26 ふつつか者ですが、よろしくお願いします
結局、その夜は「魔女の憩い亭」に泊めてもらった。
セドニスいわく「物置みたいな部屋」は、確かに使っていない家具やら物入れやらが積み上げられていて手狭だったが、ちゃんとそうじも行き届いており、ベッドもキレイだった。
おかげで疲れもとれたし、今後のことを落ち着いて考えることもできた。
カイヤ殿下の仕事を、受けるか受けないか。
……まあ、なんだ。
結論はだいたい出てるんだけどね。
あの王子様は、何を考えているのかよくわからないし、言動が微妙にズレてるっていうか――失礼を承知でいえば、かなり変わった人だと思うけど。
悪い人には見えない、よね。
人を雇うと見せかけてサギにかけ、売り飛ばそうとする貴族も居るのだ。それに比べたら、よほどマシな雇用主と言えるだろう。
仕事の内容自体は、住み込みのメイドで、勤め先はお城、と文句の付けようもない。その上、お給金をはじめとする待遇はかなり良さげなのだ。
殿下に確認する暇がなかったので、参考までに前任者の待遇をセドニスに聞いてみたら、「個人情報に関わるので教えられない」とか言いつつ、「おそらくこのぐらいの条件だろう」というのを答えてくれた。
破格、とは言わないまでも、王都に出てきたばかりの小娘にとっては、かなりの好条件だった。
お仕えする相手が王族っていうのが、ちょっと怖いような気もするけど。まあ、12歳の子供だっていうし、そこは何とかなるかな?
色々と、不安はあるものの。ひとまずは、あの変わり者の第二王子殿下に雇われてみようと思う。
ただ、問題は。
他でもない、私が王都に出てきた「事情」について、このまま伏せておけるのかってことだ。
さっきは「無理に聞く気はない」とか言ってくれたけど、あの王子様のことだし。「また気が変わった、やっぱり話せ」となることもありえる。
結局のところ、殿下が私の「事情」をどういうものだと捉えているかによると思う。
単にプライベートな話だから言いたくないのか、それとも後ろ暗い秘密を抱えているのか。
……後者だと思っているなら、さすがに可愛い妹姫様のメイドに雇うわけないし、多分前者なんだろうけど。
実際は、両方なんである。個人情報に関わる、後ろ暗い事情だから伏せておきたいのだ。
誤解のないように言っておくと、私自身は極めて真っ当に、他人様に恥ずかしくない生き方をしてきたつもりだ。
ただ、7年前、父が姿を消した際、いささか血なまぐさく、穏やかでない事件が起きた。
故郷では迫害の憂き目にあうこともなかったが、それは私の祖父が地元では信用のある人だったからで、そうでなければ、家族が村八分にされる事態もありえた。それくらい、凄惨な事件だった。
もしも殿下が知ったら……多分、「この話はなかったことに」という展開になる。きっとなる。
言わずにすむならそうしたい。でも、仮に話せと言われたら、今更ごまかすのは無理だ。
どうしたものかと思い巡らせているうち、いつしか眠りに落ちていたようだ。気がつけば、朝を迎えていた。
カイヤ殿下は、約束通りに現れた。
早朝、まだお店が開く前の時間帯で、店内はがらんとしている。
「何度も時間をとらせてすまんな。それで、契約の件だが――」
「殿下。目の下にクマができてますよ」
あいさつも抜きに、私は言った。
何事もなかったように振る舞っているけど、顔色は良くないし、目のふちが赤い。どう見ても一睡もしてないって顔で、仕事の話どころじゃないでしょ。
「まずは座ってください。それで、少しでも休んでください。若いからって、無茶してると死にますよ」
ちょっとお節介かもしれないとは思ったが、雇われると決めた以上、相手はご主人様だ。ならば、多少の世話焼きも許されるはずである。
「セドニスさん、殿下にお茶。食べ物」
私は職安のカウンターに向かって声を張り上げた。そっちで開店の準備をしていたセドニスが、無言のため息と共に席を立つ。
「あいにく、この程度でどうにかなるほどヤワではないつもりだが……」
「いいから座ってください」
もう1度言うと、殿下はおとなしく席についてくれた。
セドニスが湯気の上がるカップをお盆に乗せてやってきた。
「まずは、温かいスープを召し上がってください。その様子だと、昨夜持ち帰られた食事も手をつけていませんね」
「暇がなかったからな」
そう言って、素直にカップを口元に運ぶカイヤ殿下。「あのサンドイッチは、クロサイトの夜食になったはずだ。無駄にはなっていないから安心しろ」
スープを飲んで、「……うまいな」と一言。
ほっとしたような表情は意外に幼い。
無駄に落ち着き払ってるせいで年齢不詳に見えるけど、多分まだハタチをいくつか出たくらいだよね、この人。
「ゆうべは大変だったんですか」
いかにも疲れた様子でスープを飲む姿を見ていたら、そんな言葉が自然と口からこぼれた。
殿下はちらっと目線を上げて私の顔を見る。
「すみません。聞いたらまずいようなことなら聞きません」
