24 魔女の憩い亭にて3
「遅れてすまなかった」
開口一番、カイヤ殿下は私に謝ってきた。相当急いで来たのか、額にうっすら汗をにじませている。
「いえ――」
とっさに、何と答えればいいのかわからなかった。
この王子様が私のために駆けつけてくれたのは、図らずも本日2度目だ。
「よろしければ、どうぞ」
セドニスがグラスに入った氷水を差し出す。そして「遅れた理由」を殿下に尋ねた。「もしや、また城で何かあったのでは?」
「察しがいいな、セドニス」
殿下はグラスの水を飲み干し、一息ついてから答えた。「知らせが届いていた。我が親愛なる親父殿が暗殺されかけたと」
私はぶっと吹いた。
王様が暗殺って、んな物騒な――。
でも、殿下もセドニスも落ち着いている。
「国王陛下はご無事だったのですか?」
「ああ。残念なことに、傷ひとつない」
げほ、げほと咳き込む私。
「どうした、風邪か?」
「少し冷えてきましたからね」
お茶をお持ちしますと言うセドニスに、ついでに何か食事を、と頼むカイヤ殿下。「夕食をとり損ねた」
セドニスは承知して去っていった。
まだ咳き込んでいる私を見て、「王都の夜は冷え込むから気をつけたほうがいい」と殿下は言った。その気遣いは大変ありがたいのだが、
「あの、今の話……」
「ん?」
「王様が暗殺されかけたとか、無事なのが残念だとか……」
殿下は小さくうなずいて、
「いっそ無事でなければ、速やかに王位を譲らせることができたのだが」
「……そんな……」
さすがにひどいんじゃないか。実の親なのに。と、私は声には出さずに思った。
ただ、声には出ずとも顔には出ていたようで、
「死ねばよかった、と言っているわけではない。2、3ヶ月動けなくなる程度のケガでもしていれば、その間に兄上を王位に就けることができた。という意味だ」
「……はあ……」
どっちにせよドライというか、何というか。
「そんな話より、本題に入ろう」
だから、自分の親が暗殺されかけたのがそんな話?
「仕事の内容は以前言った通り。細かい条件は追って詰めるとして」
黒目がちの印象的な瞳が、再三の忠告を無視して、ひたと私の目を見すえる。
「明日の朝、この店の職安が開くのを待って、雇用契約を結ぶ――ということでどうだ」
「ちょ、待ってください」
私は慌てた。「まずは、もうちょっとくわしい話を……」
「わかった」
殿下は面倒くさそうな顔もせず淡々と、以前と同じ説明を繰り返した。
必要なのは、殿下の妹、クリスタリア姫のメイド。
お姫様のお屋敷に住み込み、食事の支度や掃除洗濯など、生活全般のお世話をするのが仕事。
必要スキルは料理と家事のみで、特に難しい仕事ではない――ということだけども。
「危険なこと、とかはないんでしょうか?」
「危険?」
殿下に聞き返されて、私は少しだけ声をひそめた。
「その、さっき暗殺がどうの、なんて話をなさっていたので……」
「それは親父殿の話だ。クリアに――俺の妹には関係ない」
「はあ……」
私が納得できないって顔をすると、殿下は説明を補足した。
お城のゴタゴタに、幼い妹姫は関わりがないし、今後も関わらせるつもりはない。
もちろん殿下と敵対する誰かが妹姫を狙う可能性はないわけじゃないが、だからこそ、信用できる護衛を雇っている。
私の仕事は、彼女の生活のお世話だけ。幼い姫君同様、ゴタゴタとは関わりない。それでも万一、危ない目にあうようなことがあったら危険手当をつける。
「無論、雇用条件の詳細は契約書の形でしっかり残す」
前任のメイドともそうした、と殿下は続けた。
ううむ。
そこまでクリーンな条件を提示されてしまうと、文句もつけにくいが……。
「ああ、でも、前に聞いたルチル姫――でしたっけ? 彼女のことは?」
