27 新米メイド、王宮へ行く1
その後、職安のカウンターが開くのを待って、私とカイヤ殿下は雇用契約書にサインを交わした。
セドニスがそれを確認。「魔女の憩い亭」のハンコを押し、契約書の控えを私と殿下、それぞれに手渡す。
殿下には「またのご利用を」と一言。
……私には、特に何もなし。
それでも一応お世話になったわけだから、「色々ご迷惑をおかけしました」と頭を下げると、「自覚があるなら大変けっこうなことです」と皮肉めいた答えが返ってきた。
歯に衣着せず、な人である。客商売のわりには口が悪い。
私が黙っていると、セドニスはついでのような口調でこう付け足した。
「王宮では色々あるでしょうが、がんばってください。この仕事が長く続くことをお祈りしています」
「……ありがとうございます」
社交辞令だったのかもしれないけど、私はもう1度頭を下げておいた。
「では、行くか」
カイヤ殿下が席を立つ。
いよいよだ。
これから、お城に行くのだ。庶民生まれ、庶民育ちのこの私が、王様やお姫様の住む場所へ。
……さすがに、ちょっと緊張してきた。
「そういえば、おまえは馬には乗れるか?」
「ああ、はい。だいじょうぶです」
宿場で育ったから、馬に接する機会は多かった。
バイトで馬の世話を手伝ったこともあるし、伝令の仕事を引き受けたこともある。実は、早駆けの腕にはけっこう自信があったりするのだ。
「そうか。では、セドニス」
カイヤ殿下の視線を受けて、セドニスは小さくうなずいた。
「貸し出しですね。承知致しました」
宿屋というのは旅人が利用するものなので、旅の足となる馬を借りたり、預けたりといったサービスが充実している。私の故郷でもそうだった。
「城までは徒歩でも行けるが、馬の方が早いからな」
殿下の後について、店を出る。
「魔女の憩い亭」は3階建ての大きな建物だ。厩はその裏手にあった。小さめの厩だが、それでも5、6頭の馬が中に居て、馬番らしい男が世話をしている。
殿下がその男に声をかけると、ずんぐりした葦毛の馬が引かれてきた。
「2人乗りして行くんですか?」
「いや、俺は自分の馬で行く」
その言葉にあわせて、もう1頭。すんなりした、栗毛の馬が引かれてくる。
王子様の愛馬のわりには、地味な馬だった。
地味っていうか、普通。どこにでも居そうな毛並みの馬。
カイヤ殿下なら、それこそ真っ白なサラブレッドとか乗っても似合いそうなのにね。
「白馬じゃないんだ……」
ついそんなことをつぶやいたら、殿下は聞こえなかったのか無反応だったが、馬番の男が吹き出すのをこらえたような顔をした。
「白馬は目立つからな」
あ、聞こえてた。
「昔、乗ったこともあるが……。なぜか親しい人間にはこぞって笑われてな」
殿下は納得できないって顔してるけど、まんま「白馬の王子様」だもんね。気持ちはわかる。
「笑わなかったのは、兄上くらいだ」
それは、殿下の兄上も「王子様」だからでは?
「その兄上も、『白馬は目立つからやめろ』と言った」
で、以後はできるだけ地味な毛色の馬に乗っている、とのこと。
「街中では、できるだけ目立たない方がいいからな」
そう言って、顔を隠すためのフードを目深にかぶり直す。
それはわかるけど、その格好。初夏にはつらくない?
