表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔女の末裔~新米メイドの王宮事件簿~  作者: 晶雪
第十一章 新米メイドと水晶の姫
261/410

260 姫君の告白1

 ――数時間後。

 私はクリア姫のお部屋の前に立っていた。

 押してきた台車の上には、温かい夕ごはん。……いらないと言われたけれども、別に病気じゃないわけだし。きっと、お腹をすかせているはずだし。

 少しでも食べてもらって、それから――さっきのことを、ちゃんと話したい。……クリア姫が話を聞いてくれるなら。

 うう、緊張する。


 しばし扉の前でためらってから、ノックする。すぐに「はい」と返事があった。

「失礼します。お夕食をお持ちしました」

 部屋の中で、人が動く気配がした。

 間もなく扉が開いて、クリア姫の顔がのぞく。その表情は硬い。

「……手間をかけてすまない」

「いえ、そんな」

「入ってくれ」

 門前払いも覚悟したけど、ひとまず最初の関門は越えた。


「なんだ。メシか?」

 部屋の奥でうずくまっていたダンビュラが顔を上げた。

「よかったな、嬢ちゃん。さっきから腹の虫がぐーぐー鳴いてたもんな」

 デリカシーのかけらもないセリフに、クリア姫が頬を赤らめる。


 私は山猫もどきの無駄にでかい声が聞こえなかったフリをした。

「あの、もし食欲がなければ、お飲み物だけでもと思って。ハチミツ入りのホットミルクとか作ってみたんですけど、いかがですか」

「……ありがとう」

 私が差し出したマグカップを受け取り、クリア姫はベッドの端にちょこんと腰掛けた。

 カップに口をつけ、「おいしい……」とつぶやく。


「そうですか、よかった」

 さっき、カイヤ殿下にも飲んでいただいたんですよ。そう言いかけて口ごもる。今、殿下の名前を出すのはとてもまずい気がする。

「…………」

 クリア姫はカップを両手に持ったまま動かない。

 さっきは余計なことを言ったダンビュラも、そんな姫様の横顔を黙って見ているだけ。


 誰も口をきかなければ、沈黙が続くばかりだ。

 私は意を決して、口をひらいた。

「あの、姫様――」「さっきは、すまなかった」

 2人分の声が重なった。

 同時に話し出そうとするなんて、タイミングが悪い。ごめんなさいと謝ろうとして、

「え。……すまなかった?」

「さっきのことだ。おかしな態度をとってすまなかった。許してほしいのだ」

 見れば、クリア姫は何とも気まずそうな顔でうつむいている。

「いえ、そんな――」

 意外な展開にあっけにとられていたら、ダンビュラと目が合った。「……もしかして、ダンビュラさんが先に説明してくれてたんですか?」

「殿下がうなされてたから、あんたが付き添ってた、って話だけはな」

 それ以外の説明はしてねえよと付け加える。


 クリア姫が顔を上げた。

 じっと私を見つめるその目は、何かを聞きたがっているように見える。

「あの、姫様。私は――」

 殿下のことは別に、何とも思っていませんから。……などと言うのは失礼だな。

 けしてよこしまな目で見たことはございません、なんて言ったら、むしろ怪しい気がする。

 いつもお世話になって大変感謝しておりますが、特別な感情を抱いたことはありません、とでも申し上げるべきか?


 迷っているうちに、「知っているのだ」とクリア姫が言った。

「さっきは少しびっくりしてしまっただけだ。エルが、兄様のことを、その……。そういう風に思っていないことは、知っている」

「イケメンに興味ないんだもんな、あんた」

 ダンビュラの言葉に、目を丸くするクリア姫。

「そう、なのか?」

「ええ、まあ。母親がそういう、かっこいい王子様、とかすごい憧れてて。小さい頃からイケメンの話ばっかり聞かされて、少しばかり苦手になってしまいまして」

 クリア姫はぱちぱちとまばたきした。


「ってことは、あんたの親父はイケメンなのか?」

「いえ、全然。ごく普通の顔ですね」

 わからんな、とダンビュラが言う。

 娘の私にもわからない。ちなみに母の王子様趣味については父も知っていたが、特に嫌な顔をしたことはないし、口出しもしなかった。祖母いわく、「たとえ夫婦でも互いに踏み込めない領域はある」ものらしい。