王様が暗殺されかけたとかいう物騒な話について、くわしく聞きたいわけではない。ちゃんと言っておかないと、この人、またぶっちゃけ話を始めてしまいそうだ。
「ただ、疲れて愚痴とか言いたい気分だったら、聞きますよ。……っていう程度です」
「そうか」
殿下は私の言葉に小さくうなずいて、「俺は察しがいい方だと誤解されることが多いのだが」
「……そう、なんですか」
誰がそんな誤解をしたんだろ。確かに頭はよさそうな人だけど、
「実際は、人の気持ちを読むのは、かなり不得手な方だと思う」
うん。その方が納得できる。この人と話すと、なんか調子狂うし。
「だから、今のように発言の意図を明確にしてくれると、助かる」
つぶやいて、スープをもう一口。
殿下と話す時は、発言の意図を明確に。つまり、空気を読んでくれ的な態度はとるなってことね。覚えておこう。
セドニスは「朝食を持ってきます」と奥に引っ込んだ。その背中を見送ってから、殿下はあらためて私に向き直り、
「それで、仕事の件だが」
ああ、はい。そうでした。
「返事を聞かせてくれるか。俺の妹のメイドとして働く気があるのかどうか」
「あります」
私はこれ以上ないほど明確に返答した。
「誠心誠意、働かせていただきます。どうか、今後ともよろしくお願いします」
深々と頭を下げる。
殿下はちょっと虚を突かれたみたいに沈黙していたけど、
「……そうか、よかった」
一瞬後、その表情から力が抜ける。
「なんか、驚いてます?」
私が断ると予想していたんだろうか。
殿下は軽く首肯して、「随分迷っていたようだからな。否、と言われるのも覚悟していた」
「それは……、まあ、正直迷いましたけど……」
セドニスが朝食を持って戻ってきた。
パンとジャム、スクランブルエッグとサラダ、それに紅茶と、標準的な朝食メニューだ。
私も先程、同じものを出してもらっている。内容は普通でも、味の方は標準以上だった。おかげで食後の紅茶を口にする頃には、殿下の顔色もだいぶ良くなっていた。
先に食事を終えていた私も、紅茶だけはご相伴させてもらうことにした。
香り立つ真紅の液体に角砂糖をふたつ。
甘さと温かさが鼻腔を満たす。はあ、癒される。
「そういえば」
同じく紅茶を飲んでいた殿下が、ふと思い出した風に言った。
「おまえが隠していた、例の――どうしても貴族に雇われたいという事情についてだが」
不意打ちに、紅茶にむせそうになった。
「もしかすると、おまえの父親に関わることか?」
いきなり核心を突かれて、私は目を剥いた。
いったいなんで、そんなことがわかったの?
「当たったのか」
殿下はむしろ意外そうな顔をした。
「そうか。いや、根拠というほどのものはない。ただ……、昨夜クロサイトに家族全員分のサインを頼んでいただろう?」
祖父母と母、弟と妹の名前。その中に、父親が含まれていなかったこと。
早くに亡くなったのかもしれないし、母親と別れたのかもしれない。だからそれほど不自然だとは思わなかったが、「なんとなく気になった」と殿下は言った。
「もしや、父君は貴族だったのか?」
その質問はつまり、私が貴族の落とし胤だとでも思った? 会ったこともない父を探して、王都に出てきたとか。
あいにく、そんなお涙ちょうだい的な話ではない。
「違います」
殿下は黙って私を見た。続く言葉を待っているみたいな沈黙だった。
やっぱり、話さないとダメか……。
しかし、あに図らんや。
殿下はすぐに視線をそらし、「無理に聞く気はないが」ときのうも聞いたセリフを繰り返した。「気が向いたら話してくれ。俺にできることがあれば力になる」
そして何事もなかったようにウエイターを呼び、紅茶のおかわりを頼んでいる。
私はついまじまじとその横顔を見てしまった。
……この人って。
なんか無表情だからわかりにくいけど、実はけっこうお人よし?
無理に聞く気はない、って本心なんだ。ってことは、力になるというのも本気で言ってくれているんだろうか。王子様がメイド風情に親切にしたって、何の得にもならない気がするけど……。
「どうした」
横顔をガン見していたら変に思われたようだ。
「あ、いえ」
とっさに目をそらす。
確かに私は真っ当な生き方をしてきたつもりだ。お天道様に顔向けできないようなことはしていないし、今後もするつもりはない。
とはいえ殿下から見れば、出会ったばかりの、素性もよく知れない小娘である。そんな簡単に信用しちゃっていいのかな、と思うけど。
できれば事情を話したくないのは事実だし、殿下がいいと言うのなら甘えさせてもらおう……。
なんか、モヤモヤする。なんだろう、この気持ち。
「あの、精一杯働かせていただきますので、よろしくお願いします」
やや唐突なあいさつに、殿下は少し不思議そうな顔をしたけど、「わかった」とうなずいてくれた。
こうして私は、お人よしで変わり者の第二王子殿下に仕えることになったのである。




