263 姫君の告白4
「……はあ、そうですか」
と私は言った。
「反応薄いな、おい」
ダンビュラが突っ込む。
まあ、もしかして、とは思ってたんで。
ケイン・レイテッドから「王女の呪い」の意味を聞いて、それが肉親しか愛せなくなる禁断の愛の呪いだと知って。
お兄ちゃん子のクリア姫が、兄殿下となぜか距離を置こうとする。その理由と合わせて考えた時、そういう可能性もあるかもしれない、と一応考えはした。
ただ、その推測が当たっていたのだとしても。
そこまで驚くべき事実であるとは思えなかった。
「うちの妹も、私には生意気な態度しかとらないくせに、すごいお兄ちゃん子で。将来は結婚するんだ、ってよく言ってましたよ」
5歳の誕生日を迎えるまでは、という事実については伏せておく。
その後は近所のかっこいいお兄さんとか、身内以外に憧れの対象がうつり。
10歳になった今では、幼なじみの少年のことを彼氏と呼んでいる。
「…………」
クリア姫は、私の反応にたいそう拍子抜けしたみたいで、声もなくこちらを見つめている。
もっと驚かれたり引かれたり、果ては軽蔑の目を向けられたりすると予想していたらしい。
だけど、12歳の子供の「お兄さんのことが好き」に罪があるなんて、私には思えない。
そもそもクリア姫は世間が狭い。年の近い異性と交流したことなんてほとんどないんじゃないだろうか。
もっといろんな世界を知って、いろんな人と出会って成長していけば、兄上様との密な関係も自然と変わっていきそうな気がするし。
「ちなみに、いつからですか?」
殿下のことをそういう風に思うようになったのは。やっぱりうちの妹と同じで、物心ついた時から?
私の質問に、クリア姫はまたちょっと頬を赤らめて、
「初めてそう思ったのは、城で再会した時だ。戦争が終わって、しばらくたって、兄様がようやく王都に戻って来られた時……」
ああ、そういえば。
2人は離ればなれになってた時期があるんだった。
クリア姫は5歳になるまで、王妃様の離宮で兄殿下と一緒に暮らしていた。
しかし7年前の政変と、隣国との戦争のせいで引き裂かれ、殿下が王都に凱旋するまで再び会うことはできなかったのだ。
「久しぶりに会った兄様は、背がのびて、お顔も凜々しくなって、すごくたくましくなっていた。まるで、違う人みたいだった……」
殿下が戦場に行くためにクリア姫と別れたのって、15歳の時だっけ。で、再会したのが3年以上たってからだから、18歳。
その時期の男の子って、確かに変わるよなあ……。
少年から、大人に。人によっては、かなり劇的な変化を遂げる。
私も、よその街に職人の修行に行った幼なじみが、半年ぶりに里帰りした時。
まるで別人みたいに大人びていて、不覚にもときめいたことがある。……まあ、今はそんな話はどうでもいいとして。
「別におかしなことだとは思いませんよ、私は」
成長過程で、身近な人に対して、そういう気持ちを持つことだってあるだろう。
「ダンビュラさんは知ってたんですか?」
まあな、と彼はうなずいた。
「誰にも言うなって言うから黙ってたが……。あんたと同じで、そこまで悩むようなことか? とは思ってた。殿下に知られたからって、なあ。多分どうってことなくねえか?」
「それは……」
私は想像してみた。
あの殿下だから、反応が読めない部分はある。兄妹は恋人になれない、とか真面目に悩むかもしれない。
でも、仮にそうだとしても、可愛い妹に好きって言われて、嫌な顔なんてしないだろう。
結論をいえば、ダンビュラに同感だ。
「でも、姫様は知られたくないですよね?」
こくこくこく、とすごい勢いでうなずくクリア姫。まあ、恥ずかしいよね。お年頃だし。
「だいじょうぶですよ。殿下には内緒にします。絶対に言いませんから」
「ありがとう……」
クリア姫は蚊の鳴くような声でつぶやいた。
「ただ、ひとつだけ確認してもよろしいでしょうか」
何だろうかとクリア姫が私を見る。
「姫様がこのお屋敷で暮らすのをずっと拒まれていたのは、この件と何か関係があるんでしょうか?」
クリア姫の顔から、赤味が引いた。
真面目、というより深刻な表情に戻って、「ある」と一言。
「私は、子供だから。大人になるまで、まだ何年もかかる。その間ずっと、兄様と一緒に居るわけにはいかない」
それはなぜか? クリア姫の答えはこうだった。
「兄様にだって、きっと好きな人ができる。その誰かを、私は呪ってしまうかもしれないからだ」
王妃様が、王様の側室や愛人たちを呪ったように?
