250 救われなかったもの
連れて行かれたのは、先程の応接間だった。
鉄格子つきの部屋に閉じ込められて厳しく尋問される、といったような展開も覚悟していたのだが、一応まだしばらくは客として扱ってもらえるらしい。
「それで、どんな言い訳を聞かせてくれるの?」
――もっとも、ケインの口ぶりからして。
返答如何では、即座に拘束され、上記の流れになることも十分ありえる。
そういう空気をひしひしと感じつつ、私はおそるおそる口をひらいた。
「さっきのお子様たちって、ケイン様の……?」
「質問してるのはこっちなんだけど」
わかっている。ちゃんと答える気もある。でも、どうしても気になってしまったのだ。
「実の子供じゃない。レイシャの連れ子だよ。ちょっと考えればわかるだろう?」
わかるだろう、と言われても。私は2人がいつ結婚したのか知らない。知っているのは、ケインがレイシャの5番目の夫だってことだけで。
「前の、いや前の前の夫の子供だったかな。くわしいことは忘れた」
忘れていいのか、そんな大事なこと。
「父方の家系なんてどうでもいいんだよ。重要なのはレイテッドの血を引いていることなんだから」
「?」
「現当主のレイルズは、治る見込みのない不治の病だ。このままじゃ後継ぎも望めないから、あの子供たちが代わりに必要ってこと」
そう言って、ケインはじろりとユナの方を見た。
現当主の不治の病って、いわゆる恋の病のこと?
ケインの義弟にあたるレイルズは、子供の頃からユナに片想いしている。ユナの方には全くその気がないにも関わらず、あきらめることなく、15年も。
責めるような視線を向けられたユナは、「へー、あの子たちが」と他人事の反応をした。
「レイシャさんの子供が家を継ぐってことは、レイルズに無理やり結婚させるのはあきらめたんだ?」
ひく、とケインの頬が震えた。
「君さあ。少しは責任とか感じないわけ?」
「?」
「……いや、何でもない。聞いた僕が馬鹿だった」
ケインは皮肉な口調で吐き捨てると、視線を私の方に戻した。控えめに言ってもイラ立っている。いいかげん、質問に答えなければまずい。
「あの、さっきはけして、お子様たちに近づこうとか、危害を加えようとかしたわけではなくてですね……」
私は必死で弁解した。あの部屋から聞こえた、オルゴールの音色を確かめようとしただけなんだと。
「はあ? オルゴール?」
「そうです。もしかして、チャリティーバザーで買いませんでしたか? このくらいの大きさで、魔女と猫の絵が描いてある――」
ケインは疑わしそうに眉を寄せたまま、
「……確かに、この間のバザーでレイシャが買ってきたものだけど。見た目もそんな感じだった」
だからどうしたと、さらに説明を促してくる。
「その、実は私も、同じ会場に居て」
「知ってるよ。レイシャに聞いた。カイヤの妹と一緒に来てたんだろ?」
「そうです。それであの、クリア姫が、バザーを見て回っている時にですね……」
「急に倒れたらしいね。熱中症だっけ?」
周囲の人にはそう見えたかもしれない。
でも、事実は違う。クリア姫は私に仰った。「あの時は少し、驚いただけだから……」と。
暑さのせいなんかじゃない。何かに動揺したのだ。
その「何か」があの時、聞いていた曲なんじゃないかと、私は思っているわけだが。
そこにはおそらく非常にデリケートな、姫の内心に関わる深い事情がある。
「なんで黙ってるの? 結局、あのオルゴールがどうしたって?」
「…………」
困った。どうしよう。本当のことは言えない。とはいえ、思いつきの言い訳じゃ、ケインはごまかされてくれないだろうし。
「まさか、黙りを通して許してもらおうなんて思っちゃいないだろうね?」
思っていない。ケインがそれを許すはずがない。
「……あの曲のことが、ずっと気になってるんです」
慎重に言葉を選びながら、私は言った。
「あの曲に、どんな意味があるのか。それがわかれば、カイヤ殿下のお役に立てるかもしれないんです」
「…………」
ケインは無言。殿下の名前を出しても特に反応はなく、ただ冷たい瞳でプレッシャーをかけてくる。
「えっと、ケイン様はあの曲のこと、くわしく知ってたりとか……?」
「質問してるのは、こっち」
「うう……」
進退窮まった時、横で聞いていたユナが口をひらいた。
「要するに、曲名とかがわかればいいの?」
助かった、とばかりに私は彼女の方を見て言った。
「あ、いえ。曲名はわかってるんです。『2人の魔女のおはなし』をモチーフにした歌曲集の中のひとつで、『王女の呪い』っていう――」
「はあ? 王女の呪い?」
ケインが反応した。それも、過剰なほどに強く。
「それは曲名じゃなくて、あのくだらない都市伝説のことだろ? 君、まさか信じてるの?」
え、え? 都市伝説? まさか信じてるの、って……どういう意味?
