表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
254/410

253 舞踏会

 城下の人々が祭に浮かれ騒ぐ頃、王宮の大広間でもまた華やかな舞踏会が執り行われていた。

 最高級のシャンデリアがいくつも照らす中、一流の楽士が音楽を奏で、着飾った人々が優雅に踊る。

 贅沢な料理が振る舞われ、上質な酒に酔い、笑いさざめく人々は誰もが楽しげだ。

 王国の栄華と栄光を象徴するような眺めであったが、今年は例年に比べ、参加者が目減りしている。


 心地よい夜風が吹くバルコニーで1人、年代物のワインで喉を潤しながら。

 レイテッド家の長女レイリア・レイテッドは、広間の様子を俯瞰するように眺めていた。


 参加者が減っているのは、「魔女の媚薬」の密売事件――最近では、「エマ・クォーツ事件」などとも呼ばれるあの事件の影響である。

 異国の闇商人と組んで違法薬物で一儲けしようとしたのは、金に困った王都の貴族たちだった。

 事件への関与が発覚し、地位を失った者。あるいは発覚するのを恐れて息をひそめている者たちも、このような華やかな場所には当然来ることができない。


「結構なことだわね」

 答える者など居ないと知りつつ、レイリアは夜の闇に向かって言葉を投げた。

 だいたいが、王都の貴族は数が多すぎるのだ。それも能力はないくせに家格とプライドだけは高い、箸にも棒にもかからぬ連中が。

 いずれ整理しなければならないと思っていた。今回の事件は、ちょうどよいきっかけだった。


「本当に、結構なことですこと」

 その時、答える者が居ないはずのレイリアの独り言に、答える声がした。

 レイリアはついと視線を向けた。

 無駄に毒々しい紫のドレスをまとい、無駄にあふれ出る色香を隠そうともしない女が――レイリアと同じ、金の髪と瞳、ついでに顔立ちまでよく似た女が、こちらに歩み寄ってくる。

 女の名はレイシャ。レイリアの不肖の妹だ。


「ご機嫌よう、お姉様。今宵はまた一段とお美しくて――」

 レイシャはそこで言葉を切り、レイリアの装いを上から下まで眺め回した。

「なんというか、勇ましいお姿ですこと。わたくし、闘牛士がワインを飲んでいるのかしらと錯覚してしまいましたわ」


 今宵のレイリアのドレスは赤。バラのような真紅のドレスを着ている。

 靴も、髪留めに輝く宝石も、ルージュも。全てが赤一色だ。

 そんなレイリアの姿を、妹は「まるで返り血を浴びた女神のよう」と称した。


「赤は攻撃的な色ですものね。お姉様には、似合いすぎていて恐ろしいくらい」

「お黙り」

 レイリアはぴしゃりと言い放った。

「おまえこそ、そのいかにも毒婦めいた装いをやめたらどうなの。それこそ似合いすぎていて悪夢を見そうだと、年若い貴公子たちから苦情が来ていてよ」

「まあ、お姉様ったら。そんなおもしろくもない冗談を仰って」

 レイシャは手に持った扇で口元を隠してくすくす笑うと、先程までレイリアが眺めていた広間に視線を向けた。


「よろしゅうございましたわね。今年はいつもより風通しが良くなって。わたくし、人酔いするタチですから助かりますわ」

「…………」

「これも全て、敬愛するお姉様のおかげ」

「……言葉をつつしみなさい」

「あら。わたくし、何かおかしなことを申し上げまして?」


 おかしなことしか言っていない。

 広間の風通しが良くなったのが、レイリアのおかげ、などと。

 それではまるで、あの事件の黒幕が実はレイリアだと匂わせているようなものではないか。


 密売事件の主犯は、エマ・クォーツだ。

 もし、仮に――レイシャの言うように。

 彼女を裏で焚きつけた者が、どこかに居たのだとしても。

 密売に手を染めたのはエマ・クォーツ。それは揺らぐことのない事実である。


「ごめんなさい。わたくし、何か勘違いをしていたようですわね」

 レイシャはまた扇を口元にあてて、くすくす笑う。

「このところ、お姉様がお掃除とお片付けにとても忙しそうだと聞いていたものですから、てっきり広間の様子がすっきりしたのもお姉様のおかげかしらと思って」

「…………」

「腕の良い掃除夫を雇ったのでしょう? わたくしの屋敷にも是非よこしてくださいな」

「……あいにく、あの男にはもう暇を出したわ」

「まあ。何か粗相でも致しましたの?」

「…………」

「だとしたら、今頃はもう土の中かしら。キレイなお花の下に埋められているのかしら……」


 埋めていない。今頃はどこかの旅の空だろう。長年、レイリアの手足となって働いてきた有能な密偵の1人だが、今回の仕事では顔を知られすぎた。当面は王都を離れ、他国の情報収集に努めるようにと命じてある。


 ちなみにその仕事というのは、金に困った貴族たちのもとに赴き、密売への関与を持ちかけ、資金を集めることだ。

 エマ・クォーツ事件と平行して起きた、正体不明の犯人によるサギ事件。あれは敵国の諜報員の仕業だという噂もあるが、何のことはない。実際のところはただの掃除に過ぎない。

 家格とプライドばかりが高い、役立たずの貴族たちにはさっさと退場してもらう。

 繰り返すが、王都の貴族は数が多すぎるのだ。

 ろくに働きもせず、国庫に寄生し、富を食い荒らす。

 そんな連中は居ない方がよい。放置すれば、遠からず国を傾けることになるだろうから。


「そういえば、お姉様。わたくし、ひとつほしいものがあるのですけど……」


 唐突に何だ。いい年をして、姉におねだりか?


