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魔女の末裔~新米メイドの王宮事件簿~  作者: 晶雪
第十二章 新米メイドと魔女の杖
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277 闇の奥から

 2階はひどい有様だった。

 危ういバランスを保ちながら積み上げられていた本の山が倒壊し、後には無秩序な古書の海が広がるばかり。足の踏み場どころか、移動できるスペースもろくにない。

 クリア姫に温かいお茶をお届けしてから、あらためて階段を上ってきた私は、その惨状に言葉を失った。


「ああ、来てくださいましたか」

 先に片付けを始めていたオジロが近づいてくる。

「風が出てきたので、窓は閉めておきました。足元が暗いから気をつけてください」

 そう言って、手提げ型のランプをひとつ、私に手渡してくれる。

「どこから手をつけましょうか……」

「そうですね。階段を上がってすぐの小部屋にまだ少し隙間があるので、床に散らかっている本はひとまずそこに運んでください。破損している物は別にして」

 彼の指示で、私はせっせと本を片付けた。この量、のんびりしていたら日が暮れてしまう。


「……っ! すみません、エルさん。手を貸してもらえますか」

 聞こえた声に飛んでいくと、オジロは傾きかけた書架を必死に支えていた。

「このままでは、倒れて――2次災害が――」

 彼と2人で、斜めになった書架をどうにか押し戻す。オジロはふう、と額の汗をぬぐって苦笑いを浮かべた。

「ありがとうございます、助かりました。すみません、こんな重たい物を女性に持たせてしまって」

「いえ、平気です」

 実家で鍛えられているから、腕力にはそこそこ自信がある。


「こうした力仕事の雑用は、本来であればサーヴァインにやらせたいところなのですがね」

「……はあ」

「気になりますか、彼の行き先が」

 急にそんなことを聞かれて、私は戸惑った。

「いえ、別に……」

 気になるかと言われたらまあ多少は気になるけども、正直あまり関わり合いになりたくないという気持ちの方が強い。


 私の返答に、オジロは何を思ったのか。

「彼が――いえ、我々が殿下にお仕えすることになったいきさつについて、あなたにはそろそろ話しておくべきかとも思うのですがね」などと言い出した。

「それは、どうして……」

 前に聞いた時には、かなり端折はしょった説明しかしてくれなかったよね。どうやらかなり重たい事情があるみたいだし、私としては無理に聞かせてくれなくてもいいんだけど。


「殿下はあなたのことを信頼されているようですし」

「はあ」

「近い将来、我々があなたにお仕えする立場になるかもしれませんし」

 何やら意味深な言葉を口にする。オジロたちが私に仕えるって……。もしかしなくても、また変な誤解をされてる?


