあっさり道をあけた。ゼオのように力づくでも止める、とかは言い出さなかった。
「そんなことしないよ。むしろ、あいつが姐さんのこと無理やり追い払おうとしたら、そっちを止めるつもりだった」
ちらりとゼオの方を見る。戦いは白熱している様子だ。あいかわらず私の目にはよく見えないが、硬いもの同士がぶつかり合う激しい音だけは聞こえてくる。
「では、参るのだな。小娘、鍵をよこせ。我が扉を開けてやろうぞ」
ファイは私たちの会話に興味しんしんって感じで、半ば強引にクリア姫から「鍵」を受け取ると、弾むような足取りで霊廟へと駆けていった。
私たちも後を追う。目指す場所はすぐそこに見えているのだ。邪魔する者が居なければ1分もかからなかった。
高さは2階建てくらい、大きさは普通の民家2軒分ほど。
正面入り口は観音開きの分厚い石の扉で、白い魔女の使い魔である狼とトカゲの絵が彫ってある。
かつて訪れた時と、何も変わらずに。「魔女の霊廟」は静かにそこにあった。
ついにここまで来たと息を飲む私とクリア姫の前で、ファイはためらいもなく扉に近づいていき、例の「鍵」を押し当てた。
さんざんもったいつけてたから、何か特別な手順があるのかと思いきや。
本当に、ただ押し当てただけ。
それだけで、扉は開いた。
まばゆい輝きを放つとか建物全体が鳴動するとか、それっぽい反応もなく。ズズ……と重たい音をたてて、石造りの扉が奥に向かってひらいていく。
いや、それだけですかと突っ込む余裕もなく、私は目の前の光景に目を奪われていた。
中は石室だった。
お屋敷のリビングとさほど変わらない広さの空間に、石の棺がひとつ、安置されている。
「あれが……」
白い魔女の遺体が眠っているとされる、実際には空っぽの棺。
「左様。そして悪しき魔法を封じるための秘宝だ」
具体的には、どうやって封じるのか。
説明する代わりに、ファイは「見ているがいい」と言って棺に近づいていくと、手にした鍵をふたの部分にふれさせた。
ゴゴッと鈍い音がする。
大の男が数人がかりでも動かすのに苦労しそうな石のふたが、ゆっくりゆっくりズレていく。
固唾を呑んで見守っていたら、ふいに私の視界が真っ暗になった。
「やっぱり、見ない方がいいよ」
カルサが背後から目をふさいできたのだ。
放せと言おうとしたら、クリア姫があっと声を上げた。
まるで悲鳴みたいな声だった。とっさにカルサの手を振り払い――。
そして私もまた、悲鳴を上げそうになった。
石の棺の中には、人が眠っていたのだ。
真っ白なローブを着て、古風な意匠が施された短剣を胸に抱いて。
魔女ではない。
男だ。
茶髪で30代くらいの、ごく普通の男。
その顔は蝋人形のように白く、血の気がない。呼吸している様子もない。
空っぽのはずの棺の中には、人が居た。
つい昨日、埋葬されたばかりのような遺体が、静かに横たわっていたのである。