294 断罪の舞台裏
真っ赤なマントが、ばさりと音を立てて翻る。
「ラズワルド! 貴様の命運もここまでだ!」
びしりと空っぽの椅子を――想定では仇敵・ラズワルドが座しているはずの椅子を指差して、
「天に背いた悪事の数々! もはや許しがたい! このレイテッド家当主レイルズ・レイテッドが、白い魔女に代わって引導を渡してくれる!」
これでどうだ、とばかりにこちらを振り向く義弟に、ケインは冷めた視線を向けた。
「あのさ。無駄にかっこつけなくていいから、ちゃんと必要なことだけ言ってくれる?」
ラズワルドの悪事とは、具体的に何なのか。それを儀式の場に集まった人々に聞かせなければ意味がない。
「フッ。愚かだな、ケイン」
ケインの突っ込みを受けたレイルズは、またマントを翻してこちらに指を突きつけてきた。
「千年の長きに渡る因縁に決着が着くこの舞台で、己にできる最高の演技を披露する。それが役者たる者の務めではないのか!?」
「……君、いつから役者になったのさ」
「物のたとえだ! あの脳筋一族を軍門に下し、足蹴にして高笑いするのは我が一族の悲願! 宿願!」
「…………」
ケインは無言で口元を引きつらせた。
死ぬほどくだらない悲願を聞かされたためではない。ケイン自身も、不本意ながらその一族の生まれだからだ。脳筋呼ばわりは心外である。
レイルズに悪気はなく、ただキレイさっぱり忘却しているだけなのだろうが、人が忘れたくてもできない過去をあっさり忘れられると、それはそれで腹が立つ。
当のレイルズはこちらの不機嫌になど気づく様子もなく、また無駄にかっこつけながら1人でしゃべっている。
「この俺にとっても見せ場! 一世一代の晴れ舞台! 断罪の舞台で光り輝く俺の勇姿に、ユナもきっと惚れる! 惚れてくれる!」
「……要するに、それが目的なんだ」
ケインはハッと短く嘆息した。
「君って本当にブレないよね。明日はこの国の歴史にとって重大な分岐点になるかもしれないっていうのに、考えてるのがつれない女のこと?」
「フッ。ほめても何も出ないぞ」
「あきれてるんだよ。本気で、心の底から」
もっとも、ケインにとっても国の歴史など別に重要ではない。明日の儀式でラズワルドに狙われているカイヤを、弟のように大切な幼なじみを守ること。それ以外はわりとどうでもいい。
「案ずるな、ケイン。俺は本番に強い男だ」
確かに、レイルズが人前で大きな失敗をするのは見たことがない。……あったような気もするが、この男の場合、失敗が失敗に見えにくい。きらびやかな外見とオーラに騙されて、何だかうまくいったように錯覚してしまうのだ。
「カイヤは俺とユナにとっても弟同然。傷ひとつ付けさせはしないから安心しろ」
そう言って、ぽんとケインの肩を叩いてくる。
別に話したわけでもないのに、ケインの真の目的もわかっているらしい。馬鹿のくせに、たまに察しがいいところもムカつく奴だ。
「いちいちユナの名前を出さなくてもいいよ」
あいつは苦手だ。嫌いだ。
ずうずうしい、空気を読まない、デリカシーのカケラもない。
ケインにとってのユナは、人の形をした災難みたいな奴である。
いったいあれのどこに惹かれて、15年も片恋を続けているのか。皆目わからない。
はっきりそう言ってやると、レイルズは惚れた女を悪く言うなと怒るでもなく、
「むしろ、そこがいい!」
と胸を張った。
「…………あ、そう」
頭が痛い。
ケインがこめかみに手をあてると、膝の上のミケがニャーと心配そうに鳴いた。
柔らかな白猫の毛並みをなでながら、もう帰ろうかなと考える。
王都郊外にある、レイテッドの本邸。
もとは大昔に建てられた古城で、それを何百年も前の当主が買い取り、自分好みに手を加えた。
当主が代わるたび、それを繰り返し。
王国一の派手好き一族が、何代にも渡って魔改造した建物は、もはや普通に人が住む場所とは思えない。
良く言えば前衛的な芸術作品。悪く言えば――いや、やめておこう。自分も今はレイテッドの一員なのだから。
可能であれば足を運びたくなかった本邸にケインが訪れたのは、明日の儀式のため。
青藍祭の最終日に行われる儀式の場で、あの男は――ケインの実父にあたる騎士団長ラズワルドは、隣国の貴族と組んでクーデターまがいのことをするつもりなのだ。
その陰謀を阻止し、衆目の前で罪を暴き、あの男を失墜させるのがケインの目的である。
正確にいえば、計画を立てたのは騎士団長と対立する宰相オーソクレーズで、レイテッドはそれに協力するという形をとっている。