「そのようなことは、断じてありえません」

 声と言葉に力を込めて、私は言い切った。

「私はただのメイドです。殿下とはけっして、特別な関係などではございませんので」

 オジロは私の剣幕に目を丸くしたが、やがて「そうですか」と気が抜けたような声で言った。

「では、今はそういうことにしておきましょう」

 そういうことにしておく、じゃない。実際にそうなんだってば。


「サーヴァインは仕事を探しているのですよ」

 唐突に、オジロは話を変えた。正確には、話を元に戻した。

「以前にも申し上げた通り、我々は押しかけ部下です。事情があって殿下のお世話になっていますが、いつまでもそれに甘えるというわけにはいきませんからね」

 意外な事実であった。

 それが本当なら、このお屋敷を出て行こうとしてるってことだ。殿下とも離れようとしてるってことだよね。


「もっとも、簡単にはいかないようですが」

「……どうしてですか?」

 サーヴァインは性格に難ありとはいえ、イケメンだし、体格にも恵まれている。

 元は貴人の護衛を務めていたというからには、それなりの技量もあれば、教養だって身につけているはずだ。

「原因は心的外傷です」

「?」

「簡単にいえば、彼は――それに我々も全員、とある事件の被害者なのです」

「とある事件?」

「悪名高い先代国王が玉座に即いていた頃、王都の貴族たちの間では『血の宴』なるものが流行しておりまして……」

「ちょ、待ってください」

 私はオジロの話にストップをかけた。

 血の宴って何だか知らないけど、ひどく不穏な響きであることは間違いない。軽い気持ちで耳を傾けたらトラウマになりそうな気がする。


 オジロは無理に話を聞かせたりはしなかった。私の反応を見て、

「失礼。ではやめておきましょう」

とあっさり言った。

「くわしいことはともかくとして。その事件の後遺症から、我々は外で普通に働くことが難しくなっているのですよ」

 その後遺症というのは、主に精神的なもので。

 ふいに事件の記憶が蘇ってきたり、突然、凄まじい無気力に襲われて体が動かなくなったりするらしい。


 率直に言って、信じられなかった。

 今、目の前で話しているオジロも、メイドとして共に働いているアイシェルも、私に本を貸してくれたニルスも。

 ごく普通に話したり、仕事をしたりしている。もちろんサーヴァインも、そんな心の傷を抱えているようになんて全然見えなかった。


 私の反応に、オジロは穏やかに笑ってこう言った。

「あなたは殿下の生い立ちをご存知ですか?」

「……少しは」

「正統なクォーツの血をその身に宿しているがために迫害され、時には命を狙われてきたことも?」

「……聞いています」

「数年前までは悲惨な戦場の只中におられたこともご存知ですね」

「……はい」

「では、今の殿下を見ていて、そういった苦労を想像できますか」

「…………」

 私は沈黙した。彼の言いたいことが理解できてしまったからだ。


 殿下は生い立ちの不幸とか苦悩とか、そういうものを周りに感じさせない人だ。

 いつも淡々として、マイペースで。人が好くて、親切で。

 じゃあ、全く苦しんでなどいないのか、心の傷を負ってもいないのかと言ったら、そんなわけはない。


 地下道で見た、火傷の痕。

 悪夢にうなされていた時、流した涙。

 かつては笑うことさえ忘れていたという、宰相閣下やハウライト殿下の言葉。


 きっと、一庶民の私には想像もできないような重荷を背負って生きてきた人なんだと思う。

 でも、それは見た目じゃわからない。わからなくて当然だ。

 人の生い立ちの苦労とか。境遇とか。生まれ持った宿命とか。

 幸福も不幸も、傍目にはけっして見えないものなんだろうから。


「殿下は我々に生きる意味を与えてくださった。あの方にお支えすることが、我々がこの世に存在する理由の全てです」

 前にも聞いたことがあるようなセリフを口にした後で、「ただ」とオジロは続けた。

「恩人である殿下にご負担をかけ続けることは、本意ではありませんので」

 いずれはここを出て行くつもりなのだという。それは彼だけでなく、サーヴァインやアイシェルも含めた全員の総意であるとかで――。

「あなたやクリスタリア姫のお邪魔はしませんよ。どうかご心配なく」

 クリア姫はともかく、私のお邪魔って何ですか。そう口に出そうとした時。


 ごとり、と音がした。

 私とオジロは、とっさに周囲を見回した。

 2階には今、私たち以外に誰も居ない。

 しかし、たった今聞こえた音はかなり近かった。具体的にいえば、私がついさっき本の山を片付けたばかりの廊下から。そこには誰も居ないのに、ゴト、ゴトと音がする。


 そして。

 あまりにも信じがたいことは唐突に起きた。

 目の前の壁が、動き出したのである。

 ガタゴト音を立てながら横向きにスライドしていき、最終的にはドア型の穴が開いた。

 中は闇だ。明かりも何もない、真っ暗闇。


 隠し部屋。その単語に、私が思い当たった時。

 部屋の中から、にゅっと人の手がのびてきた。

 白い手だ。ほっそりした指の、おそらくは女の手。

 ランプの光を受けて、キラリと光る古風な型の指輪。

 小柄で細い体。身にまとうのは暗色のローブ。目深にフードをかぶっているせいで顔はよく見えない。

 身の丈ほどもある、ねじくれた木の杖を持って。

 隠し扉の奥から、私たちの前にその姿を現す。


「魔女……?」

 私のもらしたつぶやきに、かすかに顔を上げてこっちを見る。

「おや、人が居たのか」

 発した声は、とても奇妙だった。

 若い女の声に、年齢不詳の男の声がエコーのようにかぶさって――。

 聞いた瞬間、背筋に冷たいものが走った。

 なぜだかわかってしまったのだ。それがこの世ならざる者の声だと。

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