 その時、クリア姫のお腹が小さく音を立てた。ホットミルクだけでは足りないと訴えているように。

「あ、すみません。お夕食、お皿によそいますね」

「すまない……」

 クリア姫は恥ずかしそうに頬を染めた。


 台車をテーブル代わりに、セッティング。

 本日のメニューは、野菜たっぷりポトフだ。カブとにんじんとじゃがいも、キャベツと玉ネギに、お手製の肉の塩漬けも入っている。

 蓋と布巾で保温してきたから、お鍋の中身はまだ十分あったかい。

「どうぞ、召し上がってください」

 ポトフをお皿に盛って、クリア姫の前に置く。

 薄くスライスしたバゲットとチーズ、カリッと焼いたベーコンも添えて。

「……ありがとう」


 クリア姫が夕食を口に運んでいる間、私はなんとなく室内の様子を見回した。

 もとは客間だった部屋には、姫の私物が増えている。

 お屋敷で愛用していた櫛とか、髪留めとか。

 それから机の上に、1冊の絵本。

『2人の魔女のおはなし』だった。絵本の横には、可愛らしい魔女の人形がちょこんと置いてある。

 私がそれを見ていることに、クリア姫も気づいたようだ。食事の手を止め、つぶやくように言った。

「庭園の屋敷は、あの火事でも焼けなかったのだな」

「そうみたいですね」

 殿下の話によれば、焦げ跡ひとつなかったという。あの凄まじい業火の中で、果たしてそんなことがありえるのかと疑問であるが。


「その絵本と人形は、兄様が持ってきてくださったのだ。私が大切にしている物だと知っているから」

 クリア姫がスプーンを置いた。

「兄様はいつも、私に優しくしてくれるのに……。私はまた、ワガママを言って困らせてしまった……」


 や、ワガママっていうか。

 さっきのクリア姫の様子は、率直に言って変だった。

 怖いものでも見た、って風に目を見開いて、真っ青になって。

 嫉妬とかヤキモチとか、そんなほほえましい感情ではなかった気がする。たとえるなら、暗闇でいきなりお化けにでも出くわしたような顔だった。


「この料理、おいしいのだ。兄様も召し上がったのだろうか」

「……はい。食べてくださったと思いますよ」

 殿下には2時間ほど前、夕食を届けておいた。……もっとも、例によって難しい顔で考え込んでいたから、ちゃんと食事をとってくれたどうかはわからない。

「そうか……」

 独り言みたいにつぶやきながら、クリア姫はうっすら涙ぐんでいる。


 何をそんなに悩んでるんだろう。郷里の妹と、大して変わらない年なのに。その小さな胸に、どんな苦しみを秘めているのだろうか。

 安易に言葉をかけることはためらわれて、私はしばし頭の中でセリフを熟考した。


 ――何か話したくなったら、いつでも言ってくださいね。聞いた後で、やっぱり聞かなかったことにするとかもできますから。


 月並みだけど、こんな感じかな。

 私が軽く息を吸ってセリフを口にしようとした時、

「話してみたらどうだ、嬢ちゃん」

 ダンビュラが言い出した。ちらっと私の顔を見て、「わかることもあるんじゃねえのか? ……その、女同士なんだしよ」

 って、女がどうした。

「…………」

 クリア姫が顔を上げ、私を見る。澄んだ鳶色の瞳は、涙に濡れても美しい。

「……その……」

 クリア姫は、1度口ごもり。「兄様に聞いたのだが……。エルは、ここの仕事を辞めてしまうかもしれないのか?」

 この話の流れで、その質問が出てきた。つまり、もうすぐ辞めてしまう相手になら、思い切って打ち明けてもいいかもしれないと考え始めている?


「まだはっきり決まったわけではないんです」

 慎重に言葉を選びながら、私は言った。

「ただ、お屋敷があんなことになってしまって……」


 クリア姫がまたあの場所に戻るとは考えにくい。

 たとえお屋敷が本当に無事だったとしても、あれほど恐ろしい目にあったのだ。

 かといって、お城でフローラ姫やルチル姫と暮らせるわけもなく。

 結局は宰相閣下のお屋敷に行く、という可能性が1番高いだろう。そうなれば私はクビになってしまう。

 けっして辞めたいと思っているわけじゃなく、そうなる可能性もあるという話だと説明すると、クリア姫はまた下を向いてしまった。


「あの火事のせいで、エルにも迷惑をかけたな。……迷惑どころか、とても危険な目にあわせた」

 いや、そんな、自分の責任みたいな顔しちゃって。

「姫様のせいじゃないですよ」

「私のせいだ」

 いきなり断言されて、私は言葉を失った。

「……かも、しれないのだ」

 今度は自信なさそうに付け加える。

「どういう意味ですか?」

「…………」

 クリア姫の視線が泳ぐ。

 なおも迷い、ためらい――しかし程なく心を決めたらしい。揺れていた視線が定まった。椅子に座り直し、とても真剣な目をして、

「私の話を聞いてもらえるだろうか」

 どきどきと高まる鼓動。

 ついに、この時が来たのか。クリア姫が秘密を打ち明けてくださる時が――。


「もちろんですよ。……でも、いいんですか?」

 それって、ずっと心に秘めてきたことだよね? カイヤ殿下にも、誰にも言えずに悩んでいたこと。それを私なんかに話してしまっていいの?


 クリア姫はこっくりとうなずいた。

「ただ、兄様にだけは絶対に言わないでほしい」

 わかりましたと私は答えた。

 本音を言えば、カイヤ殿下にもいずれ教えてあげてほしいとは思うが。それはクリア姫ご自身がお決めになることだ。私からこっそり教えたりはしない。

「ありがとう」

とクリア姫は言い、「すまない」とも付け加えた。可愛らしい顔にぐっとしわを寄せて難しい表情を作り、

「前にも言った通り、楽しい話ではないのだ。きっと嫌な思いをさせる。私のことを嫌いになるかもしれない」

「や、それはないと思いますが」

 これも前に言ったが、私が姫様のことを嫌いになるなんてありえない。そもそも、この真面目で気遣い屋の姫君の口から、聞いただけで嫌いになるほど不快な話が出てくるはずもないし。


 しかしクリア姫は、そんな私の答えも聞こえていないように、小さく深呼吸を繰り返し。

「私は――」

 すうっと大きく息を吸い込んで、呼気と共に言葉を吐き出した。

「私は、魔女なのだ」と。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