「って、ちょっと待ってください。その噂ってデタラメなんですよね?」
信じていないと、さっき自分で言ったばかりじゃないか。
「母様は人を呪ったりなどしていない。だが、私がそれをしない、とは限らない」
「いやいやいやいや」
クリア姫こそ、そんなことをするとは絶対に思えないが、それ以前に。
「クリア姫、自分は魔女だ、って思い込んでません?」
魔女かもしれない、どころではない。絶対にそうだ、と決めつけているような。
その根拠は何だ。
「夢を見たんだと」
ダンビュラは既に同じやり取りを何度かしているらしく、いかにも面倒くさそうな口調でそう言った。
「夢?」
「ああ。あの火事の日に。あんた、覚えてないか? 嬢ちゃんが大声上げて飛び起きたの」
「……ありましたね。そんなこと」
あの夜、自分の部屋でうたた寝していた私は、クリア姫の悲鳴で起こされたのだ。
慌てて駆けつけてみれば、クリア姫はベッドの上で震えながら、うわごとのようなセリフを繰り返していた。
あの時、クリア姫が見たのは母親の、王妃様の夢だったのだという。
「長い夢だった。まるで、母様がすぐそばに居るみたいだった」
実の母親の話をしているとは思えない硬く強張った顔で、クリア姫はその夢の内容を話してくれた。
「私は、母様に相談したのだ。……兄様とのことを。これから自分はどうすればよいのか」
このまま離れて暮らしていたら、兄殿下に心配をかけてしまう。だけど、同居はできない。想いを隠したまま、一緒には暮らせない。
「もしかしたら、母様が離宮に帰れと言ってくれるのではないかと、そう期待して――」
離宮。王妃様の離宮か。
確かに、まだ小さいクリア姫が母親と暮らすのって、何もおかしなことじゃないよね。選択肢としてアリだと思う。
「母様は」
ふいに、クリア姫の声が震えた。
「母様は私にこう言った」
――本当は、カイヤと一緒に居たいのでしょう?
それならいい方法がある、と王妃様はほほえんで。
そして、すっと右手を持ち上げて指差した先に、あの庭園があった。
次の瞬間、全てが炎に包まれて――。
「飛び起きたら、目の前にダンが居て、すぐにエルが駆けつけてきてくれて、その少し後にあの火事が起きた」
どう思う、エル、と問われて、さすがにすぐには言葉が返せなかった。
ただ夢の話を聞いていただけなのに、私の目には王妃様の顔が見えた気がした。声が聞こえたような気さえした。
王妃様なんて、会ったこともないのに。
背筋がぞっとした。
「その話の通りだと、母親があの庭に火をつけたってことになるよな」
ダンビュラは冷静だった。
「そんな真似するような女なのか? 確か、母親にとっても思い出の庭なんだろ?」
「その通りだ」
とうなずくクリア姫。
「あの庭はひいおじいさまが作った、大切な場所だ。母様は、小さい頃から、よくあの庭で遊んだそうだ。家族が――今はもう亡くなってしまった家族が共に過ごした、懐かしい庭だと聞いた。だから、母様がそんなひどいことをするなんて、私には思えない」
「だったら、ただの夢だろ」
とダンビュラは言い切る。
しかしクリア姫はキッと彼の顔をにらんで、「ただの夢だと、偶然だと、本当にそう思うか」
「……まあ、タイミングが良すぎっていえば確かにそうだけどよ……」
ううむ。困った。
何か言ってあげたくても、私は王妃様のことを知らない。クリア姫の夢が、ただの夢なのかどうかもわからない。
「……あまり思いつめるのは良くないと思いますよ」
あきれるほど月並みなことしか言えなかった。
そしてクリア姫はそんな私に、力なくほほえみながらも感謝の言葉を返してくれた。
「話を聞いてくれてありがとう。少しだけ、気持ちが楽になったのだ」と。