304 王妃の過去1
「ええっと……、よくわからなかったのですが……」
申し訳ないとは思いつつ、聞き返す私。
願うのが誰であっても、何かを失うのは王妃様??
「おそらく、問題となるのは共感力だ」
言いにくそうにしているクリア姫から、ファイが話を引き取った。私の顔を指差して、
「たとえば、おぬしに魔女の力があったとする。目の前にはそこそこ親しい人間が居て、深手を負って苦しんでいる。どうか助けてくれ、とおぬしに求めてくる」
治してやりたいとは思わないかと聞かれて、「まあ、思いますね」と返答する私。
別に親しい相手じゃなくても、助ける力があるなら助けたいと思うだろう。
「そうか、変わっておるな」
いや、変わってるのはあなたの方だから。
目の前で深手を負って苦しんでるんだよね? 楽にできるものならしてあげたいじゃないか。痛いのって嫌だし。つらいし。
「つまり、それが問題だ」
それって何? 何が問題?
「治したいと思った時点で、それは助けを求めた側ではなく、助ける側の願いになってしまうということだ」
「?」
「まあ、我の推測だがな。実際にはもっと別の理由があるのかもしれん。とにかくリシアの場合はそうだった」
「???」
ファイの言っていることがさっぱり飲み込めない私に、クリア姫が具体的な話をしてくれた。
「これは昔、叔母様に聞いたのだが――」
王妃様と、その妹である宰相閣下の奥方様が、まだほんの子供だった頃のこと。
幼い姉の目の前で、小さな妹がケガをした。
すってんころり、と転んだのだ。そして真っ白な膝を派手にすりむいてしまった。
大泣きする妹を見て、王妃様は治してあげたいと思った。妹の膝を優しくなでて――。
すると妹のケガはたちどころに消え、代わりに王妃様のてのひらが大きくすりむけていた。
この不思議な出来事を、兄2人も見ていた。すぐに両親に話し、王妃様が生まれつき魔法を使えることが明らかになった。
「魔女の力を持つ者が王家に生まれた場合、その扱いはさまざまだ」
クリア姫の話に、ファイが説明を付け加える。
「王位継承順位の低い者であった場合、我こそは白い魔女に選ばれたりと主張して王位を奪いに行くこともあったようだが」
王妃様の場合は、現国王の孫で、第一王位継承者である王太子の長女という立場だった。無理に地位を上げる必要なんてどこにもない。
「おじい様とおばあ様は、母様の力を秘密にしておくべきだと考えた」
余計な混乱を招かないためでもあったが、それ以上に。
可愛い娘の人生を守るためだった。大きすぎる力は他者の注目を集め、悪しき欲望を呼び寄せる。「魔女の力」なんて娘の幸せのためには役立たない、むしろ負担になるだけだと考えたのだ。
「だからお2人は、母様に言って聞かせた。このことは誰にも言ってはいけない、人前で魔法を使ってもいけないと……」
「賢明な判断だ」
ファイが偉そうにうなずいて見せる。「……と、言いたいところだが、足りぬ。その時点でアレクサンダー王に相談しておれば良かったのだがな」
父であり、当時の国王だったアレクサンダーに、王太子が報告しなかった理由はわからない。王妃様がまだ幼かったこともあり、少し様子を見てから打ち明けようというつもりだったのかもしれない。
数年後、悲しい出来事が起きた。
8月のことだった。王都では盛大な祭がひらかれていた。そう。青藍祭である。
国の内外から大勢の見物人が押し寄せ、街中がにぎわい、浮かれ騒ぐ。その熱気に心奪われたのは、王妃様のすぐ上の兄君、シャムロック王子だった。
王妃様は5人きょうだいの中で、この兄君と特に親しかった。おとなしく引っ込み思案な妹を、社交的で行動的な兄が引っ張り回す、という図式だったそうだが、性別や性格の違いに関わらず、2人は仲が良かった。
お祭期間中の王都は治安が悪い。そうでなくても、王族の子供が街に出るなんて普通はありえない。
しかし冒険好きのシャムロック王子は、このありえないことに挑戦した。
