308 リシア・クォーツ
これまで聞いてきた噂によれば。
王妃様はカイヤ殿下と瓜二つだという。
しかし今、目の前に居るその人は、殿下と同じ黒髪黒目、殿下と同レベルの美貌ではあるものの、瓜二つと呼ぶには何やら違和感があった。
私が知っているあの人は、こんな顔じゃない。
正確には、こんな表情はしない。
何て言えばいいのかな。冷酷? 冷淡? それとも刺々しい? どれも間違ってはいないようで微妙に違う気がする。
――責めるような。
そう、責めるような表情だ。それをあろうことか幼い娘に向けて、王妃様は言った。
「そなた、この離宮に何を連れてきたのです」
「……お久しぶりでございます、母様。突然の訪問、どうかお許しください」
明らかに動揺しながらも、クリア姫が口上を述べる。
「あいさつなど必要ありません。それよりも――」
王妃様の瞳が、夜の闇のような漆黒の瞳が、わずかに細められた。
「森に、気配が。異様な気配がします。これは人ではない。強い魔力を持った生き物の気配です」
私は驚いた。
気配って、そんなのがわかるの? この離宮に居ながらにして?
「答えなさい。この離宮に、何を連れてきたのか」
静かに――しかし拒むことを許さない厳しい声音で命じられ、
「竜です」
一言で、率直に。クリア姫は返答した。
「悪しきものではありません。カイヤ兄様がご友人から借り受けたのです。一刻を争う事態であったゆえ、王都より竜で参りました。お心を騒がせてしまい、まことに申し訳ありません」
王都から竜で来た。
そんな突拍子もない話を聞かされて、王妃様がどんな反応をするのか。私は注目した。
「そうですか」
反応は、何もなかった。驚きに目を見張ることも、何を馬鹿なと疑うこともなく、それまでと全く同じ口調で、
「けれども、この異様な気配はそれだけではない。その竜とやらのそばに、何か居ますね」
私はぞっとした。
……ただ見下ろされているだけなのに、なんでこんなに怖いんだろう。魔法が使えるという先入観のせい? まるで心の内側まで見透かされているみたいだ。
「生者の気配ではない。死者でもない。この感覚には覚えがあります」
って、まさか。
ファイの存在まで察知している?
だとしたらまずい。あの男の正体は、先代国王アダムス・クォーツ。王妃様にとっては家族の仇だ。そんな人物と一緒に来たなんて知られたら――。
「もう1度だけ尋ねましょう。この母の離宮に、何を連れてきたのか」
クリア姫も青ざめている。王妃様の顔から目を離せぬまま、かすかに震えている。
「別に、あんたには関係ねえだろ」
口をひらいたのは、怖いもの知らずのダンビュラだった。
「俺たちゃ急いでるんだ。あんたが見捨てた王都で、色々と面倒なことが起きてるもんでね」
聞きたいか? と王妃様を見る。
「聞きたかねえだろ? 興味もねえだろ? だったら、放っといてくれや」
「……私はクリスタリアに尋ねているのです」
「そうかい。俺はその嬢ちゃんの代わりに答えてる」
「…………」
およそ10数秒。王妃様は無言で私たちを見下ろしていた。やがてふっと息を吐き出すと、
「まともに答える気はないということですね。なら結構」
それだけ言って、静かに踵を返す。久しぶりに顔を見たはずの娘に息災でしたかの一言もなく、立ち去っていこうとする。
「母様!」
突然、クリア姫が叫んだ。
「どうか、お知恵を貸してください! 兄様が、カイヤ兄様のお命が狙われているのです!」
さっきは無駄だとあきらめていたはずのことを、必死の表情で訴えるクリア姫。
その横顔を見て、私は察した。
きっと我慢していたんだ。本当は言いたかったのだ。
王妃様に――いや、お母様に。
大好きな兄上様を助けてほしいと。
「私には何もできないのです。何の知恵も力もなくて、兄様のお役に立つことができない……。どうか、母様……」
王妃様が足を止め、振り向いた。
「また、それですか」
その絶世の美貌に浮かぶのは、傍目にもわかるうんざりした表情だった。
「7年前、カイヤも同じことを言っていましたよ。兄上の命が危うい、どうか助けてくれと」
甥である王子の事故死をきっかけに騎士団長が暴走し、ハウライト殿下や宰相閣下が幽閉されてしまった時のことだろう。
カイヤ殿下は当時、この離宮で暮らしていた。
まだ15歳。今のクリア姫ほど幼くはないが、それでも子供だった頃。
王都に行けば自分も危険な目にあうとわかっていたはずなのに、家族の身を案じて、離宮を飛び出してしまったと聞いている。
「そなたたちはいったい、この母を何だと思っているのです?」
王妃様の声は冷たく、迷惑そうだった。
「日頃は寄りつかないのに、何か困ったことが起きた時だけ頼ってくる。結局のところ、そなたたちが関心を持っているのは私ではなく、私が持つ魔女の力だけなのでしょう?」
身勝手な人たち。そうつぶやくのを聞いて。さっとクリア姫の顔から血の気が引くのを見て。
ダンビュラが、メイド長さんが何か言いかける。
しかしそれより早く、私はぶちキレた。
「はあああ!!??」
ドスの利いた叫び声が、磨き上げられた廊下にわんわんと反響した。「いや、そんな言い方ってないんじゃないでしょうか!?」
ずっと自分の部屋に引きこもって、子供たちと関わりを持とうとしなかったのは誰だ。親がそんな態度なら、子供だってそりゃ寄りつかなくなるわ。
だいたい、こんな幼い娘が母親に助けを求めていったい何が悪い?
クリア姫も、それに7年前のカイヤ殿下も。
守りたかったのは自分自身じゃない。大切な家族を助けようとしただけだ。それが非難されるようなことなのか。
自分は安全な離宮に居て、危険な王都で奔走する子供たちを身勝手よばわり。親の責任以前に、人として恥を知れ。
「エル、エル、落ち着くのだ」
激情のままに言葉をつらねる私を、クリア姫が止めようとする。
「すまない、すまない。嫌な思いをさせて。頼むから、そんなに怒らないでくれ――」
「落ち着きな。メイドがお仕えする姫君を困らせるものじゃないよ」
メイド長さんもなだめてくる。あきれたような声とは裏腹に、おもしろそうに瞳を輝かせながら。
煮えたぎる湯に冷水をそそいだかの如く、私の頭が冷えた。
「すみません……」
別に謝るこたぁねえよとダンビュラ。
「全部、本当のことだったからな」
そう言って、ちらりと頭上を仰ぎ見る。
彼の視線の動きに合わせて、私も見た。
2階の廊下。たった今まで、王妃様が立っていたはずの場所を。
そこには誰も居なかった。
いつの間に移動したのか。王妃様は既に立ち去っていた。無礼どころじゃない私の発言に何ら反応せず、姿を消してしまったのだ。