249 金の髪、金の瞳
ユナが驚く声と、ケインが咎める声を背中で聞きながら。
私は夢中で走った。かすかに流れるメロディの源を追って。
おそらく、そう遠い場所じゃない。この階か、いや――多分もっと上だ。
手近な階段を駆け上がり、左右を見回す。音が聞こえてくる場所は、さっきよりずっと近い。
駆け足で廊下を進み――やがて、1枚の扉の前にたどりつく。
扉は細く開いていた。その隙間から聞こえてくるのは、もはや疑いようもない。お祭のバザーで、クリア姫が倒れる原因となったかもしれない、あのオルゴールだ。曲名は「王女の呪い」。
扉には金属製のプレートがかかっていて、「遊戯室」と文字が彫られている。
貴族やお金持ちがゲストを招いて、カードやダーツ、ビリヤード等に興じる部屋だ。
と、そこまで確かめたところで、私は「動くな」と刃物を突きつけられた。
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
ぐるりと私を取り囲み、冷たい瞳で威嚇してくるのは、色とりどりのメイド服をまとった女性たち。
いつの間に、どこから現れたのかは知らないが、その派手な色彩には見覚えがあった。「魔女の宴」で、レイテッド家の長女レイリアが、同じような服装のメイドを大勢連れていた。
要するに彼女たちは、レイテッド家の使用人であり、護衛でもあるのだろう。
屋敷の中を走り回っている不審な女、つまり私を見つけて、武器を突きつけてきたのだ。
状況を悟った私は、指1本動かすこともできずに凍りついた。
「何をしている!」
そこに背後から2人分の足音が追いかけてきた。考えるまでもない。ユナとケインだ。
「いったい何の真似だ!? 事と次第によっては――!」
ケインは遊戯室の扉を守るように自分の体を滑り込ませると、正面から私の目をにらみすえた。明らかに激高している。
何か弁解しなければと思ったが、言葉が出なかった。
そもそも、どんな言い訳が成り立つというのだ?
勝手によそ様のお宅を走り回って、許可なく別室に立ち入ろうとした。これではケインが怒るのも当然である。
「ちょ、待って。2人とも落ち着いて」
後から追いついてきたユナが止めに入ろうとした、その時。
キイ、と音を立てて扉が内側から開いた。
ひょっこりとのぞいた顔は、まだ小さな子供だった。
金色の髪と金色の瞳。人目を引く美しい容姿は、明らかにレイテッドの血筋だ。
年は4つか5つか。性別はどっちだろう。あまりに可愛らしくて判断に迷うが、髪形や服装からすると男の子かな?
扉を開けたら知らない誰かが居て、メイドたちに囲まれ、刃物を突きつけられている。そんな修羅場を目の当たりにしても、子供に脅えの色はなかった。ただ不思議そうに首をかしげて、
「ちちうえ?」
大きな金色の瞳で、ケインを見る。「どうしたの? わるもの? ふしんしゃ? あんさつしゃ?」
可愛らしい声で、物騒な単語を羅列しないでほしいと。
そう思うより何より、私はあっけにとられた。
「……父上?」
それはまさか、ここに居るケイン・レイテッドのことを指しているのか?
「中に入っていなさい」
当のケインは、何やら渋い顔をして子供にそう命じた――しかし子供は聞いていなかった。
「リハルト、リハルト。ちちうえがあんさつしゃをつかまえたって」
興奮に頬を染めて、部屋の中に向かっておいでおいでする。
間もなく、金髪金目の子供がもう1人現れた。これまた、人目を引く美しい容姿の少年だ。年は6、7歳くらい?
私を見て、小馬鹿にしたように鼻を鳴らし、
「馬鹿だな、リーライ。こんなマヌケ面の暗殺者が居るわけないだろ?」
愛らしい容姿に似合わぬ、毒舌を披露する。
「2人とも、部屋の中に戻っていなさい」
もう1度ケインが命じたが、2人はやっぱり聞いていなかった。小さな子供の方はキラキラと瞳を輝かせて私を見ているだけだし、少年の方はケインをスルーして、メイドたちに命じる始末。
「おい、おまえたち。その女を調べろ。本当に暗殺者なら武器くらい持っているはずだ」
「承知致しました、坊ちゃま」
メイドたちは少年に向かって小さく目礼すると、私が持っていた手提げを取り上げ、私の服の上からボディーチェックを始めた。
「……どうやら僕の周りには耳が悪い人間しか居ないらしい」
ケインはふーっと息を吐き出すと、静かに少年を見すえた。その口元は笑っているが、両の目は据わっている。
「リハルト。リーライを連れて部屋の中に戻っていろ。もう1度、僕に同じことを言わせたら……。どうなるか、わかってるね?」
明らかな脅し文句に、少年はフンと鼻を鳴らした。
「何だ、お仕置きか? おやつ抜きか? それとも、尻でも叩くつもりか?」
「まさか。そんなことはしないよ。僕は暴力が嫌いなんだ」
ケインはたっぷりと間をとってから、低い声で告げた。
「言うことを聞かないなら、2度とミケをなでさせてやらない」
「行くぞ、リーライ。父上をお待たせしてはいかん」
途端に少年はもう1人の子供の手を引いて、すばやく部屋の中に引っ込んだ。何とも鮮やかな変わり身である。
「……さて、と」
ケインが私に向き直る。その目は疑惑に満ち満ちているが、激高の方はいくらか鎮まってくれたようだ。
「君、実は暗殺者だったの? 父親だけじゃなく自分も?」
「……違います」
まあ、冷静になってみれば、この状況。悪意があって屋敷に入り込んだのかと疑われても仕方ない。
「何か理由があるんでしょ? 説明してもらおうよ」
取りなしてくれるユナに感謝しつつ、私はケインに謝罪した。
「あの、すみませんでした。急に走り出したりして、驚かせてしまって……」
本当は頭を下げて謝りたいところであったが、メイドたちに取り囲まれ、ボディーチェックを受けている状況ではそれも難しい。
「刃物のたぐいは持っていません」
メイドたちがケインに報告する。
「ただ、荷物の中にこんな物が――」
メイドの1人が手提げの中から取り出したのは、私が護身用にお屋敷から持ってきた麺棒だ。
「……何だい、これは」
「麺棒じゃない? クッキーの生地をのばしたりするのに使う――」
ユナが説明しても、ケインは怪訝な顔で、
「それくらい知ってるよ。僕が聞きたいのは、なんでこんな物を荷物に入れて持ち歩いてるのかってこと」
「普通に考えて、身を守るためとかじゃないの? ねえ、エルさん」
そうです。その通りです。ただ、自分で言うのも何だけど、麺棒を護身用に持ち歩くというのは、あんまり普通のことではなかったかもしれない。
ケインも「どこがどう普通なんだ」とあきれ返っている。
「本当に、すみません……」
「僕は謝れとは言ってない。質問に答えろと言ってるんだ」
「まあまあ、ケイン。ここで立ち話っていうのも何だしさ」
とにかく落ち着いて話せる場所に行こうとユナが取りなしてくれた結果、私はメイドたちに取り囲まれたまま、お屋敷のどこかに連行されることになった。