幼い妹を連れて見張りの目をかいくぐり、城壁を越え。
見事、城を抜け出すことに成功し、子供2人でお祭を大いに楽しんだ。
美しい王都の街並みを眺め、行き交う人々を眺め、多種多様な売り物が並ぶ屋台を冷やかして。
それは幼い王妃様にとって、夢のようにすばらしい時間だった。
途中で兄が買ってくれた青いソーダ味のアイスは、それまで王宮で口にしたどんな甘味よりもおいしくて。
「素敵な思い出ですよね……?」
聞いていた私はそう思った。
王族の子供2人が抜け出したのだ。お城は大騒ぎになっただろうし、危ないのは確かだけどさ。
お祭が見たいって気持ちはわかるし、子供のしたことだし。
少なくとも、「悲しい出来事」ではないと思う。
「私もそう思う」
とクリア姫。「母様にとっては、本当に特別な……、思い出だったのだろうと……」
素敵な思い出。幼い子供2人にとっては、あまりに楽しすぎた出来事。
だからこそ、翌年の祭でも同じように街に出たいと思ってしまった2人を責めるのは酷かもしれない。
当然ながら2度目とあって、両親は絶対にそんなことをしてはいけないと釘を刺したし、警備も厳重にされた。
普通の方法で外に出ることは難しかったのだ。
……普通の方法では。
「まさか、それで魔法を?」
使ってしまったのだ。見張りの目をくらませるために。
再び街に出た兄と妹は、昨年と同じように祭を楽しみ、また夢のようなひとときを過ごした。
あの青いアイスが屋台で売っているのを見つけた王妃様は、買ってほしいと兄にねだった。兄王子は当然、その願いをかなえてやった。
1年ぶりに口にしたアイスは冷たく甘く、あの時と同じ味がして――。
「それなのに、少しもおいしくなかったのだそうだ」
え? と私は聞き返す。
「おいしくなかったのだ。それにどうしてか、嬉しいとも思えなかったらしい」
冷たいアイスをかじるたび、それが喉を通るたび。
1年前、確かに幸福だと感じた、かけがえのない大切な思い出が、急速に色褪せて。
深い悲しみが、王妃様の心を満たした。
声もなく涙を流す妹姫を見て、兄王子も異変に気づいた。しかし気づいた時には手遅れだった。
「つまりは、それが代償だったのだな」
ファイが分析する。
「味覚が変わったわけではあるまい。特別な体験がもたらす高揚感が、それを特別な食べ物であるかのように感じさせていただけだ」
お城を抜け出し、また特別な体験がしたい、という願いの代償に。
王妃様が失ったものは、その「特別な体験」から得た喜びであり幸福だったという皮肉な事実。
この一件の後、王妃様はひどくふさぎ込んでしまい、兄王子から事情を聞いた王太子夫妻も、事の深刻さにようやく気づいた。
娘に魔女の力を使わせてはいけない。次は何が失われるか、知れたものではない。
そう悟った王太子夫妻は、これまで以上に厳しく強く、王妃様に言い聞かせた。もちろんシャムロック王子をはじめとした、他のきょうだいたちにも。
父であるアレクサンダー王にも報告を上げた。
それ以前からお城で魔女のことを研究していたアレクサンダー王は、報告が遅れたことを責めもせず、孫娘のために力を尽くすと約束してくれた。
家族の愛に守られて、王妃様は成長した。
前よりさらに引っ込み思案になり、年頃になっても社交界に出るのを嫌がったが、そこは「体が弱い」で押し通し。
持って生まれた力に脅えながらも、それなりに平穏な日々を過ごしていた。
「そのまま、誰とも関わらずにおればよかったのだがな」
ファイが言う。
「魔女の力は魅力的すぎる。願えばかなうと知っていて、願わずにいられる者は少ないであろうよ」
王妃様の家族は誰も、彼女に力を使わせようとはしなかった。代償が伴うことを知っていたから。彼女に何も失ってほしくはなかったからだ。
しかしそれを知っていてなお、力を求めてしまった人間が居た。それは王妃様にとって、唯一無二の親友と呼べる女性だった。