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魔女の末裔~新米メイドの王宮事件簿~  作者: 晶雪
第十二章 新米メイドと魔女の杖
273/410

272 儀式の前日

 その日、お屋敷の周囲は異様な緊張感に包まれていた。

 玄関前にずらりと整列した近衛騎士たち、その数ざっと数十人。

 先頭には、殿下の腹心の部下である近衛副隊長のクロサイト・ローズ様。その後ろにはジェーン・レイテッドやクロムら、知った顔も見える。


 青藍祭最終日、の前日。

 今日はこれから例の儀式が行われる最古の礼拝堂で、明日のためのリハーサルがある。

 本来は非公開だが、それでも毎年見物希望者が跡を絶たない人気の催しで、会場周辺には当日並みの警備が敷かれるんだそうだ。


 私は兄殿下のお見送りをするクリア姫と共に外に出て、メイドらしく楚々として控えていた。

「兄様、お気をつけて」

「ああ、行ってくる」

 殿下は妹姫に声をかけた後、なぜか私の方にも視線を向けた。


 今日は人前に出るためか、いつもの怪しい黒づくめスタイルではなく、正装している。

 白を基調に、要所に銀の縫い取りがある、近衛騎士の制服に少し似た服。

 王家の正装としてはスタンダードなものなのだろうか。前に、ハウライト殿下も似たような格好をしていた気がする。

 光沢のある青いマントを肩にかけ、腰には儀礼用の美しい剣を差して。


 まあ文句のつけようもないくらいかっこいいんだけども、殿下に白ってなんか違和感があるな。

 似合わないのではない。単に見慣れないというだけなのだが。


「エル・ジェイド」

 名前を呼ばれた。

 殿下はやけに真剣な顔をしていた。もしくは神妙な顔と言うべきか。まるで叱られた子供みたいに。

 なんでそんな顔をしているのか知らないが、ただ黙っているのも決まりが悪い。

 ひとまず「お気をつけて」と言葉をかけると、殿下はかすかにうなずいて見せた。

「ああ、約束は守る」

 けして大声ではなかったが、この人の声は騒がしい場所でもよく通る。


 周囲の視線が集まった。

 整列した近衛騎士たちも、見送りに出ていたお屋敷の人たちも。

「今のはどういう意味だ?」と言いたげな目を私に向けている。

 クリア姫もちらりとこっちを見たが、すぐにまた兄殿下の方に向き直った。

「それでは、いってらっしゃいませ」

「ああ。夕食までには戻る」

 緊張感のないあいさつを残し、殿下は出発した。

 ぞろぞろと付き従う騎士たち。だから私に視線が集まっていたのは一瞬だった。

 お屋敷の人たちも、約1名を除いては不審そうな顔をするでもなく、それぞれの持ち場に戻っていく。

 しばらく私の方をにらんでいたその1名も、執事のオジロに促されて、不満げながらも立ち去った。


 私も仕事に戻ろうとしたら、

「エル」

 ……クリア姫に呼び止められてしまった。

 こちらも、妙に真面目な顔をされている。先日、秘めたる胸の内を私に告白した時のように。

「すまないが、尋ねたいことがあるのだ。これから私の部屋まで来てもらえるだろうか?」


 尋ねたいことって何?

 今の会話には、別に深い意味なんてありませんよ?


 そう言い訳したかったが、言葉が出てこない。

 真剣すぎるほど真剣なその目に気圧けおされて、

「……はい」

とうなずくことしかできなかった。


 クリア姫の後について彼女の部屋に向かい、

「まずは座ってくれ」

と促されるまま席につく。


 もとは客間だった部屋には、歓談用のテーブルがある。4人掛けで、少し古びてはいるが、高級感ただよう美しい家具だ。

 このお屋敷に来てから、何度かここでクリア姫とお茶をした。私が焼いたお菓子をつまみながら、クリア姫が好きな本の話などをした。

 でも今は、そんななごやかな空気はどこにもなく。

 幼い顔に張りつめた表情を浮かべて、クリア姫は口をひらいた。


「本当は、こんなことを聞くべきではないのだが……」

「……何ですか?」

 こわごわ聞き返すと、

「エルには、将来を約束した人が居るか?」

 一瞬、私の目が点になった。

 先程の殿下とのやり取りについて聞かれるのかと思ったら、いきなり「将来を約束した人」?


