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293 家族の呪い

 静謐せいひつな夜に、雷鳴がとどろく。

 フローラはハッと窓の外を見た。

 今の音は、雷? それとも、兄が帰ってきたのだろうか。

 今日の日中、この部屋に見舞いに来てくれた兄。半分しか血がつながっていない、幼い頃に一時いっとき、共に暮らしたことがあるだけの、けれど今でも何かと気遣ってくれる兄。


 滞在はほんの短時間で、その後は急な知らせがあったらしく、飛んで帰っていってしまった。

 王宮の庭に、巨大な竜を呼び寄せて。その背にまたがり、文字通り飛んでいってしまった。

 あまりにも非現実的な光景に、王宮はしばし水を打ったような静けさに包まれたものだ。

 その後はわめいたり叫んだり、卒倒して医務室に運ばれる人が続出したりで大騒ぎだったが……。


 フローラ自身ももちろん驚いた。腰を抜かすほど驚き、唖然とした。

 でも、一方ではこう思ったのだ。まるで物語の一場面のようだと。

 漆黒のウロコと金色の瞳を持ち、漆黒の翼で空を舞う竜の姿は、恐ろしいが美しかった。その竜を使役する兄は、本の中の英雄みたいだった。

 こんな非常識が許されるはずがない、厳罰を与えるべきだと主張している人たちの方が、なぜだか滑稽に見えたものだ。


 実際、兄が罰を受けるという話は聞いていない。

 侍女たちの噂によれば、フローラにとっても一応は父親であるところの国王が、「厳罰に処せって言われても根拠がないよねえ。城に竜を呼んじゃいけないって法律はないしさあ。必要なら作るけど」と言ったとか言わないとか……。


 さっきの雷鳴は、あの竜の咆吼に似ていた。

 もしや、兄が帰って――。

 身を乗り出すようにして窓の外の闇に目を凝らしていると、ふいに稲光が閃いた。

 数秒の間を置いて、轟く雷鳴。ざあっと雨が降り出す音。

 ……違った。ただの雷雨だ。

 落胆しながら椅子に腰を下ろす。と、背後から声をかけられた。

「お嬢様」

 振り向けば、乳母のマーサがそこに立っていた。

 年は50過ぎ、丸顔でいかにも優しげな空気をその身にまとった女性だ。幼い頃からフローラの面倒を見てくれた、家族同然の存在である。


「まだ起きていらっしゃったのですね」

「……考え事をしていて」

「ルチルお嬢様のことを?」

「……ええ、そうよ」


 今日の昼、見舞いに来てくれた兄に、フローラは託したのだ。

 おおやけには自室にこもりきりということにされている――しかし実際には、あの火事の日から行方が知れない妹のことを。

 フローラは自分で動けない。あの騎士団長ラズワルドに身辺を見張られている。

 そもそも動けたところで、無力な小娘だ。

 だから人に頼ることにした。そのために「離宮の魔女」と「魔女の紋章」の噂を利用した。自室の鏡にあの印を描いて、「呪いを受けた」と騒いで見せたのだ。

 血のように真っ赤な塗料は、マーサが手に入れてくれた。

 とにかく何でもいいから騒ぎを起こせば、外部の人間と接触するチャンスも生まれるはずだと思ったのである。

 できれば第一王子や宰相、ラズワルドと対立するレイテッドに属する者。

 そう考えていたら、気心の知れた兄がやってきてくれたのは、フローラにとっては幸運だったが。


 兄にしてみれば、ふざけた話だろう。

「離宮の魔女」とは王妃のこと。兄にとっては産みの母である。

 それだけではない。そもそも、ルチルが行方知れずになったあの夜。放火されたのは、「カイヤ兄さん」の愛する妹姫が暮らす庭園だ。


 自身の異母妹でもあるクリスタリア姫のことを、ルチルはずっと憎んでいた。

 無論、それだけで妹が事件に関わっていると決まったわけではないが……、フローラは思う。思ってしまう。あの妹であればやりかねない。むしろ、いかにもやりそうなことだと。


