305 王妃の過去2
その女性は、王妃様の幼なじみだった。
王家の分家筋の生まれ。王妃様の教育係を任されていた貴婦人の長女。王妃様とは同い年。
明るくおおらかな性格で、引っ込み思案な王妃様が気軽に話せる数少ない友人の1人だった。
多分、家族同然と言ってもいいくらい特別な存在だったんだろう。
だからこそ、本来は秘密にしておかなければいけなかった「魔女の力」についても、彼女にだけは打ち明けていた。
「そして、結果的に裏切られたわけだな」
デリカシーのカケラもないファイの発言に、クリア姫が顔をしかめた。
「それは違う。母様は彼女を助けようとして……」
「恩を仇で返された」
「そ、そうではなく……」
「何だよ。何があったんだ?」
ダンビュラもその話は知らないらしく、じれったそうに先をうながす。
「彼女の婚約者が大ケガをしたのだ。狩りの最中に獣に襲われて――」
一命は取り留めたものの、大きな傷痕が残ってしまった。
しかも顔に。
男だから別にいいだろう、という話ではない。社交も仕事の一環である貴族にとって、顔の傷というのは結構なハンデになりうる。
狩りで負った傷というのも不名誉だった。これが戦で負った傷というなら、名誉の負傷と誇ることもできたのだが。
「その婚約者は、歴史の浅い中級貴族の出だった」
悪いことに、さほど身分が高くなかったのだ。
一方の王妃様の親友は、王家の分家筋の生まれ。血筋で言うなら、相手の家よりも格上である。
この際、婚約を解消した方がいいと父親が言い出したのも、貴族としてはまあ、ありふれたものの考え方だった。
問題は、当の娘が婚約者にベタ惚れだったこと。
婚約解消なんてしたくない。あの人と結婚したい。
傷痕さえなければ、何も問題はないのに――。
「それで、王妃様に助けを求めちゃいましたか……」
「……そうだ」
「何とも身勝手な話だな。正気を疑う」
「い、いや、彼女はおそらく、恋人を救いたい一心だったのだ。母様には申し訳ない、必ず償いをするとも言ったらしい」
必死で抗弁するクリア姫。
母親の親友をかばっているのか、愛する人と引き離されたくないという想いに共感しているのか。
できれば味方して差し上げたいところだが……。私も、気持ちとしてはファイに同感だった。
ファイが他人様のことを勝手とか言える立場か、というのは置くとしてね?
王妃様が親友に打ち明けたのは、友情と信頼からだよね。その彼女なら魔女の力のことを知っても、都合良く利用したりはしないだろうという。
それって多分、裏切ってはいけないものだと思う。
どうしても婚約者と一緒になりたいなら駆け落ちするとかさ……。まあ、連れ戻されて終わりかもしれないけど、王妃様にすがるのが唯一の解決法ではないわけだし。
「結局、助けてやったのか?」
ダンビュラの問いに、こっくりうなずくクリア姫。
王妃様の魔法で婚約者の傷痕は消え、めでたしめでたし。
……に、なるわけもなく。
「シャムロックはその2人のことを斬ろうとしたらしいな?」
ファイの発言にぎょっとする。
「当然であろうよ。妹の体に傷をつけられたのだからな」
「え……」
それは、つまり……。王妃様の支払った代償というのは……。
「その婚約者とやらの顔の傷が、そっくりそのまま――」
「……!」
「なぜか、リシアの背中に現れたらしい」
私はほんの少し脱力した。
背中ね。顔じゃないんだ。……や、でも、それだって問題か。
「問題も問題、大問題だ。代償のことを知りながら魔女の力を求め、国王の孫姫に消えない傷痕をつけたわけだからな」
怒ったのはシャムロック王子だけではなかった。父親の王太子も怒り心頭で、彼女の一族を罰するよう、アレクサンダー王に強く求めた。
とはいえ、王妃様の力のことは秘密にされている。適当な理由をつけて処罰するにしても、一族全員、というのはさすがに無理がある。
結局は王妃様自身の嘆願もあって、この件は穏便に処理されることになった。
