254 終わりの始まり
その知らせが届いたのは、私が街に出た日から数日後のことだった。
元・最高司祭のクンツァイトが、私を誘拐したあの老人が、
「追放刑?」
「はい。財産没収、及び王国からの追放刑です」
知らせを持ってきたのはジェーン・レイテッド。カイヤ殿下の部下で、王族を守る近衛騎士の1人である。
長い銀髪と銀の瞳、名のある芸術家が作り上げた彫像のように整った顔立ち。
その神秘的な外見とは裏腹に、「処刑人」の異名を持つ恐るべき戦士である。彼女の豪腕は敵対する者は愚か、たまに味方すら吹き飛ばす。
「何とも手ぬるい処置ですね。本来なら極刑に処すべきところを」
「…………」
ジェーンの言葉に、私はすぐには反応できなかった。
あの老人が、罰を受ける。
7年前、私の村に黒服の男たちを差し向け、私の父が失踪する原因を作った。ある意味、私の家族にとっては仇のようなものだと、そう言ったのはゼオだったか。
その人が、地位も財産も失い、追放される。
「クンツァイトの家はどうなるんですか? あと、今の最高司祭の人とかは……」
「そちらは隠居するそうです。後任も既に決まっているとか」
仮にも聖職者、しかも元・最高司祭という高い地位にあった人間が罪を犯したとなれば、王国にとっても非常に不名誉な事態だ。
だからこそ、異例の早さで処分が決定したのだろうとジェーンは言った。
この件は結局、おおやけになることはない。裁判もしない。クンツァイト家自体も取りつぶしになることはないが、
「百年以上守ってきた地位を失い、なけなしの財産も没収されたのです。もはやクンツァイトは終わったも同然でしょう」
「…………」
――終わった。
私の家族にとっては憎むべき相手が、罪の報いを受けた。
私の見ていない所で、私ではない誰かの手によって。
別に、復讐なんて考えちゃいなかったけど。
何だか、ひどくあっけない終わり方だ。
気が抜けたように立っている私に、ジェーンは「それでは、確かにお伝えしましたので」と言って、去っていこうとした。
「あ、待って――」
呼び止めると、「まだ何か?」という顔でこちらを振り返る。
何かってわけじゃないけど、もう少しくわしく話を聞かせてほしい。こっちは混乱しているのだ。
そもそも、私が1人で玄関そうじをしているところにジェーンがやってきて、いきなり話し始めたのである。そりゃ混乱だってする。
「えっと、ギベオンはどうなるんですか? 確かクンツァイトの親戚なんですよね?」
ジェーンは再び私の方に向き直り、
「今のところ、クンツァイトの悪事にギベオンが関与したという証拠は出ていません」
その証拠さえあれば、まとめて罪に問うことができたのにと無念そうに言う。
「ただ、ギベオン家の当主はこのところ公務を休んでいます」
理由は体調不良、ということに一応はなっているものの、巷ではこのまま引退か、と噂されているとのこと。
ギベオン近衛隊長は引退。クンツァイトは事実上の取りつぶし。
「もはやフローラ派は風前の灯火ですね。騎士団長ラズワルドも目立った動きはないようですし」
追いつめられて打つ手がないのだろうとジェーンは言うが、果たしてそこまで楽観視していいものか。
追いつめられた人間は、何をしでかすかわからない。窮鼠猫を噛むともいうではないか。
何だかんだでこの国の最高権力者に近い所にまで登りつめた人が、そう簡単にあきらめてくれるとは思えない。
「フローラ姫ご自身はどうしてるんですか?」
ジェーンは「さあ」と首をひねった。
「フローラ姫の噂は何も聞いておりません。ただ、妹のルチル姫と、母親のアクア・リマのことなら噂になっています」
そういえば、ルチル姫。
悪霊に取り憑かれて王宮内を徘徊しているとかいう、オカルトめいた噂があったよね。
娘の平癒祈願のために、王様は最高司祭のクンツァイト(あの老人ではなく、息子の方だ)をたびたび城に招いているって話を、誰かが――確か近衛騎士のクロムがしていたような気がする。
「その通りです。が、ルチル姫の容態は依然として思わしくなく」
業を煮やしたアクア・リマは異国の薬師を呼び、さらには怪しい祈祷師まで王宮に呼び寄せて、城内の人々の失笑を買っているんだそうだ。