「えーと、別に居ませんけど……?」

 戸惑いながらも、事実を回答する。しかしクリア姫は納得できないという顔で、

「バザーの時に会った警官隊の――カルサ殿だったか? 気のせいでなければ、エルに好意を持っているように見えたのだが……」


 珍しいな、と私は思った。

 クリア姫はこれまで、こういう立ち入った質問をしてきたことはない。

 バザーの時だって、恋バナ好きの叔母上様がくわしく聞きたがるのを止めてくれたくらいだ。

 なのに、どうして今そんな話を? やっぱり何か誤解されているのか?


「特別な関係ではないです」

「…………」

「……あの時は、その、返事を聞かせてほしいと言われて。少し前に、一緒にお祭に行かないかと誘われたので」


 するとテーブルの下から、「ほほー」と冷やかすような声がした。

「ちょ、ダンビュラさん、居たんですか?」

「最初から居たよ」

と言いつつ、のそのそと這い出してくるダンビュラ。

 姿が見えないと思ったら、テーブルの下で寝ていたようだ。

 さっきバケツの水をかけてしまったしましまの毛並みは、どこかでひなたぼっこでもしてきたのか、キレイに乾いている。


「で、誘われてどうしたんだ? ふったのか、遊びで付き合うことにしたのか?」

 人のことを何だと思ってるんだ、この山猫もどき。

 反論したいけど、本当のことは言いにくい。お祭の件は、成り行きでOKしたような形になってしまっているとか、当のカルサは行方不明だとか。返事に困っていると、

「ダン、失礼なのだ」

とクリア姫が止めてくれた。


「何だよ。最初に聞いたのは嬢ちゃんだろ?」

「……そうだな。すまない、エル。おかしなことを言って」

 別に謝ってもらわなくてもいい。ただ、質問の意図が知りたい。


「…………」

 クリア姫はもじもじと指をこねた。恥ずかしそうに視線をさまよわせて言うことには、

「エルは、兄様のことが嫌いか?」

「はい?」

「今は特別な気持ちを持っていないということはわかっているのだ。兄様はエルの好みではないことも。でも、それは見た目の話だろう? 中身はどうだ? 今後も好きになる可能性は全くないのだろうか?」


 え、ちょ、待って。待ってくださいよ。

 クリア姫はカイヤ殿下のことが好きなんですよね?

 寝ている殿下に、私が付き添っているのを見ただけでショックを受けてしまうくらい、強く想っているのですよね?

 なのに、その言い方はまるで――私に殿下のことを好きになってもらいたいみたいな――。


「なんだ、どうした? 一晩たって気が変わったのか?」

 ダンビュラも目を丸くしている。「殿下に他の女が近づくのは嫌だったんじゃないのか?」

 クリア姫は護衛のセリフにうつむいて、

「私も、今のままではいけないということはわかっているのだ。兄様のことが好きだからこそ、兄様に幸せになってほしい……」


 大切な人の、幸せを願う気持ち。

 それはわかる。理解できる。ただ、そこから上記の流れになる理由が全くわからない。


「それは、つまり。……兄様がエルに好意を持っているのではないかと、そう感じたからだ」


 殿下が、私に?

 ないないない。そんなことはありえない。

 殿下はお人よし、じゃなくてお優しいから、わけありの自分を気にかけてくださっているだけですってば。


「兄様は誰にでも優しいわけではないのだ」

「確かに、親父とかには冷たいよな」

 それは当然だと思う。世の中には、優しくしてはいけない人間、優しくすると食い物にされる危険な人種も居るのだから。


 王様の話題はスルーして、クリア姫は話を続ける。

「兄様が優しくするのは、自分がそうしたいと思った相手にだけだ」

 好ましく思った相手には親切にする。ある意味、誰でもやっていることだと主張する。

「ただ、兄様は幼い頃から苦労されているから」

 平穏な暮らしや幸福というものが、非常に得がたいものであるという実感が強い。

 だからそれを失いそうになっている人間を見ると放っておけず、何としてでも助けようとする。

 殿下の事情を知らない人間には、それが常識を越えて人がいい、とうつるのではないか――。


 よくわからないけど、それってやっぱり優しいってことなのでは?