 レイシャは無駄に豊満な胸元に手をあて、「これですわ」とほほえんだ。

 そこには非常に精緻な細工を施されたサファイアのブローチが揺れている。

 今年の祭で、優秀作のひとつに選ばれたものだ。

 王国特産の宝石を使ったアクセサリー・コンクール。レイテッド家の者は、そこで選ばれた宝飾品を身につけ、この舞踏会に参加するのが古くからの習わしだ。

 レイリアの金の巻き毛にも、大ぶりのルビーをはめ込んだ精緻な髪留めが飾られている。こちらは今年のコンクールで大賞をとった作品である。


「ほしいのなら、自分で買えばいいでしょう」

 コンクールの優秀作とはいえ、ブローチのひとつやふたつ。王国一の大富豪であるレイテッドの人間に手が出せぬわけがない。

「違いますわ、お姉様。わたくしがほしいのは、これを作った職人の方ですのよ」

「はあ?」

「惜しくも大賞は逃してしまいましたけれど、あの才能は本物ですわ。王都に招いて、工房を建ててやろうと思いますの。それにはわたくしのお小遣いだけでは少しばかり不足でしょう?」

「…………」

 レイリアは美しい金色の瞳をすがめて、自分とよく似た妹の顔を凝視した。

 ほんのりと頬を染めて、うきうきと声を弾ませる姿は、まるで年若い乙女のようだ。

 しかしレイリアは見逃さない。自分と同じ金色の瞳が、得物を丸呑みにせんとする大蛇さながらに不気味な輝きを秘めていることを。


「……そういえば、かなり若い男だったわね」

 レイシャが身につけているブローチを作った職人のことである。いかにもレイシャが好きそうな、青臭い優男だった。

「遊びは大概にしなさい、と何度も言っているでしょう?」

 仮にも2人の子持ち、夫持ちであるくせに。

「あら、何のことかしら? わたくしはただ、優れた才能を世に出してやりたいだけですのに」

 栄誉あるコンクールで賞をとったのだ。十分に世に出ているし、今後名乗りを上げるパトロンも少なからず居るはずである。

「ね、お姉様、よろしいでしょう? ひとつ協力してくださいな」

「……却下よ」

 やりたいのなら、自分の金で勝手にやるがいい。何が「自分のお小遣いでは不足」なものか。工房のひとつやふたつ、レイテッドの人間に手が出せぬわけがない。


「そんな、つれないことを仰らないで。せっかくの臨時収入でしょう?」


 サギ師を装った密偵に集めさせた金のことを言っているのなら、そんなつまらない目的のために使うつもりは毛頭ない。

 具体的な使い道はまだ決めていないが、少なくとも私利私欲のためには使わないと決めている。あの耳聡い宰相や、お人よしの第二王子に知られたら面倒なことになるからだ。

 だいたい、そんなことをせずとも、レイテッドには唸るほど金がある。


「くだらないおしゃべりに興じていないで、広間に戻りなさい」

 そして栄光ある五大家のひとつ、レイテッドの名を持つ人間として、果たすべき役割を果たしてくるがいい。

 具体的には、社交界のお歴々に、特に古参の奥方たちに愛嬌を振りまいてこい。

「それが面倒だから、こうして抜け出してきましたのに」

 レイシャは不満げに唇を尖らせた。「ご自分はさっきから怠けていらっしゃるくせに」

「長女の特権よ」

「…………」

 レイリアは、それに見た目に反してレイシャも、いわゆる貴族の付き合い的なものは好きではなかった。

 一見楽しげに語らいつつ、互いの腹を探り合うような会話が面倒だからだ。話し相手というのは、もっと率直で、正直すぎるくらいの方が楽でよい。


「とはいえ、あの馬鹿1人に任せておくのも心配だわね……」


 あの馬鹿こと現レイテッド当主のレイルズは、見た目と無駄に堂々とした立ち居振る舞いの他にほめるところのない男だ。

 馬鹿のくせに、姉の言うことを聞かない。馬鹿のくせに我が強く、自分の思い通りに行動したがるのだ。

 7年前、仇敵ラズワルドが暴走し、王子2人が幽閉された時も。

 幼なじみを救うのだとか言って、数人の供だけを連れ、家を飛び出してしまった。我が実弟ながら、まことに救いようのない馬鹿である。


「お姉様は意外に心配性ですわね。あのお馬鹿さんなら、ご令嬢たちと楽しそうに踊って……」

 ついと広間に視線を向けたレイシャのセリフが、不自然に途切れた。「あら」とつぶやいて軽く目を見張り、

「姉思いの優しい弟ですこと。お姉様のご期待に応えようとして」

 その皮肉交じりのセリフが意味するところは何か。広間に目を向けたレイリアはすぐに悟った。


 例年よりも参加者が減っているとはいえ、そこそこ人口密度の高い広間にあって、長身・美形・派手な装いのレイルズの姿は埋もれることなくよく目立つ。

