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魔女の末裔~新米メイドの王宮事件簿~  作者: 晶雪
第十一章 新米メイドと水晶の姫
259/410

258 発作

 その日の午後は、特に急ぎの仕事もなかったので、書庫で本探しをしているニルスを手伝うつもりだった。

 しかし殿下が長椅子で寝てしまったので、予定を変更。リビングで縫い物をすることにした。

 安全なお屋敷の中とはいえ、1人で放っておくのはさすがにどうかと思うし。

 ちょうどお掃除用の雑巾が足りていなかったから、それを縫うことにしよう。

 1度自室に戻り、必要な材料と裁縫箱を取ってきて。

 細かい作業をするには、手元がよく見えた方がいい。なので、明るい窓辺に椅子を運び、そこに腰掛ける。


 ちくちく、ちくちく。


 縫い針を動かしながら、たまに長椅子の方を伺う。こっちからだと陰になっていて見えないが、そこに人が居る気配だけは伝わってくる。

 殿下って、寝相はわりといいんだよね。でなければ、あんな所で寝ていて落ちたりしないかと心配するところだ。


 なんで寝相のことを知っているのかというと、前にも似たような状況を経験しているからだ。

 あれはもう何ヶ月も前のこと。殿下は熱を出してしまった妹姫を心配して、自分が看病すると言い張って――。

 結局、その役目は私に譲ってくれたけど、今度は妹のそばで休むと言い出して。

 そして止めるのも聞かずに、床に寝転んでしまった。

 おかげで私は、殿下が寝ている横で一晩中働くことになったのである。はっきり言って落ち着かなかった。

 それは今も同じ。長椅子の上の気配が気になって、縫い物に集中できない。


 私は手を止め、ため息をついた。

「……殿下? 起きてらっしゃいます?」

 声をかけても、返事はない。


 そっと立ち上がり、長椅子に近づいていく。

 殿下は眠っていた。全身すっぽり毛布にくるまって目を閉じている。

 ためしに2、3歩距離をつめてみたが、すこやかな寝息に乱れはない。

 偉い人なのに、もうちょっと警戒心とか持たなくていいんだろうか。私が怪しい奴だったらどうする気だ。


 そんなことを考えながら美しすぎる寝顔を眺めていたら、「失礼します」と声がした。

 リビングに入ってきたのは、執事のオジロだった。空のティーカップをお盆に載せて持っている。先程、執務室で書類仕事をしていた彼のもとに、私が届けたものだ。


「すみません、新しいお茶を淹れていただけますか? 気分を変えたいので、できれば香りのよいハーブティーをお願いします」

「わかりました」

 私は彼のもとに歩み寄り、お盆とカップを受け取った。

「おや」

 オジロの表情が変わる。その視線は長椅子の方に向いている。「殿下はこちらでお休みでしたか」

「はい、少し前から」

「そうですか……、ここ数日、あまり休息をとっていらっしゃらないようでしたからね」

 オジロは苦笑を浮かべて、「ゆっくり休ませて差し上げてください」と言った。


「……このままにしておいてもいいんでしょうか?」

「は?」

「いえ、あの。こんな所で寝てていいのかなと……」

 私の微妙な表情を見て、オジロの苦笑が深くなった。


「できればベッドで寝ていただきたいところですが、仕方ないでしょう。既によくお休みのようですし、私が部屋までかついでいく、というわけにも」

「……そうですね」

「どんな場所でもすぐに眠ることができるのは、昔、戦場に居た頃に身につけられた特技だ、とのことですが……」

 だからって、所構わず寝てしまうのは困りものだ。後で殿下が起きたら、やんわり注意しておくことにしよう。


「何かあったら呼んでください」

と言って、リビングから出て行くオジロ。

 私は彼にリクエストされた香りのいいハーブティーを淹れるため、縫い物を中断して台所に向かった。


 カモミールをメインに、ミントやレモングラスを適量、ティーサーバーに入れて熱湯を注ぐ。

 ふわりと清涼感のある香りが私の鼻腔をくすぐった。

 この香りにつられて殿下が起きてこないかなと少し期待したけど、長椅子の上の影は動かない。


 執務室にハーブティーを届けた後は、また縫い物の続きをした。

 

 ちくちく、ちくちく。

 