異母姉のいじめから姫君を守るというのも、確か仕事のうちだったはずだ。
「あの娘のことなら、前にも言った通り、殺さない限りはどのように対処しても構わん」
ルチル姫はお嬢様育ちで、武芸の心得とかもないそうだが、
「おまえが身の危険を感じることがあったら、それも危険手当の対象に含めればいい」
と殿下は言った。
「あ、いえ。そこまでは別に、だいじょうぶだと思います」
道理の通じない子供というのは、時に大人よりも厄介だ。その子供が、身分の高いお姫様だというなら余計。
が、さすがにワガママ娘1人あしらえないで、お給料をいただくというのは申し訳ない。
そうか、とうなずく殿下。「他に、聞きたいことは?」
「…………」
ないわけではないが、すぐには思い浮かばない。
「質問がないなら、返事を聞かせてもらえるか」
「…………」
私は正直、迷った。
別に殿下が嘘をついているとか、私をだまそうとしているとは思わない。
それでもやっぱり、不安はぬぐえない。この仕事を受けて、本当にだいじょうぶなのか。
迷う私を見て、「事情があるのだろう」とカイヤ殿下は言った。「貴族の雇用主を求めたのは、それがおまえにとって何らかの利益になるからではないのか?」
……確かに、そうだ。
私の利益というか目的は、7年前、行方知れずになった父を探すこと。
貴族に雇われたかったのは、そのための手がかりを求めてだ。
父の失踪には、どうも身分の高い人間が深く関わっているようなのである。
しかし、平民生まれの私には、貴族の世界にコネもツテもない。だから使用人として雇われることを思いついた。というか、それしか思いつかなかった。
凄腕のメイドが、ご主人様の秘密をのぞき見しまくり、難事件を解決、最後は王族の乳母にまで出世する――なんて小説が昔、流行っていたのだ。
そんな都合良くいくわけがあるか、という突っ込みはナシで願いたい。そのくらい、自分でもわかっている。
小説は小説。あくまでフィクションだ。現実は、庶民が貴族や王族に近づく機会なんて滅多にない。
そう考えれば、最初に訪れた職安でカイヤ殿下に出会えたことは、「滅多にない」幸運そのものである。千載一遇のチャンスと呼んでもいい。ここで逃げてしまったら、いったい何のために故郷を出てきたのかわからない。
とはいえ、父を探し出すそのために、ひとつしかない自分の命を危険にさらそうとまでは思っていないわけで。
たった今聞いた「王様の暗殺未遂」の話が、私の迷いに拍車をかけていた。
やっぱり関わり合いにならない方がいいんじゃない? 厄介事に巻き込まれるかもしれないし? と本能が訴えてくる。
だけど、王族に雇われる機会なんて、多分これが最初で最後だろうし……。
ぐるぐると悩み続ける私に、殿下はさらにもう一押し。
「無理に事情を聞く気はないが、俺にできることがあるなら力を貸すぞ」
その言葉で、私は思い出した。殿下が戻ってきたら、伝えたいことがあったのだと。
「……お返事の前に、ひとつ、よろしいでしょうか」
「ん? なんだ」
私は軽く居住まいを正してから、頭を下げた。
「今日はありがとうございました」
「…………」
返事がないので顔を上げると、殿下はぴんとこない様子で私を見つめている。
「昼間の、事件のことです。何の関係もないのに、わざわざ足を運んでくださいましたよね?」
カイヤ殿下は短い間を置いてから、「ああ」とうなずいた。
「礼には及ばん。俺は何もしていないからな」
「でも、来てくれたじゃないですか。軽く流しちゃってますけど、それってけっこうすごいことだと――」
さっと手を上げて、私の話を遮る殿下。
ふわりと冷たい風が、店の入口から吹いてくる。
私は見た。そこに、1人の騎士が立っているのを。




