248 2人の友情
ケインはこの上なく迷惑そうな顔で待っていた。応接間らしき立派な部屋で、膝の上に白猫のミケを乗せて。
「あ、ミケちゃん、可愛い」
近づいてなでようとするユナの手を振り払い、「用件は何?」と一言。「こっちは暇じゃないんだ。用があるなら早くしてくれる?」
暇じゃないって、何してたんだろ。さっきの使用人の男性の口ぶりからすると、レイテッドの中でケインだけはむしろ暇そうな感じだったが。
「暇じゃないって、何やってたの?」
ユナも遠慮なく突っ込みを入れている。「何か悪だくみ?」
ケインは不愉快そうに鼻を鳴らした。
「人聞きが悪いことを言わないでくれるかな。僕は法にふれることなんて何もしちゃいないよ。それどころか、世のため人のためになる計画をたった今立てていたところさ」
嘘くさい、と私は思った。世のため人のためって、この人そんなキャラじゃないだろうに。
ユナも「本当に?」と突っ込んでいる。ケインは「しつこいな」と顔をしかめて、
「まあ、見ているがいいよ。この計画が成功すれば、カイヤは間違いなく喜んでくれる。カイヤが喜んでくれるなら、それは絶対に正しいことに決まっている」
実際に殿下が喜ぶところを想像したのか、恍惚とした表情で宙を見上げている。
私は若干引いたが、ユナは慣れているのか気にした風もなく、
「そのカイヤに暗殺予告状が届いたこと、ケインは知ってる?」
と質問を続けた。
「知っているけど?」
ケインはだからどうしたと言わんばかりだ。
あの予告状の件って、別に公表はされてないんだけど。ケインはどこでどうやって知ったのか?
「カイヤのことなら、僕はなんだって知っているよ」
……考えるだけ無駄だった。言うことがストーカーじみている。
「じゃあさ。あの予告状を書いた犯人は誰か、知ってる?」
「…………」
今度の質問には、ケインは答えなかった。知っているとも知らないとも言わずに、じっと透かすようにユナの顔を見返す。
「ひょっとして、心当たりくらいはあったりする?」
ユナは俄然、期待に目を輝かせた。
予告状の犯人探しをしていた仲間が消えたこと、その仲間がどこかの屋敷に忍び込もうとしていたことを説明し、何か心当たりはないかとあらためて問いかける。
ケインは心底どうでもよさそうに、「さあ?」と返答した。
「怪しい人間の所に忍び込んで帰ってこないっていうなら、普通に捕まったか、始末されたんじゃないの?」
思わず「不吉なこと言わないでください」と声を上げてしまう私。
そこで初めて、ケインが私の方を向いた。それまでは眼中にもないって感じで無視されていたのである。
「どうして君が――」
不審そうにユナと私を見比べて、
「そこの横暴で、無神経で、礼儀も常識も知らない、警官隊とかいう反社会的組織の人間と一緒に来ているわけ?」
「言いすぎじゃない?」
ユナの抗議を聞き流し、
「前は近衛騎士と一緒で、今度は警官? 君っていったい何なの」
「ただのメイドです」
と私は答えた。
ケインは鼻で笑って、「父親が暗殺者だったとかいうメイドね」
「……うちの父は暗殺者じゃありません」
反論しつつ、ケインはどこまで知っているんだろう、と私は考えていた。父の雇い主が、最高司祭のクンツァイトだったこととかも調べたのかな?
当人は私の家族のことなんて興味もないって感じで、
「密偵だろうが暗殺者だろうが、細かいことはどうでもいいよ」
と言い放った。
その態度には腹が立つが、今は言い争っている場合じゃない。
私は「聞きたいことがあります」とケインの顔を見すえた。
「ティファニー様、じゃなくてアルフレッド・ギベオン様が失踪したと聞きました。何かご存知ですか」
ケインはなぜそんな質問をされるのかわからないという風に眉をひそめた。
「失踪した彼のことを、どうして僕に聞くんだい?」
仲良さそうだったじゃないか。ティファニー嬢の話では、子供の頃から気が合っていたようだし。
「僕が彼を匿っているとでも思ったの?」
馬鹿馬鹿しい、とケインは吐き捨てた。
「彼の生家はギベオン。ギベオンはラズワルドの舎弟。仮にもレイテッドに属する僕が、ギベオンの人間を匿うなんてありえない」
「そんな……」
幼なじみなのに。このお屋敷で一緒にお茶を飲んだり、親しげに言葉を交わしたりもしていたのに。
きっぱりと、冷淡としか言いようのない口調で告げられて、思わず「冷たいんですね」と非難してしまう私。
「……君みたいな庶民にはわからないだろうね。僕たち貴族の関係性が」
ケインは苦虫をかみつぶしたような顔になった。
「僕の実家とギベオンは対等な間柄じゃない。ギベオンにとってのラズワルドは、いわば目の上のこぶだ。代々、無理難題を押しつけてきた、傍若無人なご主人様。好きで従っているわけでもなければ、互いに信頼関係があるわけでもない」
そんな家同士に生まれた人間が、対等の友情など結べると思うか。
たとえ表向きは親しく付き合っているように見えたとしても、裏ではどう考えていたか知れたものじゃない、とケインは言いつのった。
「普通はそうだよ。カイヤみたいな人間は滅多に居ない」
それは――確かに、殿下みたいな人はすごく珍しいと思う。
ティファニー嬢だって、自分の家やラズワルドに対して、思うところが全くないわけではなさそうだった。
でも、彼はバザーの時、私に言ったのだ。
リウス家に出入りし、ケインや他の幼なじみたちと過ごした時間は、10代唯一の良い思い出だって。
それだけは伝えておこうと私が口をひらきかけるのを遮って、「それに」とケインは語気を強めた。
「それに彼には、もっと年の近い親友が居た」
その話も、バザーの時に聞いた気がする。
7年前に事故死した王子の護衛で、責任をとって自害したという気の毒な――。
「裏通りの賭場にも平気で出入りするようなゴロツキで、しょっちゅう問題を起こしては勘当されかけていたボンクラ息子だったけどね」
……何だか、ティファニー嬢に聞いた話と随分印象が違う。
「僕が縁を切るべきだといくら忠告しても、彼は付き合いをやめなかった」
ケインの口ぶりには、嫌悪感がにじみ出ている。
ひょっとして、ヤキモチか?