 本当は気が小さいくせに、プライドだけは変に高くて。

 自分にとって都合の悪いことがあると、すぐに誰かのせいにするのが悪い癖だった。

 人目を気にする子だった。称賛されるのが好きで、その逆は絶対に我慢できない子で。

 だから今年の春に起きた「あの事件」ではひどく傷ついたのだ。愚かな王女だ、王族の恥だと、公然と非難されたから。

 事実、ルチルのしたことは愚かの極みで、弁解の余地すらないのだけれど。

 あの子はそれに耐えられなかった。全ての責任をクリスタリア姫に押しつけて、ひ弱な自我を守ろうとした。

 本当に――何という――愚かな妹だろう。

 そんな妹をどうにもしてやれなかった自分は、何という無力な姉だろう。


「私、何もできなかった」

 叱ろうとしたことも、諭そうとしたこともある。妹はこのままじゃろくな人生を歩めない。ほんの少しでもいい。変えてやりたかった。

 とはいえ、フローラは口下手だ。引っ込み思案で、気が弱い。

 そんな姉を、ルチルは軽んじていた。もともと仲が良かったわけでもなく、しかも舐められていては、どんな言葉も届くはずがなかった。


 ルチルを変えようとしたのは、母のアクアも同じだ。

 しかしルチルは母に対しては異様なほど反抗的で――たとえ「いいお天気ね」とか些細な一言であっても、母の言うことにはけしてうなずこうとしない。

 それが反抗期というやつなのか。表立って親に反抗したことのないフローラにはいまいちわからないのだが。

 ただ、あの2人。全く似ていないようでいて、我が強く自尊心が高いところだけはよく似ているので。

 多分、相性が悪かったのだと思う。

 母と妹が、顔を合わせるたび。互いの溝が深まっていくばかりなのがフローラにはわかった。

 ……わかっていながら、どうにもできなかったのだ。


「家族なのに、何もしてやれなかった」

 自分が、もっと賢ければ。しっかりしていれば。

 妹のために、もっともっと努力していれば、こんなことにはならなかったかもしれないのに――。

 後悔に沈むフローラに、その時、マーサが言った。

「無理ですよ」

と一言、冷めた口調で。

「……無理?」

「ええ、そんな努力、誰にもできやしません。お嬢様にはお嬢様の人生があるんですから。ルチル様の行いにまで責任を持てるはずがありません。家族だろうが何だろうが、無理なものは無理です」

「…………」

「こんなことになってしまって、悲しむ気持ちはよくわかります。けれど、ご自分のせいだとお考えになるのは間違っていますよ?」

「…………」

 フローラは戸惑った。

 マーサの言っていることは、理屈としてはわからなくもないが……、しかし世の中には互いに助け合い、いつくしみ合う家族も居るわけで……。

 それができなかった自分はダメな姉であり、人としても失格であり、妹を救ってやれなかった己を責め、深く苦しむべきではないのだろうか?


「私はそうは思いませんけどねえ」

 マーサはふっくらした頬に手をあて、よくわからないという顔をして見せた。

「家族なんて、世間が言うほど尊いものじゃありませんよ。助け合える分にはもちろん助け合えばいいでしょうけど、『そうするべきだ』なんて考えるようになったら、ただの重荷です。足枷です。下手したら呪いです。それこそ魔女の呪いなんかよりずっとタチが悪い」

「…………」

「どうかご自分を責めるのはおやめくださいましな。お嬢様がおつらそうな顔をなさっていると、マーサめもつろうございます」

「…………」

 フローラは黙った。無言で乳母の顔を見返した。


 ……どうしよう、困った。

 後悔する気持ちも、何もできなかったという無力感も消えてなくなったわけではないのだが、何やら気が抜けてしまった。

 フローラはルチルのことを、妹として大事に思っている。それは嘘ではない。

 ただ、前述のようにルチルには舐められていたし、多分嫌われてもいた。

 そんな可愛げのない妹のために心から苦しむことができるほど、自分は情の深い人間ではないのかもしれない。


「……私、そんなに優しくないものね」

 はあっとため息をつく。

 少しばかり、状況に酔っていたようだ。

 悲劇のヒロインっておいしいから。こんな所で1人、妹のために苦しむ姉を演じて見せたところで、誰の役にも立ちはしないのに。馬鹿みたい。

「お嬢様はお優しいですよ」

「……ありがと」

 そう言うマーサこそ優しい。生まれた時からの付き合いで、フローラのことを誰より知っている彼女のことだ。フローラの内心なんて全部お見通しだろうに、直接は言わずにいてくれるのだから。


「ルチル様のために、ちゃんとできることをなさったじゃありませんか」

「……兄さんに全部押しつけただけよ」

 自分の都合で呼び出して、自分の都合で頼み事をした。

 行方知れずのルチルを探してほしいと。

 それから、もうひとつ。ここ最近ずっと会うことができない母のことまで頼んでしまった。

 どれだけずうずうしいのかと、自分でも思う。

 しかし、母に会えなくなって既に数週間。正直、無事で居るのかという不安さえある。

 母はラズワルドに疎まれていた。現国王のお気に入りだが、所詮は身分の低い愛妾。用済みになれば、始末されてしまうのでは――。


「だいじょうぶですよ」

 マーサが言った。どうか安心してくださいとほほえんで、

「あとほんの少しの辛抱です。いずれアクア様にもお会いになれますよ」

「どうして……」

 そう思うのかと尋ねても、マーサは意味深に笑っただけで答えない。

 ぱっと見は善良なおばさんにしか見えない彼女だが、元は凄腕の密偵、しかも南の国出身の諜報員である。何か情報をつかんでいたとしてもおかしくはないが、それならどうして自分に教えてくれないのだろう?


