242 青藍祭
城下町は人でごった返していた。
平素のにぎわいの数倍、いやそれ以上に。
お祭を見物にやってきた観光客や、一儲けしようと訪れた商人たち。一目で異国から来たとわかる風貌の人も増えている。
「すごい人ですね」
と私がつぶやけば、並んで御者台に腰掛けているアイシェルも言った。
「このままだと、『魔女の憩い亭』に着くのは昼を過ぎてからになってしまうかもしれません」
確かに、さっきから馬車がほとんど動いていない。売り物を積んだ商人の馬車や、観光客を運ぶ乗合馬車で通りは大渋滞している。
今日はお祭のメインイベントのひとつ、王国特産の宝石を使った装飾品のデザインコンクールが行われる。
国中から腕に覚えのある細工職人が集まり、この日のために魂を込めて作り上げた作品の出来映えを競うのだ。
優勝者には莫大な賞金と、細工職人として最高の栄誉が与えられる。
コンクールは今日から3日間、一般公開される。
会場となる国立美術館は毎年、長蛇の列で、中には前日の夜から並ぶ人まで居るそうだ。
時間があればちょっとだけ寄ってみたいと思っていたのだが、甘かった。これでは本来の目的を果たすのも容易ではなさそうだ。
「うう、暑い……」
馬車の御者台では、陽差しを遮ってくれるものもない。涼しげな森の中とは違って、石造りの街並みは暑さをやわらげてくれることもない。
しかも周囲はあふれんばかりの人の波。熱気と息苦しさでどうにかなってしまいそうだ。
「だいじょうぶですか、エルさん」
と私に声をかけてくれる、アイシェルも疲れた顔をしている。
「だいじょうぶ、です……」
そう答えたものの、実際はあまりだいじょうぶではなかった。
できるなら、どこかお洒落な喫茶店にでも入って一休みしたいところだが、この状況じゃ無理な話だ。
参った。都会のお祭を舐めていたな。
「……いっそのこと、この先は歩いて行きますか」
「え?」
アイシェルは人でごった返す歩道と、馬車で大渋滞している通りを見比べて、
「もしかすると、その方が早いかも……。私は買い出しがあるので、馬車を降りるわけにはいきませんが」
「…………」
私は暑さで回らない頭で考えた。
ここから「魔女の憩い亭」までは、馬車で5分、歩いて20分くらいだ。
ただし、それは道が混んでいなければの話で、この状況では果たしてどれくらい時間がかかるか――どちらの方が早く着けるかはわからない。
悩んでいると、アイシェルは私を安心させるように笑って見せた。
「お1人になるのが不安ですか? だいじょうぶですよ。殿下が遣わしてくださった護衛の方がちゃんと守ってくださいますから」
「…………」
そう。護衛は居ることになっている。
自称「使い魔の末裔」という胡散臭い護衛。私が誘拐された時には仕事をサボっていた、それは頼もしい護衛が。
「今回は真面目に働くよう、よく言い含めておいた」
と殿下は言っていたけど、「それなら安心ですね」と思えるほど、私は大物じゃない。
むしろ、自分の身は自分で守るしかないと思い決め、ひそかに武器を用意してきた。
さすがに街中で刃物を持ち歩くわけにはいかないので、台所にあった麺棒を1本。
手提げ袋の中に忍ばせてきたそれは、長さも程よく、さほど重たくもなく、扱いやすそうだった。剣は無理でも、ナイフの攻撃くらいなら多分受け止められるだろう。
真っ昼間の往来で、何をそんなに神経質になっているのかと変に思われるかもしれないが。
私だって、こうも頻繁にトラブルに遭遇したりしなければ、自衛のための武器を持ち歩こうなんて考えやしない。
「そうですね……。これなら歩いた方が早いかもしれませんね」
ひそかに手提げの中の麺棒を握りしめつつ、私はもう1度、辺りの様子を見回した。
先程から馬車の列はほぼ動いていない。一方、歩道の方は人でぎゅう詰めながらも、一応流れはある。
「アイシェルさんはお1人でだいじょうぶですか?」
こんな状態で、買い出しなんてできるのだろうか。
本当なら、お屋敷には十分な食糧の備蓄があったらしい。こんな人の多い時期に、わざわざ買い出しなんてしなくてもいいように。
が、お城で起きた火事のせいで、私とクリア姫がお屋敷に滞在することになり、さらには警備の近衛兵も常駐することが決まったため、物資が足りなくなってしまったのだ。
「ご心配なく。これでも体は鍛えていますから」
そうは言っても、アイシェルは小柄でほっそりした女性だ。
力の強い男手――それこそサーヴァインでも居ればよかったのにと思う。
しかし殿下もオジロも、あの男に私のことを憩い亭まで送らせようとは微塵も思わなかったようだ。
……その理由は、考えるまでもない。
「すみません、ご迷惑をかけて……」
私が頭を下げると、「急にどうなさったんですか?」と驚かれてしまった。
言われてみれば唐突で意味不明だったと思い、謝罪に到った理由を説明すると、アイシェルはなぜか真顔になった。
「そのことでしたら、どうか謝らないでください。悪いのは、あのわからずやの唐変木なんですから」
「…………」
儚げな美女に似つかわしくない、キツイ悪態には少しばかりびっくりした。
私の反応に構わず、アイシェルは柳眉を逆立て、まくし立てた。
「あんな図体をして、まるで子供みたい。いつまでも態度が悪くて、本当に恥ずかしい……」
実のところ、今日の出がけにもサーヴァインとは一悶着あった。
オジロいわく「雑用係」の彼は、お屋敷の馬車の管理や、馬の世話も任されている。
だから馬車を借りる時に顔を合わせたのだが――アイシェルが言う通り、サーヴァインの私に対する態度はひどかった。
目も合わせず、言葉も発せず、口から出るのは舌打ちのみという。
「本当に、気にしないでくださいね。あの人、ヤキモチを妬いてるんです。殿下があなたのことを気に掛けていらっしゃるから」
確かに殿下には色々と気に掛けてもらっている。
……ただ、それは殿下が生粋のお人よしだからであって、あの男に妬かれるような何かがあるわけではない。
そこのところは誤解してほしくなかったので、念のため説明しておくことにした。できればアイシェルの口から、サーヴァインにも伝わることを期待して。
私と殿下の間に、いわゆる恋愛感情のようなものはいっさいない、と告げるとアイシェルは。
「……そう、なんですか……」
なぜか暗い表情になってしまった。
「ようやく、殿下に特別な人が……。そしたら、私も……」
何やら意味不明のつぶやきをもらしている。
「あのう……? アイシェルさん?」
声をかけても、返事がない。
もともと儚げな雰囲気のある彼女には、憂いに満ちた表情がよく似合った。
つい見とれていたら、アイシェルはハッと顔を上げ、
「あ、すみません。急に変なこと言って……」
「…………」
「とにかく、買い出しの方は私1人でだいじょうぶですから、エルさんはご自由になさってくださいね」
とってつけたようなセリフは、あまりに不自然だった。
これは、もしかしなくても、あれだろうか。
実はアイシェルも殿下のことが好きだったりするとか?