ティファニー嬢が自分の忠告を聞かず、そのゴロツキのボンクラ息子に構うのが気に入らなかったとか?
それまで黙って話を聞いていたユナが、励ますように口をひらいた。
「あたしも、ケインのこと友達だと思ってるよ」
ケインは間髪入れずに言い返す。
「僕はただの腐れ縁だと思っている」
「それも友達の一種じゃない?」
こちらも間髪入れずに返されて、絶句するケイン。
「でさ。友達として助けてほしいんだけど。これからラズワルドのお屋敷に連れて行ってくれないかな?」
ケインは面食らった顔をした。
「はあ? 君をラズワルドの屋敷に? いったい何のために?」
「だから、さっき言ったじゃん。予告状の犯人探しをしてた仲間が消えたって。その仲間が忍び込もうとしていたのが、もしかしたらラズワルドのお屋敷かもしれないからだよ」
「……あいにく、君の都合で使われるのはご免だし、僕はもうラズワルドの人間じゃない」
とっくに勘当された身だ、既に死んだものとして扱われていると。
誇らしげに胸を張って答えるケインに、ユナは小さく首を傾げて、
「でも、出入りは許されてるんでしょ? たまにお母さんと妹さんに会いに行ってるって聞いたよ」
「それは……」
ケインは若干トーンダウンして、ついでに視線もそらした。
「別に、許されているわけじゃない。ただ咎める者が居ないというだけの話だよ」
彼の出入りを咎めるべき人間、ケインを勘当した張本人である騎士団長は、ここ数年、ラズワルドの屋敷には滅多に帰らないらしい。
ではどこに帰っているのかといえば、ケインいわく「愛人のもとに入り浸っている」とのこと。
「その愛人っていうのが、笑えることに」
あのエマ・クォーツの――国王陛下の側室で、「魔女の宴」で事件を起こした彼女の、従妹にあたる女性なんだって。
ラズワルドはつい先日行われた「淑女の宴」で、エマ・クォーツに暗殺者を差し向けた疑惑がある。
その従妹と、一方では不倫してるって。ドロドロのぐっちゃぐちゃだな。
「だから、仮にあの男が予告状の犯人だったとしても、あの家に証拠はない。そもそも足を踏み入れていないんだからね。行っても無駄だよ」
とケインは断言した。
「何にせよ、君に協力する義理はひとつもないしね」
と付け加えるのも忘れずに。
「友達じゃん。幼なじみじゃん」
「都合のいい時だけ……」
ケインはぎり、と音がするほど強く奥歯を噛みしめた。
「君って本当に空気を読まないよね。しかもわざと。子供の頃から、ずっとその調子で。こっちは遠慮して気を遣ってるっていうのにさ」
「遠慮って誰が?」
と首をひねるユナ。
私もまた、同様の疑問を胸にいだいていた。2人の子供時代のことは知らないが、ケインが誰かに気を遣うような性格だとは思えない。
「……そろそろ帰ってくれる?」
ケインは明らかに怒りをこらえている――いや、こらえきれなくなりつつある様子で、使用人を呼ぶための呼び鈴に手をのばした。
このまま帰らなければ、力づくで追い出すつもりらしい。
ユナもそれはわかったみたいで、
「しょうがない。今日のところは引き上げようか」
と私に言った。
「今日のところは、じゃない。2度と顔を見せるな。わかっていないようだから言っておくけど、僕は君のことが嫌いなんだ」
「はいはい」
と手を振って、出口の方に向かうユナ。
その背中に呪い殺しそうな視線を向けているケインに若干の同情を覚えつつ、私はユナの後を追うべきか否か迷った。
まだ何の手がかりも得られていない。とはいえ、これ以上会話を続けるのも難しそうだ。
迷っているうちに、ユナが応接間の扉をひらく。
「あれ?」
そして、何かに気づいたように足を止めた。
私も気づいた。お屋敷のどこかから、かすかに流れてくるメロディ。
清らかで優しく、切ない音色。
それが「あの曲」だと理解した瞬間、私は我を忘れて駆け出していた。