30 新米メイド、王宮へ行く4
「この庭園は、王宮のほぼ中央にある」
驚いて立ち尽くす私に、カイヤ殿下が言った。「俺の曽祖父殿が、愛する后のために整えたという庭だ。今はだいぶ荒れているがな」
「…………」
私はゆっくりと周囲に視線を巡らせた。
初夏の淡い新緑に彩られた木々。チラチラと揺れる木漏れ日。
下草が野放図にのびていて、確かに手入れが行き届いているとは言い難いけど。
そのせいで、かえって本物の森の中に居るような感じがするのだろう。
この雰囲気、私は嫌いじゃない。むしろ気に入った。
お屋敷までは、地面をならしただけの遊歩道が続いていた。
途中に小川があって、小さな木製の橋がかけられている。
川の水は澄んでいた。キレイな白い石が川底に敷き詰められているのが見える。
気持ちのよい風が吹いていた。なんか、ピクニックにでも来たみたいな気分だ。雇い主が横を歩いていなければ、鼻歌でも歌っていたかもしれない。
小川を越え、可愛らしいピンクの花が咲く小さな花畑を越えて。
間もなく、姫君の暮らす建物が見えてきた。
切妻屋根の、こじんまりしたお屋敷だった。
てゆーか、これ。「お屋敷」って呼んでもいいんだろうか?
造りは立派だし、玄関ポーチには色とりどりの花が飾られていたりもするけど、本当にこじんまりしている。私の実家――家族6人で暮らしていた母屋と居酒屋の店舗を合わせた面積よりも、ほんの少し大きい程度だ。
「一緒に住んでるのは、メイドと護衛の人だけなんですか?」
「そうだ」
使用人が2人だけっていうのも、王女様にしては随分質素だよね。
「ちなみに、護衛の人ってどんな方ですか?」
やっぱり騎士とか、貴族だったりするのかな。
いわば同僚になるわけで、どんな人なのか興味があったのに、殿下は「会えばわかるだろう」とそっけない。
「女性ですか?」
12歳の姫君とメイドとひとつ屋根の下に住んでいるなら当然そうだろう、という私の予想を裏切り、殿下は「違う」と首を横に振った。
じゃあ、男? 知らない男の人と住み込みで働くことになるとは予想外……。
「そもそも、人間ではない」
「いや、殿下。ちょっと待って」
どうかしたかとこちらを振り向く殿下。冗談、ではないようだ。真顔だ。目が笑っていない。
「人間じゃないなら、いったい何なんですか?」
「それも、会ってみればわかる」
「いやいやいや、いや」
私はしつこいほど「いや」を重ねた。ついでに首も振る。
「おかしいです、殿下。言ってることとか、色々」
「そうか」
いや、「そうか」じゃなくてね。
「説明が難しいので、会ってみればわかると思ったのだが……」
「難しくても、会う前に説明してください。でないと、こっちにも心の準備ってものがあります」
「…………」
殿下は無言になった。……もしかして、怒らせちゃった?
その心配は杞憂で、殿下は単に説明の仕方を考えていただけだったらしい。
「おまえは『魔女』というものの存在を信じるか」
「はい?」
「『魔女』だ。昔話や言い伝えに出てくる魔法使い。この国の守り神であり、一方では災厄の象徴とも呼ばれる、あの魔女だ」
「そんな丁寧に説明していただかなくても知ってますけど……。魔女がどうかしたんですか?」
今の会話の流れとどうつながるのかと問えば、殿下の答えはこうだった。「妹の護衛は、昔、魔女に会ったことがあるらしい」
「え……」
「魔女の呪いによって姿を変えられた、と聞いた」
殿下は何かを探すようにお屋敷の周囲を見回していたが、やがて背の低いライラックの木陰に目を留めた。
「ダンビュラ、そこに居るのか?」
何かが、動いた。
のそりと立ち上がる、四つ足の生き物。
とがった耳。長い尾。爛々と輝く瞳。特徴的なしましまの毛並みと、どっしりした四肢。
「……虎?」
私は馬鹿みたいに口をぽかんと開けた。