どうせ仇敵を倒すなら、「人前で派手に」という当主の希望によって――この場合の当主とはレイルズのことではなく、実質的な当主である姉のレイリアだ――儀式の場で直接、あの男を断罪する手はずになっている。
計画では、その断罪役をになうのがレイルズだ。
五大家の当主、宮廷での高い地位、見栄えのする派手な容姿。
加えて前述のように本番に強いこと。それらを考慮しての人選だったが、ケインは不安だった。率直に言って、不安しかなかった。
何しろ馬鹿である。肝心な時にポカをやるのではないか、セリフをど忘れするのではないかと不安で仕方なく、こうして夜も遅くまで練習に付き合ってきた。
しかしどうやら、全ては徒労だったようだ。
虚しくなったケインは、あとは1人でやれと言い残してレイルズの部屋を出た。
廊下を歩く。
頭上にはきらびやかなシャンデリア。足元を見れば、モザイク模様の大理石。
窓には極彩色のステンドグラス。壁にはこれまた色彩豊かな絵画やレリーフ。
もうこの辺りで勘弁してほしいのに、10歩進むごとに飾られた彫刻や鎧や宝剣が無駄に存在を主張する。
混沌と無秩序を具現化したかのような空間に酔いそうになりながら、どうにか屋敷の出口までたどり着く。
「……もういいよ、ミケ」
そっと声をかけると、腕に抱いてきたミケがぱっちり目を開けた。
可愛いミケの精神が病んでは困るので、本邸の中を歩く時にはなるべく目をつぶるようにと言い聞かせてある。
「もう帰るの?」
猫の姿のまま、人の言葉で話しかけてくるミケに、
「ああ、帰ろう」
とケインは優しく言った。
そしてできることなら、2度と足を踏み入れまい。
魔窟から逃れたケインを、1台の馬車と年老いた御者が出迎える。
「お戻りになられるのですか?」
「ああ、頼む」
答えて、馬車に乗り込むケイン。
何の装飾もない、地味なソファー。無地のカーテン。
ああ、なんて目に優しい空間だろう――。
ホッと一息つくのと同時に、馬車が動き出した。向かう先はレイテッドの別邸。ケインが妻のレイシャと共に暮らす屋敷だ。
と言っても、屋敷の所有者はレイシャの方であり、この馬車もレイシャの物。あやつる御者もレイシャの腹心で、実は彼女直属の諜報員でもあった。
ケインは確かにレイテッドの一員だ。しかしその立場はおそらく飼い犬と大差ない。
元は仇敵の御曹司。ラズワルドを排除した後は、せいぜい利用するつもりでいるのだろう。
あの男の財産、親戚筋や分家筋への影響力。
直系のケインが居れば、それらをスムーズに手に入れることができる。
そうして全てが滞りなく進んだら、用済みとして始末されるのかもしれないが――まあ、どうでもいい。
レイテッドが自分を利用する間、こちらもレイテッドの力を利用させてもらうまでのこと。仮に始末されるにしても、それはまだ先の話で――。
ゴトリ、と馬車が不自然に揺れた。
どうやら車輪が石でも踏んだらしい。何気なく窓に目をやったケインは、そこに水滴がついていることに気づいた。
「雨か……」
馬車は郊外の別荘地を走っている。金持ちで、かつ地位の高い貴族の屋敷ばかりが集まっている区画だ。
こうした場所は、深夜であっても闇に閉ざされることはない。
貴族の屋敷では防犯対策として常に明かりを灯しているし、敷地の間を縫うようにのびる石畳の道にも、小洒落た街灯が随所に設置されている。
「…………?」
ケインは目を細めた。
ぼんやりした街灯の明かりが、小雨と溶け合う中。
誰かが立っている。
人っ子1人居ない、真夜中の路上に。
年老いたメイド服の女が、誰も乗っていない車椅子の背に手をかけて。
降りしきる雨を避けようとすらせず、立ち尽くしている――。
たった今、その女の横を通り過ぎた。
瞬間、膝の上のミケが鞠のように毛を逆立て、フシャアッと威嚇の声を上げた。
「…………」
頬をつたう冷や汗。耳元で鳴っているかのような自分の鼓動。背筋を走り抜けた悪寒に、身動きがとれなかった。
十数秒が経過したところで、ケインはゆっくりと息を吐き出した。
「ミケ……」
膝の上を見下ろす。ミケもまた、ケインを見上げていた。逆立てた毛は元に戻っているが、その目は緊張と興奮でギラついている。
「……さっきのは、何?」
「わかんない」
と首をひねるミケ。「でも、知ってる気がする。あれは……、ああいうのは、なんていうんだっけ……」
1度ぎゅーっと目をつぶり、眉間にしわを寄せてから、「あ、そうだ」とミケは言った。
「あれは魔女だ。きっと悪い魔女だよ、ケインさま」