25 救国の英雄
すぐに騎士だとわかったのは、その男が帯剣していたからだ。
王都の市街地で帯剣を許されているのは、貴族か騎士か兵士。そして、その男は、普通の貴族にも、並の兵士にも見えなかった。
長身で引き締まった体格。隙のない身のこなし。
何より、存在感。
一目見て、この人はただ者じゃないぞと感じさせるオーラをまとっている。
両サイドにシルバーのラインが入った白い制服のようなものを着ていて、それが近衛騎士の身分を示すものだということは後で知った。
歩いてくる。
まっすぐに、カイヤ殿下のもとへ。
年は30代後半――いや、40歳は過ぎているかも?
ぱっと見、老けた印象はない。ただ、どこか疲労感をにじませた目元だけが、男の外見年齢を引き上げている。
「クロサイト」
カイヤ殿下が、男の名を呼ぶ。
私は息を飲んだ。
「クロサイトって――あの救国の英雄、クロサイト・ローズ様!?」
思わず椅子から飛び上がり、近づいてくる男に握手を求める。
「私、ファンです! クロサイト様が主役の小説、読みました! すっっっごい、カッコよかった!!」
クロサイト・ローズ。
カイヤ殿下と同じく、先の戦争で国を救った英雄の1人である。
もとは小さな砦の守備隊長だったらしいが、戦争が激化し、現場の指揮官が次々と命を落とす中、その比類無き剣技と的確な指揮で頭角を現した――と、私の読んだ小説には書いてあった。
カイヤ殿下の腹心の部下で、戦場に居た頃からずっとそばに仕えている、とも。
すごい。目の前に二大英雄が揃い踏みだ。
見知らぬ小娘に手を握られても、男は驚きも怒りもしなかった。ただ疲れたような目をカイヤ殿下に向けて、
「殿下。こちらのお嬢さんは?」
うわ、声もいい。カイヤ殿下も美声だけれど、こちらは年齢を重ねた分、艶と渋みが加味されている。
「クリアの新しいメイドだ。まだ契約前だが……」
私は握ったままの手を意味もなくブンブンと振った。
「うちの家族全員、あのシリーズのファンで! よろしければ、サインいただけませんか! 母と祖父母と、弟と妹の名前で――」
1人で盛り上がる私に、クロサイト様は鷹揚にうなずいてくれた。
「構いませんよ。何か書くものはお持ちですか」
「はいっ! 荷物の中にペンが――それに、あの小説の文庫版持ってますから!!」
何というタイミングのよさ。カメオが差し入れてくれた本が、まさにそれだったのだ。
私は足元に置いていた荷物を引き寄せ、大急ぎで中を探った。
頭の上から、主従の会話が聞こえてくる。
「さすがは王都一の有名人だな、クロサイト。若い娘にも人気だ」
「お言葉ですが。あの小説は、殿下が主役となることを拒否されたので、私が生贄に差し出されたようなものでは」
「おまえは拒まなかっただろう。何か不服でもあったのか」
「ありません。殿下の無理難題に応えるのも、己が務めと心得ておりますので」
「……皮肉か」
「珍しく察していただけましたか」
「あった!」
私は荷物の中から、文庫本を引っ張り出した。しかし、肝心のペンが見当たらない。
そこに、ちょうど夕食のお盆を持ったセドニスが戻ってくるのが見えた。
「あの、すみません! 何か書くもの貸していただけません!?」
いったい何事ですかと眉をひそめつつ、胸ポケットからペンを取り出すセドニス。
「ありがとうございます!」
満面の笑みで礼を言い、受け取ったペンを文庫本と一緒に差し出す。
「じゃあ、これ。すみませんけど、お願いします。まず、祖父の名前が――」
クロサイト様は、私の言う通りに家族の名前とサインを記入しながら、「お食事がすみましたら、至急、王城にお戻りください」と殿下に言った。
「……? なぜ、俺が行かねばならん」
殿下は本気で意味がわからないって顔で、「親父殿は無事だったのだろう?」
「ええ、残念なことに」
って、クロサイト様までそんなこと言う?
さっき似たようなセリフを口にしていたはずの殿下が、「王を守る近衛騎士隊長のセリフとは思えんな」とあきれたように言った。
「副隊長です」とクロサイト様。「この小説の中では隊長にされていますが」
横で話を聞きながら、何やら不穏な空気になってきたぞと私は思った。
殿下も同じことを感じたらしい。
「何か問題でも起きたのか」
問題っていうなら、王様が暗殺されかけたこと、それ自体が大問題では――。
「いえ、そうではありません」
……ないんだ。本当に?
「ただ、事が事ですので。念のため、国王陛下を見舞って差し上げるべきだろう、とハウライト殿下が」
ぴくんと殿下の表情筋が揺れた。
「俺が行かなければまずいのか」
「ハウライト殿下はそのようにお考えです。首に縄をつけてでも連れてくるように、と命じられていますが――いかがなさいますか」
「……兄上がそこまで言うのなら仕方ないな」
はあ、とため息をつく殿下。あんまり気が進まないみたいだけど、行く気になったらしい。
「夕食をお包みしましょうか」
セドニスが控えめに声をかける。
「頼む」
殿下は言葉少なに答えて、席を立った。
「明日の朝、また来る。それまでに答えを決めておいてくれ」
と、私に言い残し。
第二王子殿下は、腹心の部下を引き連れ、夜の闇へと消えた。