一族の罪は不問。親友とその婚約者だけが国外追放。
ちゃんと暮らせる場所も世話してくれる人も用意して、ほとぼりが冷めたら王都に戻れるようにすると約束して。早い話が、かなりの恩情措置である。
実際には2人が戻ってくることはなかったそうだが、皮肉にもそのおかげで、彼らは数年後に起きた政変の惨劇を免れることができた。
今も隣国でひっそりと、しかし穏やかに生を紡いでいるらしい。
一方の王妃様はといえば、唯一無二の友を失い、心と体に消えない傷を負った。
そして、もう1人。この出来事に激しく動揺した人物が居た。
兄のシャムロック王子である。魔女の力を持って生まれた妹のことを誰より案じ、気にかけていたのが彼だったから。
幼い日、自分の浅はかな行動が妹を傷つけたこと。それが王子のトラウマになっていたから。
なぜ言いつけを破り魔法を使ったのかと、彼は王妃様を責めた。
ごめんなさいと泣きながら謝る妹をけして許そうとせず、ついには護身用の短剣を抜いて――。
「って、ちょっとぉ!?」
話の成り行きに、思わず叫んでしまう私。
クリア姫が慌てて、「母様に剣を向けたわけではないのだ」と説明する。
彼は抜いた剣を自分の首筋にあてて、次に妹が魔法を使った時には、この首を断つと言い放ったのだそうだ。
「そんな……」
気持ちはわからなくもないけど、怖……。
「嬢ちゃんの家系には、重度のシスコンとブラコン以外居ねえのか」
不敬極まりないダンビュラの発言に、クリア姫は心なしか憮然とした顔で、
「きっと、それほどまでに思いつめていらっしゃったのだ。茶化すのはいけない」
と、会ったことがない伯父の行動をフォローした。
しかしながら、この出来事は――自分が生きているうちはけっして魔法を使うなという兄の戒めは、王妃様を強く縛った。
以来、王妃様は魔法を使わなくなった。……より正確にいえば、使えなくなった。
偉大なアレクサンダー王が亡くなり、政変が起きて、王太子が暗殺されても。
兄たちと共に捕らえられ、お城の北塔に閉じ込められても。
そこで、自分の一族や仕えた人々が無惨に殺されるのを見ても。
数年の幽閉生活を経て、シャムロック王子が命を落とすまで。
兄王子の言葉は、呪いのように強く、王妃様を縛り続けたのだ。
……何と言うか、想像をはるかに超えて重たい話だった。
もしも王妃様が自由に魔法を使えたら、政変の悲劇は避けられただろうか。
それが無理でも、家族の命を守るくらいはできたかもしれない。
シャムロック王子が間違っていたのか? トラウマのせいで愚かな選択をしたのか?
私にはわからない。
ただ、「本当のことを知ってほしい」というクリア姫のお気持ちは理解できた。
王妃様はお気の毒な方なのだ。それは間違いない。
「あんた、単純だな」
ダンビュラがあきれ顔をする。「人の話に影響されすぎだろ。嬢ちゃんの母親になんて会ったこともねえのに」
「……悪かったですね、単純で」
ダンビュラは不愉快そうだった。
「何度も言うが、俺は好きじゃねえ」
どんな事情があっても、それは変わらないときっぱり告げる。
彼は私と違って、王妃様のことを直に知っている。王妃様がクリア姫やカイヤ殿下に冷たく接するところも多分見たんだろう。
だとしたらそう感じるのも無理ないのかな、と思ってしまう私は、確かに彼の言う通り、人の話に左右されまくりだ。
本当に単純だなあと、自分でもあきれてしまう。
「私はエルのそういうところが好きなのだ」
「姫様……」
「そういうところってつまり、単純なところがって意味か?」
「そ、そうではなくて。人の気持ちに寄り添えるのは、エルの優しさだと……」
「……お気遣い、感謝致します」
最後は微妙な空気になってしまったが、おかげで少し気が楽になった。
これから、離宮に行くのだ。
殿下とクリア姫のお母様。偉大な先々代国王の孫姫。絶世の美女で、生まれつき魔女の力を持っているという王妃様が住まう離宮に。
本音をいえば、ちょっとだけ怖くもあったから……。