284 帰還
クリア姫の言葉は本当だった。
それから間もなく、カイヤ殿下はお屋敷に帰還した。
人型の群れに囲まれたお屋敷にどこから帰ってきたのかといえば、空からである。
飛んできたのだ。比喩ではなく、文字通りの意味で。
……ちゃんと順番に説明するので待ってほしい。
殿下が護衛として雇っているという「使い魔の末裔」。
自分の留守中、大事な妹姫の身を守るため、殿下は彼らにお屋敷の見張りをさせていたらしいのだ。
ご自身だって命を狙われているのに、護衛に別の仕事をさせてどうするのか。みっちりお説教したいところだが、今は置く。
で、正体不明の怪物がお屋敷を襲った時。
彼らはお城に居る殿下にすぐに伝えた。……連絡手段は知らないけど、多分鳥だろう。経過時間を考えると、馬では間に合わなかったはずだから。
妹姫のピンチを知った殿下は、飛んで帰ってきた。
覚えているだろうか。殿下が運び屋のアイオラ・アレイズに借りた「竜を呼ぶ笛」。あれを使ってお城に竜を呼び寄せ、最短距離で戻ってきたのである。
おそらく、いや確実にお城は大変な騒ぎになったはずだが、それについても今は置く。
……考えると怖いし。
それに、大変だったのはこっちも同じ。
ほとんどの近衛騎士たちは、アイオラの竜のことなんて知らない。
まして正体不明の怪物と戦っている真っ最中に、体長10メートルを超す巨体が空から舞い下りてきたのだ。
その背に第二王子殿下が乗っていることに気づいた人なんて、私とクリア姫の他はごく少数だったと思う。
うっかり弓で射ようとした騎士も居たくらいだし。
まあ、その人たちも近衛副隊長のクロサイト様に「静まれ」と一喝されて、すぐに正気に戻ってたけど。……ああ、クロサイト様がどこから出てきたのかといったら、殿下と一緒に竜で戻ってきたの。うん。
そして、今。
お屋敷は奇妙な静けさに包まれていた。
わらわらと現れては襲いかかってきた人型たちも、ジェーンと戦っていた偽物の竜も動きを止めている。
それらをあやつっていたとおぼしき人物――ファイ・ジーレンが捕らえられたからだ。
と言っても、ダンビュラや騎士たちが捕まえてきたわけじゃない。
殿下の帰還直後、
「なんと! それは竜か? 竜だな? 伝説上の生き物ではないか! よもやこの目で見られる日が来ようとは!」
知的好奇心に瞳を輝かせて、自分からのこのこ出てきたんである。
今はダンビュラの足の下だ。うつ伏せの状態で押さえつけられて、手足をジタバタさせている。
「ええい、放せ、無礼者!」
マヌケ以外の何物でもないが、問題は例の杖だ。屈強な騎士たちがその手から取り上げようとしても、のりでくっつけたみたいに離れない。
挙げ句、ファイ・ジーレンがほんの少し杖を持ち上げただけで、例の「見えない力」が騎士たちを吹っ飛ばす。
同様にダンビュラのことも吹っ飛ばそうとしたようなのだが、彼の場合は、虎じまの毛皮がほんの少し風にそよいだだけだった。
怪訝な顔をするファイ・ジーレンに、ダンビュラは言った。
「あいにく、その程度の魔法じゃ俺には効かねえよ。魔女の呪いにならとっくにかかってるんでね」
「……呪い……。とすると、その姿は……。なるほど……」
一転して、静かな声でつぶやくファイ・ジーレン。
ダンビュラに踏んづけられたマヌケな格好のまま、「黒い魔女」がどうの、「呪いの効力」がどうのとぶつぶつ言っている。
その様子を、カイヤ殿下が見ている。
何があったのか、執事のオジロと騎士たちに報告を受けながら、視線はずっとファイ・ジーレンにそそがれている。
さほど驚いた様子も見せず、いつもの無表情で、腹違いの妹そっくりのその顔を見つめている。
「如何致しましょう」
報告が一段落したところで、クロサイト様が問う。
「首を落としますか?」
屋根から下りてきたジェーンが続けて問う。手にしたクワを振り上げて。ただの農具も、扱う人間が違えば凶悪な武器に見えてしまう。
「……いや。まずは杖を回収しなければ」
「であれば、腕を落としましょう」
クワを構えたまま前に出ようとするジェーンを、「少し下がっていろ。殿下の邪魔だ」とクロサイト様が引き戻す。
「…………」
そんなやり取りの間も何事かを考えていた様子の殿下であったが、やがてすたすたとファイ・ジーレンに歩み寄っていった。
ダンビュラの足もとを見下ろし、
「貴公は何者だ?」
「……そう言うおぬしは何者だ」
ファイ・ジーレンは王族を前にしても尊大な態度は変わらず、「その顔、見覚えがあるな。もしや、リシアの血縁か?」
殿下の表情が強張った。
「……母上と面識があるのか」
「無論ある。率直に申せば、2度と会いたくはない相手だがな」
「…………」
沈黙する殿下。ファイ・ジーレンを見下ろすまなざしは、得体の知れないものを見る時のそれだ。
正直ちょっと意外な気がした。
ファイ・ジーレンは十分過ぎるほど「得体が知れない」。だけど、そういう普通じゃないものを前にしても、わりと普通の顔をしているのがカイヤ殿下という人だ。
黙り込む殿下に、ファイ・ジーレンは何を思ったのか。
「して、リシアは存命か。既に墓の下であるというなら、実に喜ばしい」
世間話のような軽い口調で、とんでもないことをぬかしやがった。
殿下が反応するより先に、ダンビュラがキレた。
ひょいと前足をファイ・ジーレンの頭に乗せると、
「このクソ野郎」
悪態と共に、地面に押しつける。
むぎゅっと。
ファイ・ジーレンの体から力が抜ける。悲鳴を上げることすらなく、あっさり気絶したらしい。
脱力した手から例の杖が抜け落ち、コロコロと転がって――同時に、魔法の効果が切れたのだろうか。人型たちも偽物の竜も、全てがバラバラになって大地に落ちた。




