264 王妃の真実1
何もできない無力感を抱えて、私はクリア姫のお部屋を辞した。
たった今聞いた話を、頭の中で繰り返しながら。空の食器とお鍋が乗った台車を押しつつ、ふらふらとリビングに戻る。
そこに、カイヤ殿下が居た。
「遅かったな」
私の姿を見るなり椅子から立ち上がり、早足で近づいてくる。
「え、どうして……」
「おまえがクリアの部屋に食事を運んでいくのを見たからな。戻ってくるのを待っていた。それで、クリアの様子はどうだった? 何を話していた?」
待って待って。心配なのはわかるけど、そう矢継ぎ早に質問されても困る。
そもそも、殿下には言えないことばかりだし。
ひとまず夕食は食べてくれたこと、あまり元気がなくて悩んでいる様子だったことを報告する。
「……それだけか?」
殿下の瞳に浮かぶ疑念の色。
まあ、それなりの時間、お部屋に居たからね。もっと他に言うことはないのかと疑問に思うだろう。
「えーっと、他には……」
何かなかったっけ。クリア姫の秘密にはふれない、この場で言っても差し支えない話。
「気を遣わなくていい。事実をありのままに言ってくれ」
そういうわけにはいかないのである。
「俺がクリアの機嫌を損ねるような真似をしたのだろう? 具体的には何がまずかった?」
困ったな。本当のことを言うわけにはいかないが、このまま何の説明もなしでは、殿下が気の毒だ。
「……殿下の責任ではないと思います」
今回の件に限っていえば、偶発的な事故みたいなものだ。
「本当か?」
「はい」
「本当に、俺の責任ではないのか?」
「はい。……強いて言うなら、寝る時はご自分の部屋でお願いします」
「………? わかった」
殿下はよくわからないって顔をしていたけど、私がデタラメやごまかしを口にしているわけじゃないことは理解してくれたみたい。素直にうなずいて、リビングから出て行った。
1人になった私は、使った食器の後片付けをしながら、今し方クリア姫から聞いてきた話の内容について考えてみた。
殿下のことが好き、という件についてはちょっと置いておくとして。
彼女の悩みには、「自分が魔女」かもしれないという思い込み、あるいは恐怖が大きく関わっているようだ。
それは「母親が魔女」という話と、無関係ではない気がする。
何度も「信じていない」と口にした例の噂も――ひょっとしたら、心のどこかで、本当だったらどうしよう、と恐れているんじゃないだろうか。
「王妃様って、どんな人なんだろ……」
私が王妃様について知っているのは、前にパイラに聞いた噂だけ。
今から15年前、王宮を出て、離宮に移り住んだ。以来、そこで暮らしている。病弱で閉じこもりがちである。夫である国王陛下との仲は冷え切っている。
偉大な先々代の国王陛下の孫で、正統なクォーツ王家の血を引いている。にも関わらず、その扱いは不遇で、「忘れられた王妃」なんて呼ばれたこともあるらしい。
ここまでだと、薄幸の美女、というイメージしかない。
ただし、殿下は王妃様のことをこう言った。「人間性に色々問題がある」と。同じく、ダンビュラはこう言った。「あのクソ親父の連れ合いだぞ?」
「母上がどうかしたのか?」
聞こえた声に、私はぎょっと顔を上げた。
いつのまにか、リビングの入口にカイヤ殿下が戻ってきていた。使用済みの食器が乗った台車を押しながら。
……そういえば、さっき殿下にも食事を届けたんだった。
先程リビングを出て行ったのは自室に戻ったわけではなく、単にこれを取りに行っただけだったらしい。
「ああ、いえ、その……。別にどうしたというわけではないんですが……」
クリア姫に話を聞いたとは言えないので、私は適当な言い訳を口にした。
「少し気になっただけです。お城に居た頃、あまり良くない噂を聞いたので……」
「?」
殿下はちょっと目を細めて、私の顔を凝視した。
あ、ヤバイ。嘘がバレたな。
「クリアが母上のことを、何か言っていたのか?」
「いえいえ、そういうわけでは」
すぐに否定したが、殿下はやはり私の顔をじっと見つめてくる。
「クリアに口止めされたか? 俺には話すな、と」
「……っ!」
「それならそれでいい。隠し立ての必要はない」
「……すみません」
「いや、謝る必要もない」
そう言わずに、ここは弁解させてほしい。
「さっき言ったこと、半分は嘘じゃないです。王妃様の良くない噂を聞いて、『私が』気になった、ってところは」
殿下は黙っている。今度は嘘を疑っているという顔ではなく、ただ続く言葉を待っているように見えた。
「立ち入ったことですけど、お聞きしてもいいですか?」
私は先程の独り言を言い換えた。
「王妃様って、どんな方なんですか?」
素直に答えが返ってくるとは思わなかった。
なぜ私がそれを気にするのか、クリア姫とどんな話をしたのかと、さらに突っ込んだ質問をされるだろうと予想していた。
殿下の返しは違った。質問は質問だったが、「それはつまり、母上の人間性について、くわしく知りたいという意味か?」
少し考えて、言い換える。「それとも、おまえの聞いた『良くない噂』とやらが、真実か否か知りたい、という意味か」
「えと……。両方です」
「…………」
黙り込む殿下。何を考えているのか、その平坦な表情からは読み取れない。
「あの、すみません。本当に、とても立ち入ったことだとは……」
「いや」
私の謝罪を遮り、「答えるのは構わん。ただ、少々難しい問いだと思ってな」
「難しい?」
ああ、と殿下はうなずいて、「第一に、おまえが聞いた『噂』の正確な中身がわからなくては、肯定も否定もできない」
それはまあ、確かにそうですねと相槌を打つ暇もなく。
「第二に」と殿下は続ける。
「母上の人間性について、俺は人に説明できるほどよく知らない」