270 変化の兆し
活動報告でもお伝えした通り、次章の投稿については、もう少し準備にお時間をいただくことになりそうです。
なので、以前にもそうしたように、次章冒頭のみ先に公開することにしました。
本日より4日間、1日1話ずつ更新予定です。
「うう~……」
頭が痛い。朝起きた時からずっと、ずきずきという鈍い痛みが止まらない。
夜のうちに降った雨も上がり、リビングにはまぶしい朝日が差し込んでいる。
さわやかな朝だ――しかし気分は最悪だった。
悪夢の後のような、二日酔いでもしたかのような。
原因はわかっている。
昨夜聞いた、クリア姫の告白。その後、カイヤ殿下が話してくれた王妃様のこと。それにカルサの話。
いろんなことを、ぐるぐる考えながら寝た結果がこれだ。
眠りが浅かったのだろう。ろくに疲れがとれていないし、何だかおかしな夢を見たような気もする。頭がぼうっとして、ひどく気だるい。
当然、仕事にも支障が出てしまった。
アイシェルと一緒に朝ごはんの支度をしつつ、「もしかして具合が悪いんですか」と心配されてしまったし、拭き掃除の途中でバケツの水をひっくり返して、床で寝ていたダンビュラを濡れ猫にしてしまったりもした。
それでも食事の支度、食器洗い、掃除、と一通りの家事をこなし。
裏庭で1人、洗濯物を干している時のことだった。
「エル・ジェイド」
声に振り向けば、殿下が立っていた。やけに真剣な面持ちで歩み寄ってくると、「今朝はどうかしたのか? おまえにしては珍しく――」
「……珍しく?」
「朝食の味付けが濃かった」
「…………」
言われてみれば確かに、みんないつもより水を飲んでいたかもしれない。
私も同じものを食べたのに、全然気づかなかった。
舌まで馬鹿になっているなんて、これは相当やばい。申し訳ありませんと頭を下げると、殿下は「謝罪の必要はない」と首を振った。
「あの程度は許容範囲だ。おまえが来るまで、皆、食事には不自由していたからな。サーヴァインですら感謝している。おまえのおかげで、毎日まともな食事にありつけるようになったと」
って、あの偏屈男が私に感謝するほど? 今までどんだけ不自由してたんだ。
お屋敷の人たちが家事とか得意じゃないって話は聞いているけど、殿下はお料理上手なのに……ああでも、いそがしい人だからな。すぐに食事を抜く悪癖もあるし。
「だから多少、塩気が濃いくらいで騒ぎはしないが……、だいじょうぶなのか?」
率直に問われて、返事に困る。ゆうべ色々とややこしい話を聞かされたせいです、なんて言えないし。
「ちょっと、その……、夢見が悪くて」
適当にごまかすと、殿下は「そういえば」と何かを思い出したような顔をした。
「夢といえば、昨日は世話になったな」
「?」
「俺が悪夢にうなされていた時、付き添っていてくれただろう? その時の礼をまだしていなかった」
「あー……」
正直、それについてはお礼とかいらない。むしろ忘れてくれた方がよかった。あの時はうっかり頭をなでてしまったりしたので、話題にされると非常に気まずい。
「おまえの手は、とても温かかった」
だから、話題にされると気まずいんだってば。
「まるで兄上の手のようだった」
……や、待って。私の手ってそんな大きい? ハウライト殿下はしゅっとしてすらっとした人だけど、体格はいい方だ。女性のように華奢な手をしているわけじゃない。
私の困惑に気づかず、殿下は懐かしそうに目を細めている。
そういや、子供の頃はハウライト殿下が親代わりだった、とか言ってたな。つまり殿下的には「母親の手のようだった」という意味なのだろうか?
「……殿下はだいじょうぶなんですか?」
あの時はすごく顔色も悪かったし、つらそうだったけども。当人は「問題ない。よくあることだ」と首を振る。
「このところずっと、屋敷に籠もっていたからな。悪夢など見るのは、疲れがたまっている時だ」
殿下は午前中の陽差しにまぶしそうな顔をしつつ、「少し出かけないか?」と言い出した。
「おまえも慣れない場所でよく働いてくれている。疲れもあるだろう」
だから気晴らしも兼ねて、遠乗りにでも行かないかと。
「遠乗り、ですか?」
いきなり何を言い出すかな。私と殿下が、2人で出かけるわけ?
「無論、護衛も連れて行く」
問題なのはそこじゃなくて。……そんなデートの誘いみたいなセリフ、気軽に口にすべきじゃないってことだ。
もちろん私は、殿下にそんなつもりがないのは理解している。
でも、中には誤解する人もきっと居るだろうし。
今後、余計なトラブルを招かないためにも、ちゃんと教えてあげた方がいいかもしれないな。
そう思ったので、私ははっきりと指摘した。
人によっては、逢い引きと勘違いするんじゃないかと。
誤解の余地がないよう、極めて明確に告げた。
「…………」
殿下はしばし固まっていた。
「そう、か……」
やがてゆっくりと口をひらくと、私から視線をそらす。その頬が少し赤い。
「単におまえと出かけたい、と思っただけなのだが……。それはつまり、そういうことになるのか……」
おおい。なんでそこで赤面する。
単に、そう思う人も居るかもしれない、ってだけの意味だってば。殿下にその気がないことはわかってるってば。
つられて赤くなる私に、殿下は言った。
「話を聞いてほしかった。昨夜、あれから考えてみたのだが――」
妹姫の秘めたる悩みについて。自分は何をすればいいのか、これから妹にどう接していけばいいのか。いくら考えても、答えは出なかったらしい。
「俺は他者の気持ちを察するのが不得手だ。その点おまえは、自分の考えや思いを明確に言語化してくれる」
だから相談に乗ってほしい、とのことだけど。
「私は相談相手としてふさわしくないのでは……」
事実をはっきりと口に出せば、確かに誤解は生じにくい。
けれども、率直過ぎる言葉は人を傷つける。きのうの私がまさにそうだったじゃないか。
殿下は「話を聞いてくれるだけでいい」と食い下がる。
……まあ、そこまで仰るなら……。昨夜は言い過ぎてしまったから、その埋め合わせもしたいし。
遠乗りは無理だが、お屋敷の近くを散歩しながら話を聞くくらいなら構わない。
そう答えると、殿下はやけに嬉しそうに瞳を輝かせた。