「それよりも、明日ですね」

 唐突に、話が切り替わる。

 明日。2週間続いた青藍祭の最終日。他国の要人も招いて行われる、政治的にも重要な儀式がある。

 フローラ自身も出席する予定だ。思い出すと、不安と緊張で胃袋の辺りがずっしりと重たくなった。

 人前に出ること、それ自体も苦手だが、また何か事件が起きるのではないか――という不安の方が今は大きい。


 2ヶ月前の「魔女の宴」では、乱入した近衛騎士が母に斬りかかった。

 1ヶ月前の「淑女の宴」では、王の側室エマ・クォーツが毒刃に倒れた。

 そして明日の儀式では、お役目を務める兄が命を狙われているらしいのだ。くわしいことは知らないが、不死身の「巨人殺し」を名乗る暗殺者から予告状が届いたとかで――。


「そうそう、巨人殺しの予告状とやらは偽物だったそうですよ」

 今思い出したという風に、ぽんと手を打つマーサ。

「そうなの?」

「ええ。貴族のお嬢様が仕掛けたイタズラだったとか」

「なんだ……」

 少しだけ、肩の力が抜けた。

 フローラは読書が好きだ。と言っても難しい本は全く読めないのだが、「巨人殺し」の名前は知っている。

 なぜなら、人気のBLに描かれている人気キャラだから。

 作中の「巨人殺し」は、猟奇的な性的嗜好を持つ不死身の吸血鬼という設定で、凄腕の暗殺者として暗躍する傍ら、自身の館に好みの美形をコレクションしている。

 その好みというのが、黒髪の少年、もしくは少年の面影を残した青年で、ぶっちゃけカイヤ兄さんとイメージが近いので気がかりだった。


 ホッと胸をなで下ろすフローラを見て、マーサはあきれ顔になった。

「夢を壊すようで大変申し訳ありませんけど、実物の巨人殺しは吸血鬼じゃありませんし、美青年を収集して愛でる趣味もありませんよ?」

「……っ! わかってる!」

「残念ながら見た目も普通のおっさん……」

「やめて! 現実はそんなものだってわかってるけど、そこはくわしく聞きたくない!」

 フローラは必死に耳をふさいだ。

 ちなみに、作中の巨人殺しは当然のように美形だ。銀の長髪と血のような赤い瞳の、耽美な美青年である。


 マーサはやれやれと肩をすくめて、フローラがこっそり集めた蔵書が収められている秘密の場所に目をやった。

「あの男がお嬢様の本を見たら、いったいどんな反応をするやら……」

「……マーサ、『巨人殺し』に会ったことがあるの?」

 今更のように、フローラは気づいた。最前からのマーサの口ぶりは、明らかに「本物」を知っている。

「同業者でしたからね。……まあ、親しくはないですよ。私がまだ若かった頃、1度飲んだことがあるだけで」

 伝説の暗殺者とお酒を? それってすごいことじゃない?

「あの男はとうの昔に暗殺者を廃業してるんですよ。それでも名前だけは有名だから、こうやってイタズラに利用されたりもするんでしょうねえ」

 名前には力がある。

 伝説の暗殺者の名は脅しにも使えるし、駆け出しの暗殺者が自分を売り出す手段にもなる。


「『南の国の魔女』も同じ?」

 フローラはふと思いついて尋ねてみた。

 それはマーサが現役時代に使っていた異名だ。

「淑女の宴」でエマ・クォーツを狙った下手人は、その「魔女」だという噂もあったりする。何でも事件の現場で、怪しい魔女のような女を目撃した人物が居るらしく。

「私はあの男ほど有名じゃありませんよ」

 それでも勝手に名前を継いで利用している人間が居るのかもしれない。

「だとしたら、1度お目にかかりたいものですねえ。元祖・南の国の魔女としては」

 のんきな発言をしているマーサの横で、フローラは再び不安にとらわれていた。

「淑女の宴」でエマを殺しかけた「魔女」はいまだお縄になっていない。

 もしもその魔女が明日の儀式に現れたなら。兄の命を狙ってきたとしたら――。

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