290 髪の色
結局のところ、ルチル姫は。
異母妹であるクリア姫のことをいじめ、取り巻きの少年をいじめ。
そのせいで危うく死ぬほどの目にあったというのに、全く反省していなければ懲りてもいなかったのだろう。
クリア姫を逆恨みし続け、「あんたなんて居なくなっちゃえ!」とまで願った。その結果として、逆に自分自身を失うことになってしまったのだ。
そこに同情の余地はない。仮にこのままルチル姫の意識だか魂だかが永遠に戻らなかったとしても、クリア姫には何の責任もない。
でも、あの姫様がそういう風に思えるかと言ったら……、全く気にせずに居られるかと言ったら……、多分無理だよね。
心配だ。すごく心配。
その日の夜遅く。私はクリア姫のお部屋に夕食を運んでいった。
ショックを受けているだろう姫様に、少しでも元気を出してもらえるようにと思い、彼女の好きなもの、口当たりが良くて食べやすいものを用意した。
コンコンと控えめに扉をノックすると、少しの間があって、中から出てきたのはカイヤ殿下だった。
「ああ、すまない。食事を持ってきてくれたのか」
「はい。……あの、姫様のご様子は……?」
殿下はちらりと室内を振り返り、
「少し前までは起きていたのだが、泣き疲れて眠ってしまった」
「…………」
私は唇を噛みしめる。なんで、クリア姫が泣かなきゃいけないんだろう。あまりに理不尽だ。
「あの、お食事、多めに用意してきたので、殿下も召し上がってくださいね」
明日は大変な儀式があるのだ。殿下だって色々しんどいとは思うが、それでも食事を抜くのは良くない。むしろこういう時こそ、しっかり食べなくちゃ。
「ありがとう。……すまない」
かすかにほほえんで、殿下は室内に戻っていった。
私はといえば、しばしその場に突っ立っていた。
わずか数回しか見たことのない殿下のレアなほほえみを、このタイミングで見られるとは予想していなかったからだ。
何だろうね。よっぽど参ってるのかな。前よりも笑顔が出るようになったというなら別にいいんだけど……。姫様だけじゃなくて、殿下も心配だなあ。
ため息をつきながら台所に戻り、次の仕事に取りかかる。
さっき、近衛騎士の人に頼まれたんだよね。ファイ・ジーレンの所にも食事を届けてくれって。
あの男は今、もとは使用人部屋だった場所に閉じ込められている。
室内を埋め尽くしていた本の山を近衛騎士たちの人海戦術で一部どかして、どうにか人1人監禁できるスペースを作ったのだ。
見張りにはクロサイト様がついている。
彼は「魔女の力」を受け継ぐ人間だ。殿下が言うには、それって魔法に耐性があるということでもあるらしく。
ダンビュラに杖の力が効かなかったように、クロサイト様も魔法には強いんだって。
万が一、ファイがおかしな力を使っても対応できるように――多分そんな心配はないと思うけど、念のため、今夜はずっとそばで見張るつもりらしい。
……そういえば、クロサイト様のお食事はいいのかな。
頼まれたのはファイの分だけだが、念のため2人分の食事を台車に乗せて押していく。
使用人部屋の前には、近衛騎士が2人。物々しい空気を振りまきながら立っていた。
「あの、お食事を――」
言い終わる前に、ドアが開く。
中から出てきたのはクロサイト様と、
「縄を解け!」
というファイの怒鳴り声。
「このような扱いには耐えられん! 見よ! この素晴らしき蔵書の数々を。至高の宝に囲まれているというのに、手にとって読むこともできんとは何たることか! 書物のページを繰る喜びを、我は30年、取り上げられておったのだぞ! 片腕だけでもよい、縄を解け!」
そっと室内の様子をのぞいてみれば、椅子に縛られたままジタバタしているファイの姿が目に入った。
一部を運び出したとはいえ、今も書物でいっぱいの狭い部屋の真ん中で、目を血走らせて「縄を解け」と訴えている。
そんなファイのセリフを完全スルーして、
「食事を持ってきてくださったのですね。ありがとうございます」
と私に声をかけてくださるクロサイト様。
「何、食事? もしや我の食事か?」
ファイも反応した。部屋の奥から、身を乗り出すようにして台車の上に並べられた料理を眺め、
「それにしては随分と粗食ではないか。もっとマシなものはないのか?」
「……ご不満なら、召し上がらなくても結構ですよ」
私はとても優しい声でそう言った。
この人にはとんでもなく迷惑をかけられた。
しかし私は三代続く食堂兼居酒屋の娘。料理人の孫娘のプライドにかけて、人にマズイものを食べさせたりはしない。ちゃんとまともな料理を持ってきたというのに、一目見て「粗食」とは何だ。
「ああ、いや、スマン。料理自体が不満だと言ったわけではない」
なぜか微妙に青ざめて、殊勝な言葉を口にするファイ。