 他人事なのに、放っておけない。我が事のように助けようとするのだから。


「それは好意とは違うのではないかと……」

「だよな」

 ダンビュラもうなずいた。「殿下は別に、あんたに惚れてるからあれこれ世話を焼いたわけじゃねえだろ」

 同意を得て、ホッと一安心したのもつかの間。

「少なくとも、最初のうちはな」

とダンビュラは付け足した。

「……どういう意味ですか?」

 尋ねても答えはなく、代わりに「今朝のアレは何だ?」と聞き返された。

「きのう殿下と2人で出かけて、何かあったんじゃないのか?」


 何かって何。そんな意味深なセリフを、クリア姫の前で言わないでほしい。

 少し散歩しただけ。相談に乗ってほしいと頼まれただけで、艶っぽい事態は皆無だ。

 それどころか、一昨日いっさくじつに続いて余計なことを言ってしまった。立場もわきまえず、苦言を呈してしまった。


「あー、なるほどな」

 私の説明に、ダンビュラはなぜか納得顔で、「やっちまったな、あんた」とまたしても意味のわからないことを言った。

「だから、どういう意味ですか?」

 1人で納得していないで、ちゃんとわかるように説明してほしい。


「要は、あれだ。殿下は他人に叱られるのが好きってことだよ」

「はああ?」

「ダン。その言い方は誤解を招くのだ」

 クリア姫が顔をしかめる。

 別に、殿下に特殊な趣味があるとか、そういう話ではなくて。

「つまり、兄様にとって、自分を叱ってくれる人というのは特別な存在なのだ」

「?」

 私が尚も不理解の表情を浮かべていると、クリア姫は少し考えてからこう言った。

「私にとっても、そうかもしれない。兄様たち以外で、叱ってくれる人というのはほとんど居なかったから」


 叱るというのは、基本、面倒くさい行為だ。大抵は相手のことを思ってそうするにも関わらず、感謝されることは滅多にない。

 嫌がられるか、鬱陶しがられるか。ひどい時には恨まれることさえある。

 そんな面倒を厭わずに叱ってくれる人間といえば、すぐに思いつくのは親だけど、

「私は、母様に叱られた記憶がない。もちろん父様にも」

 その理由は察しがついた。王妃様のことは、先日、殿下に話を聞いていたから。

 優しいわけではない。叱らない子育てを実践していたわけでもない。

 要は、無関心だったからだよね? 自分の子供に何かを教えたり、諭したりするつもりがなかったからだよね?


「離宮に居た頃、私を叱ってくれたのはメイド長だった。彼女はいろんなことを教えてくれた――」

 自室に引きこもったままの王妃様の代わりに、時に優しく、時に厳しく、教え導いてくれた。


 私はその人に会ったことはないが、何度か話に出たので知っている。彼女が書いたという、お料理レシピも持っている。

 すごくわかりやすく丁寧にまとめてあって、見知らぬ彼女の人柄が伝わってきた。

 真面目で、几帳面で、そして愛情深い人なのだと思った。クリア姫の好きな料理やお菓子もたくさん載っていたし。


「前から思っていた。エルはそのメイド長に少し似ていると」

「……私が?」

「って、似てないだろ」

 即座に反論するダンビュラ。

 彼いわく、知的で上品で、落ち着いた雰囲気の美女だったとのこと。……その通りなのだとしたら、私とは真逆の存在である。

 しかしクリア姫は引き下がらない。


「彼女はいつもまっすぐで凜としていた。穏やかでも、言うべきことはきちんと言う人だった」


 そのメイド長は、少年時代のカイヤ殿下にとっては恩師でもあった。 

 貴族出身の才女で、離宮で暮らしていた頃の殿下に、学問の指導をしたのだ。

「兄様は彼女のことをとても尊敬していた」

 その話も聞いたことがあるな。……ついでに、初恋の人だった、みたいなことを叔母上様が言ってた気がする。

「……好きだったかどうかはわからない。ただ、憧れてはいたと思う」


 そのメイド長と私が似ているから、殿下が私に対しても好意を持っているんじゃないかと、そうお考えになったわけですか?


