306 メイド長
離宮のそばには、小さな村がある。
村人を驚かせてはいけないというクリア姫の配慮により、私たちは人目につかない森の中に竜を下ろし、そこから徒歩で離宮へと向かうことになった。
「我はリシアには会わぬぞ。待っていてやるから、鍵だけ借りてこい」
ファイは偉そうにふんぞり返っている。
この人と王妃様の間には浅からぬ因縁がある。一緒に連れて行こうだなんて、誰も思ってない。
「では、私もここに残ります」
ジェーンがファイの見張り役を買って出る。「この男が逃げようとしたら――」
「斬らなくていいですから。普通に捕まえておいてくださいね」
「……承知しました」
2人を残し、クリア姫と私、護衛のダンビュラで離宮を目指す。
森は人の手が入っている様子で、下生えは切り払われ、頭上からは木漏れ日が差していた。
道がついているわけではないので多少歩きにくいが、迷う心配はない。木々の向こうに、大きな石造りの建物が既に見えていたからだ。
「離宮って、本当に宮殿みたいな建物なんですね」
全体的に緑っぽく見えるのは、蔦でも絡んでいるのかな?
高い塔もあるし、何だかおとぎ話にでも出てきそうな雰囲気のある建物だと思った。
「私もくわしくは知らないが、大昔の先祖が建てたらしいのだ」
とクリア姫。
「懐かしい。皆は元気にしているだろうか――」
私はクリア姫の生い立ちに関する情報を頭の中に引っ張り出した。
この離宮で生まれ、8歳になるまで過ごした。王妃様は自室にこもりがちで、代わりにメイドたちが彼女を可愛がった。
特にメイド長さんは貴族生まれの才女で、カイヤ殿下の初恋の人かもしれなくて。
人嫌いの王妃様には会うのが難しいという話だったけど、メイド長さんには多分会えるよね。楽しみだと私が言ったら、
「いや、彼女はもう、ここには――」
クリア姫が答えようとした時、護衛のダンビュラがぎゃっと声を上げた。
同時に、ぼすん、と何かが落ちる音。
すばやくそちらを振り向くと、ダンビュラはつぶれた虎まんじゅうのようになっており、見知らぬ老婆がその背に乗っかっていた。
真っ白な長い髪を三つ編みにして、地味だが仕立ての良い侍女服を着て。年齢は70歳くらいだと思う。小柄で丸い体つき。両手に抱えたかごにはキノコが山盛りだ。
真夏にキノコ? と首をひねる私。
や、疑問に思うべきところは他にもあったけどね。
そのキノコっていうのが、真っ赤なかさに黄色の斑点が並んだやたら毒々しいやつで、ぶっちゃけ毒キノコにしか見えなかったのだ。
「姫様ぁ!」
老婆が叫ぶ。耳が痛くなるようなキンキン声で。
「ああ、ああ、ああ! 私の可愛いクリア姫!」
勢いよくダンビュラの上から飛び起きて――哀れ、ダンビュラは虎じまのクッションのように地面を弾んでいった――そのままクリア姫の体にしがみつく。
「お会いしとうございました! 成長されて……! ますますお美しくなられて……! ばあやは誇らしゅうございます!」
「えーと、こちらは……?」
「離宮のメイド長だ」
ぎゅうぎゅう抱きしめられながらも落ち着いた声で、私の疑問に答えるクリア姫。
「この方が……」
カイヤ殿下、随分と年上好みなんだなあ。見た目や雰囲気も、想像していた人とはだいぶ違う。
「エルが思っている人ではない。そのメイド長は随分前に仕事を辞めてしまったから……」
胸の病を患ってしまったために職を辞し、今は故郷で療養しているのだそうだ。
「彼女は隣村の生まれで、私が生まれる前から離宮で働いてくれている。長年、助産師として勤めた経験もあり、他でもない、私のことを取り上げてくれた人だ」
「姫様にお乳を差し上げたのは、わたくしの実の娘でございます! 姫様は我が孫も同然!」
ようやくクリア姫を放し、胸を張る老婆。
「赤子などふれたこともなかった兄上様に、ミルクのあげ方とおしめの替え方、夜泣きした時のあやし方をお教えしたのもわたくしでございます!」
王族の殿下に何を教えてるんだ……。まあ、きっと本人がやりたいって言ったんだろうけどね。
「そういえば、ご一緒ではないのですか?」
「殿下は来てねえよ。見ればわかるだろ」
ようやく立ち直ったダンビュラが話に参加する。下敷きになった恨みか、非難がましい目を老婆に向けて、
「あんた、なんで木の上から降ってきたんだ?」
既に見知った間柄であるらしく、老婆はしゃべる虎を見ても顔色ひとつ変えなかった。
「キノコを採っておったんじゃい。毎日暑いからね。王妃様に滋養のつく食事を作って差し上げねばいかん」
口調も違えば態度も違う。老婆がダンビュラに向けるまなざしは、うさんくさいチンピラを見る時のそれだった。
「そのキノコ、食べられるものなんですか?」
見た目、いかにも毒キノコっぽいけど。
「うむ。この辺りの森でしか採れん珍しいキノコじゃ。味も良いし薬にもなる。それは貴重なものだよ」
「だまされるなよ、あんた。その婆さん、地元じゃ『離宮の悪しき魔女』とか呼ばれてるからな」
「離宮の悪しき魔女……」
私はついしげしげと老婆を見てしまった。
言っては悪いが、似合うな。真っ白な髪と彫りの深い顔立ち、抱えているのは毒々しいキノコの山。これで着ているものが黒ければ……。
「イーッヒッヒッヒ!!」
唐突に、老婆が歯をむき出して奇声を上げたので、私は腰を抜かしそうになった。
「今のが、ばあやの一発芸、『離宮の悪しき魔女』でございます」
優雅に一礼した後で私に向き直り、
「それで、お嬢様はどちらのお嬢様でございましょうか?」
「あ、すみません。エル・ジェイドと申します……」
慌てて名乗り、王都でクリア姫にメイドとして仕えていること、お嬢様ではなく庶民の娘であることを説明する。
老婆は優雅な立ち居振る舞いから一転、蓮っ葉な仕草で肩をすくめた。
「わざわざ言われんでも、一目でわかったよ。貴族のお嬢様方とはまるで違うってねえ」
「……そうですか」
「あんた、この虎男と一緒に働いてるのかい? 見た目が獣だからって、だまされるんじゃないよ。こいつは男だよ、男。それも下品でタチの悪い男さ」
「ばばあ……」
「知ってます。ちゃんと気をつけてるから、だいじょうぶです」
「あんた……」
クリア姫が小さく咳払いした。
「すまぬ、メイド長。私たちは火急の用件で来たのだ。至急、母様に取り次いでもらいたい」
私は少なからず恥ずかしくなった。1番年下の姫様が1番ちゃんとしている……。
老婆はそんなクリア姫を誇らしげに見て、
「お任せくださいませ!」
と胸を叩いた。