 ちょうど一曲ダンスを踊り終えたところらしい。それまで踊っていた令嬢と別れ、また別の相手に歩み寄っていく。

 パートナーを見つけられずに壁際に立っている、いわゆる「壁の花」状態のご令嬢――いや、姫君のもとに。


「フローラ姫……」


 淡い空色の衣装をまとい、柔らかな金髪を頭上に結い上げたフローラ姫は、広間につどう男女の中でも群を抜いて美しい。

 で、あるにも関わらず、壁際で存在感を消すように身を縮めている姿は、どうにも哀れというか、レイリアの目にはいささか滑稽にうつった。


 まあ、それも仕方がない。

 実妹の引き起こした醜聞に、後ろ盾である騎士団長ラズワルドの苦境。このところの情勢の変化で、彼女の立場も苦しいものになりつつあるからだ。

 もともと吹けば飛ぶような身分の、愛妾の娘である。ラズワルドが完全に敗北し、政界を退くことにでもなれば、果たしてどうなることか。

 王宮からの追放ですめばまだマシな方で、場合によっては、その命すら危うい。


 利用価値はある娘だ。レイリアとしては、弟の伴侶に迎えることも考えている。

 レイルズ当人にもそのつもりでいるよう命じておいたが、「俺には心に決めた人が居る」とか言うので容赦なくはっ倒した。


「ちゃんとお姉様のご命令を覚えていましたのね。いつもは言われたその場で忘れてしまうお馬鹿さんにしては、よくできたこと」

 レイシャはわざとらしく感心して見せた後で、にわかに金色の瞳を輝かせた。

「それとも、これは恋の予感かしら……?」

 広間に集まった貴族たちも、2人の様子に注目している。

 並んで立っていれば、絵になる美男美女だ。

 しかしレイリアは気づいていた。あれは単に、知り合いの女の子が所在なげにしているのを見て、助け船を出そうとしただけだ。まるで年の離れた妹を可愛がる兄のような、レイルズの横顔を見ればすぐわかる。


 あれは昔から下のきょうだいをほしがっていた。十も年上の姉2人に頭を押さえつけられて生きてきたためか、事あるごとに弟がほしい、妹がほしいとねだっては、両親を辟易させていた。

 7年前、幼なじみを助けようとしたのもそれが理由だろう。ほぼ同い年の第一王子はともかく、年下の第二王子のことは、弟のようなものだと勝手に思い込んでいるようだから。

 その第二王子の腹違いの妹であるフローラ姫も、自分にとっては妹のようなものだ、とか考えたのかもしれない。馬鹿だから。


 やがて2人は手を取り合い、広間の中央に出て踊り始めた。

 レイルズは堂々とのびやかに。フローラ姫は緊張でがちがちだ。


 周囲で様子を見ていた貴族たちも踊り始める。

 その中に、まだ10代半ばの年若いカップルが居ることに気づいて、レイリアは眉をひそめた。

「あれはクォーツ家の坊やじゃありません?」

 同じ2人に気づいたレイシャが声を上げる。

 そうだ。あれはチェロ・クォーツ。あのエマ・クォーツの甥にあたる少年だ。舞踏会が始まった時には居なかったはずだが、遅れて姿を見せたらしい。

 一緒に踊っているのは、宰相オーソクレーズの親戚筋の娘で、2人は先頃、婚約した。


 チェロ・クォーツの属するクォーツの分家筋は、本家筋の第一王子を王位に推す「ハウライト派」の宰相とは不仲であった。それが互いに手を結んだ――正確には、分家筋の側が色々と不利な条件を飲まされての婚約である。

 これによって、「ハウライト派」の立場はより強くなり、対する「フローラ派」はより苦しい立場へと追い込まれることになるだろう。

「フローラ派」を率いる騎士団長ラズワルドのひげ面を思い浮かべて、レイリアはいい気味だと思った。


 相手がレイテッドの仇敵だからではない。単に嫌いなのだ。ああいう偉そうな男が。

 傲慢で、狭量で、人の意見になど耳を貸さない。

 そのくせ実は小心で、他者を下に置くことでしか己の自尊心を満たせない。


「そろそろ頃合いかしらね」

とレイリアはつぶやいた。

「何のお話ですの?」

と小首をかしげるレイシャのことは無視。


 そろそろ頃合いだろう。敵は十分追いつめられている。後はどうやって引導を渡してやるかだ。

 別に、自ら手を下さなければ気が済まない、ということはないが――その役目は宰相に譲ってもいいのだが、ただ見ているだけでは退屈だ。

 せっかくの愉快な祭である。どうせなら派手にやりたい。思い切り衆目を集めたい。


 仇敵の無様な最期を夢想しながら、レイリアはほくそ笑んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