「つまり、あれだ。この体は今、非常に消耗しているのだ。規模の大きな魔法をいくつも使ったゆえ、栄養価の高い食事を欲しておる」
あいにく、私が持ってきたご飯は、ちゃんと栄養面だって配慮している。
「四の五の言わずに、食べてみてくださいよ」
私は押してきた台車をファイの前に移動させた。そして両手を拘束されている彼の代わりに匙を取り、スープを一口、その口に押し込んでやる。
「……む。薄味だな」
「お気に召しませんか」
と言いながらもう一口。
ファイは目を閉じ、スープの味を舌の上で確かめてから、
「いや、なかなかに滋味深い。手間暇かけた良い仕事だ」
真面目に評価されるとは思っていなかったので、私は少しばかりバツが悪くなった。
「国王陛下にお誉めいただくほどのものではないですよ。ごく普通の家庭料理ですし」
ファイは少しばかりあきれたという顔をして、
「おぬし、王というものを誤解しておるな? まあ、ろくに働きもせず美食に耽る愚かな王も居ないわけではあるまいが、大抵の場合、早死にする。死因は不摂生もしくは毒殺だ。前者に見せかけた後者も珍しくない」
「…………」
「国賓を招いた晩餐会では政治的な駆け引きに忙しく、料理を楽しむ心のゆとりなどない。日頃、口にするものといえば、毒味をすませた冷めた料理ばかり。作り手の真心を感じる温かい料理など、王になってから何度食したことか」
「……あの」
私はファイの長話に口を挟んだ。
ずっとしゃべっているから、スープを口に運ぶスキがないのである。少し黙っていてくださいよと言おうとしたら、
「それより、縄を解け」
とファイが言った。その目は私ではなく、クロサイト様の方を向いている。
「この娘に給仕させようと思って呼んだわけではあるまい? 先程、この娘が我に近づこうとした時、止めようとしておっただろう」
クロサイト様は無言でファイの顔を見返しているだけ。肯定も否定もしなかったけれど、私は気まずくなった。
メイドとして正しい振る舞いは、頼まれた食事を置いて速やかに去ることだったのではないだろうか。なのに、ずかずかと部屋の中に足を踏み入れたりして。
「なかなかに無謀というか剛胆な娘よの。生前から悪王の誉れ高い我が口に食い物を突っ込むとは」
ファイはからからと笑って、私の気まずさに拍車をかける。
「すみません、お邪魔しました……」
ファイではなく、クロサイト様に謝ってから退出しようとする私に、
「ああ、待て待て。おぬしには聞くことがあるのだ」
ファイは空気を読まずに話しかけてくる。あいにく、こっちには話すことなんて何も――。
「昔、魔女に会ったことがあるだろう?」
……ひとつあった。正確には、聞きたいことがあった。
どうして、私が魔女に会ったことがあるとわかるのか。気にはなるものの、これ以上ここに長居するわけにはいかないし。
「して、どのような魔法をかけられた? なんぞ願い事をしたのか?」
しつこいな。願い事なんてしてないし、魔法をかけられたわけでもないってば。ただ、お告げめいた言葉を2度ほど言われただけで。
「その髪色、生来のものではないな?」
ずいとファイの顔が近づいてくる。椅子に拘束されたまま、可能な限り前のめりになって、彼は私の白い髪を凝視した。
ぎょっと身を引こうとした時、クロサイト様がすばやく動いて、ファイの頭を椅子に押しつけてくれた。
「ええい、放せ、無礼者!」
ジタバタと暴れるファイ。とはいえ、無礼はどっちだという話である。
女性の髪をジロジロ眺め回すなんて失礼だ。体はルチル姫でも、中身は成人男性だろう。常識をわきまえろ。
「そのようなことはどうでもよい。それより、その髪の色だ」
ファイは全く意に介さない。この人にとっては女性の髪なんて、ただの研究対象でしかないのかもしれない。
「生まれつきのものではないな? 魔法の気配を感じる」
生まれつきのものですが、何か? 子供の頃は、近所の悪ガキにからかわれたりもしたし。
「ならば聞こう。おぬしの親族に同じ髪色の者は居るか?」
……居ない。1人も。
弟と妹は茶髪で、両親もそう。祖父母は白髪だが、それは加齢によるもので。
伯父伯母、イトコにも居ない。身内の中で白い髪は私1人だ。
「ふむ。おぬしには何やら秘密がありそうだな」
したり顔で告げられて、唐突に頭に浮かんだのは「巨人殺し」のゼオの顔。
ここ最近、色々あって忘れていたけど。
私個人の秘密――というか問題については、いまだ解決の目途がたっていないのである。
尚も話を続けようとするファイを遮り、クロサイト様が退出するよう、目線でうながしてくる。
素直に従ったものの、私はひどくモヤモヤした気分でいた。台所の方に引き返しながら、無意識に白い髪のおさげをなでていると、
「エル・ジェイド」
なぜだかそこにカイヤ殿下がやってきた。少し遠慮がちに、「また話を聞いてほしいのだが……」と言って。