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253/410

252 その頃、彼は

 王都に夜のとばりが下りる頃。

 祭に浮かれ騒ぐ人々の中を、迷いなく歩む男が1人。

 年頃は20代半ば。長身で肩幅の広い、恵まれた体格。その身にまとうは、王国の正義を守る警官隊の制服。

 彼の名はオニキス・フォレスト。愛称ニック。

 弱きを助け、強きをくじく、愛と正義と真実の男。

 白い魔女に愛され、その祝福を授かりし、生まれながらの英雄。あくまで自称。


 彼は数日前から警官隊を離れ、1人で行動していた。

 理由はひとつ。己の冴え渡る勘が、そうせよと告げたからだ。

 この王都に、白い魔女の築きし国に、間もなく深刻な「何か」が訪れる。

 根拠はない。いわば天啓である。選ばれし者よ、王国を守れ――という声を実際に聞いたわけではなかったが、ニックはそう確信していた。


 だから彼は行く。迷わず進む。どこに向かっているのかは、彼自身にもわからない。ただ己の勘が指し示す方へと。


 ふと、雑踏の中を歩くニックの肩が、誰かにぶつかった。

 ニックは大柄な男だ。ぶつかられた方は、一瞬派手によろめいた。

「おっと、失礼」

 相手はぱっと見、男女の別がわかりにくい人物だった。裾の長いローブをまとい、人目を避けるようにフードを下ろしている。

 ちらりと見えた横顔は中性的だった。

 その目は虚ろで、ニックと衝突したことにも気づいてはいない様子だった。

 まるで何かに追われてでもいるように、あるいは何かを追いかけてでもいるように、早足で立ち去っていく。


「ふむ」

 ニックは雑踏の中でしばし足を止め、考え込んだ。

「あれは男だな」

 女性であれば、ぶつかってしまったことを丁重に詫びて、何なら自宅まで送り届けるところだ。

 男であれば用はない。そう判断したニックは、再び勘に従って雑踏の中を歩き始めた。


 向かった先は、中央公園だった。

 今から三百年以上前に作られた、王都で最も由緒ある公園だ。小さな村ならすっぽりおさまってしまいそうなほど広い敷地に、赤レンガの歩道と青い芝生が広がり、緑の木々と季節の花々が揺れている。

 王都一の観光名所ながら、平素は静かで、穏やか場所だ。

 今は祭の最中とあって、敷地には無数の屋台が立ち並び、少々騒がしい。


 ニックの足が向かったのは、敷地の北の端に立つ、大きな桜の古木のもとであった。

 春には毎年、見事な花を咲かせる、この公園の名所のひとつだ。ただし、今は真夏である。敷地の端に位置するために人通りも少なく、屋台も出ていない。

 夜風にざわざわと揺れる葉桜を見上げつつ歩いていたニックは、視線を上に向けていたせいで、またしても誰かとぶつかりそうになった。


 相手は少女だった。

 10代半ばか、前半か。その華奢きゃしゃな体格は、大男のニックとは雲泥の差だ。

 まともにぶつかったら、ケガをさせていたかもしれない。幸いにして直前で衝突は免れたが、代わりに少女が手にしていた杖が、ころころと夜道に転がっていった。


「や、これは失礼。レディ――」

 ニックは急ぎ杖を追いかけ、拾い上げて少女のもとに持っていった。

 おとぎ話にでも出てきそうな形の、古風な木の杖だった。長さは少女の身の丈ほどもある。歩行を補助するための物には見えない。いったい何のために持ち歩いているのだろうか?


「申し訳ない。少々、よそ見をしていたようだ」

 拾った杖を差し出しながら、ニックはあらためて相手の姿を観察した。

 少女は丈の短いローブを着ていた。さっきぶつかった男より、さらに深くフードをかぶっている。

 おかげで、顔がよく見えない。なんとなく美少女ではないかと、雰囲気で察せられるくらいだ。

 ローブからのぞく両足は細く、しなやかだ。少し痩せ過ぎではないだろうか、もっと栄養を摂った方がよいのではと、ニックは要らぬ心配をした。


「ありがとう」

 ニックの差し出した杖を受け取り、小さく頭を下げる。

「?」

 聞こえたのは、いかにも少女らしい、甲高い美声だった。

 しかし同時に、低く陰気な男の声もした。少女の発した声にかぶさるように。


 ニックは自分の耳をほじくった。

 今のは何だ。暑さで疲れているのか? きっとそうだ。休憩休憩。


 小柄なローブ姿を見送ってから、ニックは中央公園を出て、どこか腰を据えて休める場所を探した。

 公園の近くには、人気の洒落たレストランもある。

 しかし今のニックにはあまり金がない。しばし夜の街をさまよった後、適当な裏通りで、目についた安酒場に入ることにした。

 ちょうど入れ違いに酒場から出てきた男が、ニックの身にまとう制服を見て顔をしかめたが、ニックは気にも留めなかった。

 この制服を厭う人間は少なくない。特に、こういう裏通りでは。いちいち気にしてなどいられない。

 すれ違った男に怪しい所でもあれば、もしや指名手配の凶悪犯かと疑いを持ったかもしれないが、相手はごくごく平凡な顔立ちの男だった。

 わずかに紫がかった瞳が珍しいといえば珍しいが、ニックは男の瞳の色になど全く関心がない。


 空いた席に着き、酒とつまみを注文する。

 裏通りの安酒場にしてはうまい酒と料理に舌鼓を打っているうち、いつしか夜も更け、結局、彼の1日はそこで終了した。


 白い魔女に愛された男、ニック。彼の向かう先には、事件が、その手がかりが、驚異的な確率で転がっている。

 しかし悲しいかな、目の前に転がる手がかりに、ニック本人が気づけない。人はそれを宝の持ち腐れと呼ぶ。

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