……らしくないな。
アクア・リマって、そんな祈祷とかに頼るタイプには見えなかったよね。もっと現実的で、頭の良さそうな人だった、と思う。
「そういえば、王様は?」
この国で1番偉い人は何をしているのかと問えば、「またお気に入りの女性ができたとかで、足繁く通っているそうです」という、聞かなきゃよかった的な答えが返ってきた。
「随分と暇そうですね。こんな所で無駄話とは」
ふいに、背後から尖った声がした。
「役に立つ気がないのなら、せめて目障りにならないようにお願いします」
声の主はサーヴァインだった。私の横をすり抜けざまに嫌味を投げかけ、こちらの反応も待たずに玄関から出て行ってしまう。
「今のは侮辱でしょうか?」
ジェーンが小首をかしげる。「であれば、殿下の騎士として決闘を申し込んだ上、堂々と討ち果たさなくてはなりません」
冗談のように聞こえるが、ジェーンの物騒なセリフはだいたい本気だ。
「討ち果たさなくていいです。さっきのは多分、ジェーンさんに言ったわけじゃないんで」
サーヴァインと私の関係はあいかわらずだ。顔を見ればお互いギスギスしている。
ただ、同じ屋敷の中で生活しているわりには、顔を合わせることが極端に少ない気がするので、あちらはあちらで気を遣っているのかもしれない。
「本当に申し訳ありません」
謝罪の言葉は私ではなく、もちろんジェーンでもなく。
見れば、先程サーヴァインが立っていたその場所に、メイド服をまとったアイシェルが居た。
「騎士様にまで失礼な態度をとってしまって、何とお詫びをすればよいか……」
小柄な体を縮めて詫びるアイシェルを見て、ジェーンは納得したようにうなずいた。
「やはり、先程の態度は失礼にあたるのですね。至急あの男の後を追い、頭を下げさせなくては」
それはサーヴァインに謝罪させるという意味なのか、それともあの男の頭を地面に叩きつけるつもりか。後者なら確実に死人が出るので、私は「待ってください」とジェーンを止めた。
「なぜですか? 礼儀をわきまえない者には、相応の報いが必要ではありませんか」
だめだ、これ。無表情だからわかりにくいけど、実は怒ってるな。どうにかごまかさないと。
「あー、あの、アイシェルさん。そのカップに入ってるのって何ですか?」
アイシェルは手ぶらで現れたわけではなかった。丸いお盆にティーカップをいくつも載せている。
「これは、外で働いている騎士様たちに……。今日も暑いですから、冷たいお茶を飲んでいただこうと思って……」
カイヤ殿下の手配で、お屋敷に常駐するようになった近衛騎士たち。彼らは二十四時間、交替で警備にあたり、お屋敷の周囲を守ってくれている。
「そうなのですか。私も飲んでよろしいでしょうか?」
ついさっき外からやってきたばかりのジェーンも、喉が乾いていたらしい。アイシェルのもとに歩み寄り、カップに手をのばす。
「刺激臭のするお茶とは、珍しいですね」
待て。そんなお茶は普通ない。
ジェーンの手元で揺れているのは、一見ごく普通のお茶にしか見えない澄んだ琥珀色の液体だ。
が、ここ何日かアイシェルと共に働いて、私は知った。彼女の料理の腕が壊滅的、という殿下の言葉が、けして誇張ではなかったことを。
不器用なわけではないと思うのだ。食事のマナーは完璧だし、立ち居振る舞いも洗練されている。
元は貴人の護衛だったという殿下の話からして。
おそらく彼女は庶民階級の出身じゃない。生まれつき家事などする必要がない、メイドとか家政婦にお世話をしてもらう方の人だったのではないか。
「いただきます」
「待っ……」
私の制止も聞かず、琥珀色の液体を一気飲みするジェーン。
「…………」
そして落ちる、不自然な沈黙。
「……だいじょうぶですか?」
こわごわ声をかけると、ジェーンは空いたカップをお盆の上に戻しつつ、
「問題ありません。この程度の毒なら、むしろ薬になります」
や、そもそも毒じゃないはずだけど……。
「では、私は任務がありますので」
唖然とする私とアイシェルを置いて、ジェーンはすたすたと玄関から出て行ってしまった。