「あれは王家に対する侮辱だ。口にしたら、不敬罪に問われても文句は言えないくらいのね。仮にも王族に仕えている身で、あんなデタラメを信じているのかい?」
いかにも軽蔑したという目を向けられ、まくし立てられて。
私は混乱した。ケインの言っていることがさっぱりわからない。
視線でユナに救いを求めると、
「ごめん。全然知らない」
歌曲集のことも、「王女の呪い」のことも。
「でも、『2人の魔女のおはなし』はもちろん知ってるよ。うちにも絵本があってさ。カイヤが小さい頃、よく読んであげたんだ」
ユナは懐かしそうに笑って、昔話を披露してくれた。
殿下は子供の頃から本が好きで、絵本どころか文字でいっぱいの本でも苦もなく読むことができたらしい。
「でもね、あの絵本だけは特別だったんだ」
自分で読むより、誰かに読んでもらう方が好きだった。
「もっとちっちゃい頃から、ハウルによく読んでもらってたらしくてさ」
リウス家に来てからも、たまにハウライト殿下と並んで、絵本をひらいていた。傍目にもほほえましい光景だったとユナはにっこりする。
「あの頃のカイヤって人見知りでさあ。話しかけても逃げちゃって、なかなか仲良くなれなかったんだけど」
それでも時間の経過と共に少しずつ親しくなると、やがて彼女の所にも絵本を抱えてやってくるようになった。
「読んであげたら、嬉しそうにしてさ。目をキラキラさせちゃって、すごく可愛かったよ」
ねえ、ケインと話を振られて。
「記憶の改ざんがすさまじいね。君なんかより、僕が絵本を読んであげた時の方が、カイヤははるかに嬉しそうだったよ」
ケインはなぜかメラメラと対抗心を燃やしている。
「だいたい、君の読み方には、情緒ってものがまるでなかった。悲しい場面も、人が死ぬ場面ですら、無駄に元気よく前向きに読むんだからね」
そもそも、悲しい話だということすら理解していなかったのでは? と嘲笑されて。
ユナは「そんなことないよ」と否定した。
「ずっと理不尽だと思ってたよ。あの絵本の中の王女様、結局、最後まで不幸なままじゃん?」
絵本の中の王女様。国を救う代償として、水晶の塔に閉じ込められてしまった気の毒な王女様は、ユナが言う通り、主要登場人物の中では唯一救われない。
実の兄を愛してしまったことに苦しみ、白い魔女への嫉妬に苦しみ。
最後は塔から解き放たれるものの、最愛の兄王子の死を知って心を病んでしまう。
その後、黒い魔女の魔法で王子は生き返るのに。
王女はそのことを知らぬまま、1人何処かへと去っていく。
一方の白い魔女は、魔女の力こそ失ってしまうものの、記憶をなくした王子をちゃっかりゲットするのだ。
「ずるいよね。せめてお兄さんが生き返ったことくらい教えてあげればいいのに」
それは私も、子供心に思ったことがある。
白い魔女、ちょっとずるくないかって。
あのお話の中で、王女だけが救われないのは不公平じゃないのかって。
「誰でもそう思うでしょ」
とケインも同意した。「だから『王女の呪い』なんてくだらない都市伝説も生まれたんだろうね」
そこがよくわからないんですが。結局、その都市伝説って何なの?
ケインは殿下の昔話で熱くなっているのか、今度は「質問しているのはこっち」とは言わずに教えてくれた。
王女の呪いとは、つまり。
愛する人を奪った白い魔女を、その子孫を、ただ1人救われなかった王女が呪い続けていると。
自分と同じように、禁断の愛に苦しむように。血縁者のことしか愛せなくなる呪いを、白い魔女の血を引く王家の人々にかけた――という。
「出所もよくわからない、王家への中傷だよ」
とケインは付け足した。
「だいたい、おかしいだろう。王国の歴史は千年。あの絵本が書かれたのは、百年と少し前だ」
王国の古い伝承を元にしているとはいえ、基本はフィクションなのだ。事実ではない、創作を根拠にした「呪い」など、当然実在するわけもないと熱く語る。
「呪いだの、血縁だの。人の心は、そんなくだらないものに縛られやしないよ。その証拠に、カイヤは実の兄より僕の方がずっと好きだし、尊敬してるし、愛してもくれている」
前半はわりといいことを言っていたのに、後半で台無しだ。
彼らの関係をよく知るユナも、「そうだっけ?」と首をひねっている。
「そうだとも。カイヤを見ていればわかるだろ?」
「あたしにはわかんないな……。ケインの勘違いじゃない?」
「そう思うのは、君の目が節穴だからだ」
2人が言い合うのを、遠くに聞きながら。たった今ケインが語ったことを、頭の中で繰り返しながら。
私は、ひとつの仮説に思い至った。
あの曲を聞いたクリア姫が、倒れるほどショックを受けた理由。兄殿下にも明かすことができずに悩み続けていることというのは、もしかして――。
や、まさかね。今の時点で決めつけるのは早すぎだ。