今日も朝から気温が上がっているし、陽差しも強い。
「暑くないんですか、殿下」
「ん?」
「あ、いえ。この季節にしては、随分厚着をしていらっしゃるんだなー、と思って」
ああこれか、と殿下は自分の腕を軽く持ち上げて見せた。ゆったりした長袖の上着の中で、チャリ、と金属のふれあうような音がする。
「色々と仕込んでいるからな」
「……は? 仕込む?」
「ああ、たとえば」
軽く腕を振る。まるで手品みたいに忽然と、その手の中に小ぶりのナイフが現れた。「このように」殿下がもう1度腕を振ると、ナイフが消失する。
「おおお」
思わず拍手する私に、殿下は「手を叩かれるようなことではないが……」と微妙な顔。
「ただ、厚着の方が何かと便利ではあるな。暗殺者の刃を防ぐためにも」
「はい?」
さらりと言われて、理解が追いつかなかった。
「暗殺の常套手段といえば毒だろう。毒を塗った刃で斬りつけられたら、たとえ小さな傷でも致命傷になり得る」
だから人前ではあまり肌を出さないようにしているのだという。
「怖いですね……」
「そうだな。念の為、解毒剤も持ち歩いている」
「…………」
暗殺を警戒して、解毒剤を持ち歩くような生活って想像できない。
やっぱり、早まったかな。この仕事、受けるべきじゃなかったかも。いやいや、後悔するのはさすがに早過ぎる――。
私の逡巡を見て取ったのだろう。「実際にそういうことがあったわけではない」と殿下は言った。
「あくまで念のためだ。俺は市中を歩くことも多い。曲者が通行人に扮して近づいてきたら、とっさに見分けるのは難しい」
「護衛の人とかは居ないんですか?」
殿下とは何度か会っているけど、基本1人だ。
「居る」
とうなずく殿下。「今も近くに居るはずだ」
私は辺りを見回した。
厩の周囲には、人の姿も気配もない。隠れているのだろうか。
「人見知りというか、人嫌いでな。人に姿を見られることも嫌う。俺もここ半年ほど、姿を見ていない」
いや、半年って。
そんな長い時間、護衛対象に姿を見せない護衛ってあり?
「……本当に居るんですか? それ」
返事がないので変だと思ったら、殿下は既に自分の馬にまたがり、通りの方に向かって歩き出していた。
「どうした、行くぞ」
「ちょ、待ってくださいよ」
私は急ぎ葦毛の馬に駆け寄り、あぶみに片足をかけた。
ちなみに私の服装はといえば、厚手の上着とロングスカートにブーツ。スカートの中もきっちり着込んでいる。旅装なので仕方ないのだが、あまり他人のことは言えない暑苦しさである。
ひょいと馬の背に乗り、手綱を握る。「魔女の憩い亭」の馬はよく訓練されているらしく、見知らぬ人間が乗ってもおとなしくしていた。
ぽくぽくと、ゆったりした速度で通りを進んでいく。
王都は今日も人でごった返している。この騒がしさにはいまだ慣れないが、今の私は馬上に居る。視点が高くなった分だけ、余裕を持って街を眺めることができた。
お洒落な石畳の道。白い石造りの建物が並んでいる。ちょっとホコリっぽい空気の中には、ほのかに甘いような、鼻をつく香辛料のような、不思議な香りが混じっていた。
長い歴史を持つ王都は、観光地としても有名だ。色々あってゆっくり街歩きもできなかったが、いずれお休みがとれたら、行ってみたい場所がたくさんある。
王国中の花を集めたと謳われる中央公園、白い魔女を祀った最古の礼拝堂、郊外には森や湖など、自然の景勝地も多い。
大手の印刷所が発行している『一生に1度は見たい・行きたい・王国の観光地ベストテン』は、半分以上が王都周辺で選ばれているのだ。
ちなみに、これから行くお城も、トップスリーに入っていた。
「もう少しだ。この先の角を曲がると見える」
カイヤ殿下が指差す。
その言葉通り。通りの角を曲がった瞬間、町並みの向こうに姿を現す、白亜の宮殿。
通称、「水晶宮」。
書いて字の如く、水晶でできた宮殿――ではない。
さすがにそこまで贅沢なものは作れなかったのか、単に作る意味がなかっただけか、建物の素材自体は普通の白い石である。
ただ、さすが天然石の宝庫たる王国の城だけあって、屋根や城壁の飾りに、無数の水晶や宝石が使われている。
それらが陽差しを受けて輝くと、あたかも巨大なクリスタルの結晶が町並みの向こうにそそり立っているように見えて。
圧巻だった。
その威容は、国王の住まう城にふさわしい。
馬上からお城を仰ぎ見ながら、私は体が浮き上がるような奇妙な感覚を覚えた。
これから自分は、あの場所に行く。
そこで今までとは違う、新しい生活が始まろうとしている――。




