275 騎士団の用件
そんなわけで、場所を書庫へと移し。
大量の古書が隙間なく詰め込まれた本棚と、棚に入りきらずにあふれた本が塔のようにそびえ立つ中、私たちは話を始めた。
……今にも崩れ落ちてきそうで、正直落ち着かないが。
お屋敷の外にはまだ騎士団が居る。彼らの目的がわからない以上、リビングでのんびりお話、というわけにはいかない。
なお、オジロの話によれば、突然押しかけてきた彼らの主張は以下のようなものであったという。
「市街地の巡回中、不審な人物を発見し、ここまで追跡してきた。不審者は宿屋から馬を盗んで逃げたのだが、途中で乗り捨てたらしい。先程、この近くの森でその馬を発見した。おそらく不審者はまだこの近辺にひそんでいるはずだ」
もしかすると既にお屋敷に忍び込んでいる可能性もあるので、念のため、中を確認したい、と。
近衛騎士たちはもちろん断った。
自分たちが警備にあたっている以上、万が一にも不審者など忍び込む余地はないし、必要があればこちらで確認する。騎士団の手を借りるつもりはない。
ごくごく当然の言い分に、なぜかミランをはじめとした騎士たちは引き下がろうとせず、「不審者を匿っているのではないか」などと言い出した。
「彼らはなぜ、そのようなことを……?」
とクリア姫。
「…………」
オジロは明らかに言いにくそうな顔をした。それを見て、「愉快な話ではないのだな」と察するクリア姫。
「仰る通りです」
オジロは重たい口調で話し始めた。
「彼らが言うには、その不審者というのは、先日、城で起きた火災の現場で目撃された人物である可能性が高いと」
「!」
クリア姫の表情が強張った。
先日、城で起きた火災といえば、私たちが巻き込まれた火事の他には考えられない。
クリア姫はダンビュラと共に決死の脱出をはかり、私は煙に巻かれて、あわやというところを殿下に助けられた。あの時の恐怖は、今も忘れがたい。
「その現場で、黒い魔女の紋章らしきものが見つかった――という話については、既にお聞き及びのことかと思いますが」
確かめるように問われて、クリア姫は首を縦に振る。
「兄様に聞いたのだ。まるで焼き印のように、地面に刻まれていたと」
魔女の紋章。あの、カラスが羽を広げたような形のマークか。
そういや火事の現場でも見つかったって、殿下が言ってた気がするな。くわしいことは聞いてないけど。
「その紋章が今朝、別の場所でも見つかったというのです。彼らの話が事実なら、東門のすぐそばの城壁に。人の身丈ほどもある大きさの印が、忽然と現れていたと」
王都を囲む城壁には、東西南北に門がある。
東門というのはいわずもがな、そのうち東側にある門のことだ。
私は、想像してみた。
門のそばなら当然、人通りも多い。そんな大きな印がいきなり現れたりしたら大騒ぎになるんじゃないだろうか。
「ただの騒ぎではすまないかもしれない」
年に似合わない深刻な表情を浮かべて、クリア姫が言う。「……魔女の紋章は、呪いの印とも呼ばれているから」
王国史上最悪の王と謳われる先代国王アダムス・クォーツが、その紋章を好んで使ったため。大勢の罪なき人々を処刑し、そのたびに魔女の紋章を城壁に掲げていたために。
30年も前の話である。
しかし王都には、今も当時のことを覚えている人たちが居る。虐殺と恐怖の記憶は、月日が過ぎても容易には消えないものなんだろう。
――先代が黄泉から戻ってきた――。
集まった見物人の中には、そんな怪談めいた噂をしている人まで居たらしい。
「けど、東門って……、ここからは随分遠くないですか?」
遠慮がちに口を挟んだのはニルスだった。「どうして、騎士団の人たちはわざわざこのお屋敷に……?」
変だよね。それに、もともとは「不審者を追ってきた」って話じゃなかったっけ?
「その不審者を発見したのが、東門のそばだったというのです」
騎士たちの話によると、彼らは市街地の巡回中に偶然、城壁に描き残された「魔女の印」を発見。周囲の聞き込みをしていたところ、挙動不審な人物を見つけ、職務質問しようとしたら逃げられた。
「で、そいつを追ってきたら、たまたまこの屋敷に着いたってか?」
ダンビュラが顔をしかめる。いかにも嘘くさいと言いたげに。
「そのわりにはあの兄ちゃん、最初から疑ってなかったか? 心当たりがあるだろうとか、離宮の魔女のたくらみがどうとか言って」
ハッと息を飲むオジロ。
同時に、クリア姫もまた。「……離宮の魔女? 母様が何か関係があるというのか?」
「それは……」
オジロはしばし言い淀んでいたが、クリア姫の強いまなざしに押されて話し始めた。
ここ最近、王都ではおかしなことが立て続けに起きている。
春でもないのに桜が咲いたり、黒猫やカラスが騒いだり、墓荒らしが出たり。
そしてそれらの場所では、必ずと言っていいほど「魔女の紋章」が見つかっている。
前述のように、不吉な謂われのある印だ。何かの災いの前触れでは、と不安に思う人も多い。その不安は、王都の人々の間に静かに広がって――。
そんな時、誰かが噂を流したのだ。
かつて国王陛下の愛する女性や子供たちを呪った「離宮の魔女」が、再び王都に災いをもたらそうとしているのだと。
「ただの言いがかりじゃないですか」
私はついつい大声を上げていた。
王妃様は呪いなんてかけてない。王様の側室や関係者は、勝手に権力争いをして勝手に殺し合ったのだ。
誰かが噂を流したって、その「誰か」こそが騎士団なんじゃないの?
王妃様の悪い噂を広めて、ご子息であるハウライト殿下やカイヤ殿下の評判を落とそうとして。
「おそらくはそういうことなのでしょうね」
オジロも私の意見に同意してくれた。
「彼らの言い分は、どうにも信じがたいというか……。そもそも、彼らの追ってきた不審者というのが……」
その人物は一見、子供のように小柄だった。
暗い色のローブを身にまとい、フードを目深にかぶって顔を隠していた。
そして古風な木の杖を持っていた。その人物の身長ほどに長い、ねじくれた木の杖を。
「ねじくれた杖?」
クリア姫が反応する。「それは城の宝物庫から盗まれたという『白い魔女の杖』なのだろうか?」
私は息を飲んだ。
白い魔女の杖。王国の秘宝である「魔女の七つ道具」のひとつ。
伝説の白い魔女が持っていた杖で、誰でも自在に魔法が使える――というほど便利な代物ではないが、それでも超常の力を持ってはいる、らしい。
オジロは「わかりません」と首を振った。
「そもそも不審者の存在自体が事実とは限りませんので。嘘をもっともらしく見せるため、いくばくかの真実を混ぜておくというのはよくある手段ですし……。単に自分たちの主張を通すための作り話という可能性もあります」
「そ、そうか。確かに……」
とうなずくクリア姫。
結局、何が起きているのか。今の私たちにはわからない。
騎士たちが本当のことを言っているのか、嘘だとしたらその目的はどこにあるのか。
不安に思いながら、互いに顔を見合わせる他なかった。