 くどいようだが、ありえない。

 私は才女ではないし、大した学もない。

 叱ってくれる人間が貴重だという話はわからなくもないが、果たしてそれが好意にまでつながるものかな。

 正直、殿下ほどのハイスペックイケメンがそれくらいのことで? って思ってしまう。


「それくらいのこと、って言うけどな」

 ダンビュラはあきれ顔になった。

「殿下みたいな人間を素で叱り飛ばすような奴が、そうそう居ると思うなよ、あんた」

 王族であり、第二王位継承者であり、救国の英雄であり。そしてそう呼ばれるようになるまでは不遇な身の上であった。

 他人といえば迫害してくるか、関わりを避けられるかのどちらかだった。色々と面倒くさいものを背負った人生なのだ。


「クロムの馬鹿はその点、何も知らなかったからな」

 ふいにダンビュラの口から、彼と仲が悪い近衛騎士の名前が出てきた。

「あいつ、前線の砦に居た頃、殿下の世話係をやらされてたらしいんだが――」

 クロムは下町育ちのチンピラ上がり。貴人の世話など、面倒なだけの仕事だった。当然、カケラもやる気を持ち合わせてはいなかった。

 ただ、その頃の殿下は、今にもまして常識がなく、世間知らずで危なっかしかったそうで。

 見かねたクロムが雑に叱り飛ばすと、なぜだか妙に懐かれてしまったのだという。


「そんなことがあったのか……」

 クリア姫にとっても初めて聞く話だったようで、驚きながらも納得している。

「だから兄様はクロムのことを信頼しているのだな。よくわかったのだ」

「不思議だったんだろ。なんであんなゴロツキ野郎と仲良くしてるのかって」

「そ、そんな風には思っていない……」


 わりと興味深い話ではあったが、私は混乱していた。

 要するに、「叱る」という行為が、殿下にとっては相手への信頼や好意につながることもありえると……?


「もちろんエルの気持ちが第一だということはわかっている。でも、もしも兄様のことが嫌いでないなら……。少しだけ、考えてみることは可能だろうか」

 クリア姫は真顔でそんな風に仰る。

 きのうの今日でこんな展開になるなんて、全くもって予想外だ。


「私などでは、全く、本気で、釣り合いませんので」

 平民生まれの田舎育ち、実家はごく普通の居酒屋。

 見た目は平凡、能力も人並み。どこから見ても王国の第二王子にふさわしい相手ではない。


「それに、殿下は結婚の意思はないと仰っていましたし」

 先日聞かされた話を、勢い余って口にしてしまう。

「……知っているのだ」

 クリア姫は暗い顔をしてうつむいた。

「カイヤ兄様は、ハウル兄様のためにそう決めたのだ。この先、王位を巡って争うことがないように。でも、それが正しいことなのかどうか、私にはよくわからない……」


 まあ、そうですよね。

 本人は平然としていたけど、家族としては複雑だと思う。

 ハウライト殿下だって、色々と危なっかしい弟に良き伴侶が見つかれば安心するんじゃないかな。無論、その「良き伴侶」というのは平民生まれのメイドとかではなくて。


「私は、ほら。宰相閣下にも嫌われてしまいましたし」

 苦しまぎれに放った一言に、クリア姫とダンビュラは顔を見合わせた。

『……確かに……』

 その通りだと、そろってうなずいて見せる。

 宰相閣下は、自分に敵対する者、邪魔な者、そして殿下にあだなす者には容赦ない。

 この上、私と殿下が恋仲にでもなった日には、

「本気で消しにかかるかもな」

「……それは、否定できない」

 私は深々と頭を下げた。

「謹んで、辞退させていただきます」


「…………」

 しばらくの間、何とも言えない沈黙が室内に満ちて。

「すまない、もうやめにしよう」

 やがてふっとため息をついたのはクリア姫だった。

 おかしなことを言い出してすまなかった、今の話はどうか忘れてほしいと謝ってくれる。でも。

 気のせいでなければ、その顔には、まだほんの少し、未練が残っているような……。

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