 はあ、疲れた。肩が凝った。ひとまず10枚くらいはできたし、これでいいことにしようっと。


 縫い物の次は、夕食の下ごしらえをすることにした。

 お肉に下味をつけ、貯蔵庫に入れて寝かせる。その間に野菜の皮を剥き、お鍋の中に投入。下ゆでをして、アクを抜いて……。


 あれこれやっているうちに時が過ぎ、リビングに西日が差してきた。

 ……クリア姫、遅いな。

 1時間くらいで戻るって言っていたのに、もう2時間はとうに過ぎている。

 護衛のダンビュラがついているとはいえ、心配だ。誰かに探しに行ってもらった方がいいだろうか。


「……ん……」

 長椅子の方から、声がした。

「あ、殿下。起きました?」

 返事の代わりに、長椅子の足が小さくきしむ音がする。

 目が覚めたみたいだな。ちょうどいいから、クリア姫のこと教えておこう。


「あの、殿下。実は姫様がまだお帰りにならなくて――」

 ギシ、と長椅子の足がさっきよりも大きな音を立てる。

「カイヤ殿下?」

 その時ようやく、私は異変に気づいた。

 殿下は起きていなかった。狭い長椅子に横たわったまま、ぎゅっと苦しそうに目を閉じている。

「……っ、……」

 食いしばった歯の隙間から漏れる、かすかな呻き声。

 顔色がひどい。さっきも寝不足でひどかったけど、今は違う。病的な白さだ。うっすらと脂汗のようなものまで額に滲んでいる。


「ちょ、どうしたんですか?」

「……あ……」

 殿下の唇に震えが走る。

 吐息と共にこぼれ落ちた言葉は、「あにうえ……」と聞こえた。

「……くっ……、あ……」

 殿下は悪夢でも見ているのか、固く目を閉じたまま。毛布にくるまった体は、かすかに震えている。


「どうしました!?」

 ハッと顔を上げると、リビングの入口にオジロが立っていた。

「殿下が――」

 彼はすぐさま駆け寄ってきた。

 殿下の顔色を確かめ、軽く額にふれて熱をはかり、

「すぐに薬を用意してきます」

 そう言って、廊下に引き返す。


 薬? 薬って……、何の薬?

 熱冷ましとか、そういうのじゃないよね? どう見てもただの風邪とかじゃなさそうだし。

「エルさん」

 リビングの入口から、出て行ったと思ったオジロの顔がのぞいた。

「殿下の手を握って差し上げてください。私が戻るまで、お願いします」

 問い返す間もなく、オジロの顔が引っ込む。


 ――手を?


 って、言われても。殿下の体はすっぽり毛布にくるまっていて、どこが手やら。

 ひとまず肩の辺りにふれてみる。

 震えが直接、指先から伝わってきた。けして細い肩ではないのに、ひどく頼りないものにふれているような気がした。

「……っ……、……」

 殿下の唇が動く。言葉は聞き取れないけど、何か言っている。

 いったいどんな悪夢を見てるんだろう。この人のこんなにつらそうな顔、初めて見た。


「……殿下、夢ですよ」

 耳元にささやきかけてみる。

「だから、だいじょうぶですよ。だいじょうぶだから、落ち着いて」

 声をかけながら、そっと肩をさする。

 オジロさん、早く戻ってきて。悪夢に効く薬があるっていうなら、早く。


 私の願いも虚しく、オジロはなかなか戻らなかった。

 それから、どのくらいたっただろう?

 オジロがリビングを出て行ってから――多分、実際には5分とかその程度だったと思うが、私にはひどく長い時間に感じられた。

「兄上……」

 殿下が眠ったままつぶやく。

 また「兄上」か。それって、ハウライト殿下のことなんだろうか。それとも、実は他にも兄上が居るとか?

 どっちでもいいから、悪夢なら早く覚めてほしい。

 普通、夢ってすごく短い時間で見るものだって聞いたけどなあ。……ただの夢じゃない? 何かの発作とか?

 あいかわらずつらそうにしているし、無理やりにでも起こした方がいいのかも。

「殿下、起きてくださ――」

 その瞬間、私は息が止まるくらい驚いた。

 閉じたままの殿下の瞳から、つ、と雫が一筋――。


 泣いて、る?


 頭の中が真っ白になった。

 何も考えられなかったし、何も感じなかった。

 だから、どうしてそんなことをしたのか、自分でもよくわからないのだが。

 私は寝ている殿下の頭をなでた。

 ゆっくりと。小さな子供をあやすように、優しく手を動かす。

 少し硬いクセっ毛は、故郷に残してきた弟の髪質と似ていた。


 ――あの子が熱を出した時にも、こうして頭をなでてあげたことがあったっけ。


 弟は生まれつき体が丈夫じゃない。その分、頭は回るし、無駄に口達者で、生意気が服を着て歩いているような奴だけど。

 具合の悪い時は、少しだけ気弱になる。甘えてくることはないが、いつもよりおとなしくなる。口うるさい姉が頭をなでてきても、文句を言わない程度には。

 思い出すと、笑みがこぼれた。

 この手触り、何だか懐かしい――。


「……笑っているのか?」

 私は手を止めた。

 いつのまにか目を開けた殿下が、少し不思議そうに私を見上げていた。

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