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魔女の末裔~新米メイドの王宮事件簿~  作者: 晶雪
第十章 新米メイド、お屋敷で働く
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241 竜を呼ぶ笛

 あの夜のことを、私は今も鮮明に覚えている。

 伝説上の生き物である竜を、この目で見た夜のこと。

 10メートルを超す巨体が、突如、空から現れ――。

 ガラス窓を突き破り、私を誘拐した老人を失神させ、今まさにその老人を手にかけようとしていた不死身の暗殺者をも踏みつぶし、眼前に降り立った。


 本当に、夢でも見ているみたいだった。

 神秘的な金色の瞳。全身を覆う黒々としたウロコ。ねじ曲がった2本の角と、巨大なかぎ爪。

「力」そのものを体現しているかのようなその姿。ひ弱な人間の身では、恐怖と畏怖を感じずにはいられなかった。


「竜を呼ぶ笛……?」

 私は殿下が差し出したそれをまじまじと見つめた。

 笛だ。何の変哲もない。いわゆる縦笛というやつだ。

 大人のてのひらにおさまってしまうくらいの大きさ。材質は竹だろうか? あるいは木製? はっきりとは言えないが、おそらく金属ではないと思う。


「これを吹けば竜を呼べる……?」

 口に出してみても、にわかには信じがたかった。

「魔女の憩い亭」のオーナーであるアイオラ・アレイズが竜の乗り手ドラゴン・ライダーであり、こともあろうに伝説の生き物を輸送手段にして、商売をしているという話は知っている。

 彼女が竜の背にまたがっている姿を、私はあの夜、この目でしかと見た。

 それでも信じがたいものは信じがたい。


 私の反応を見て、殿下は縦笛を口元にあて、

「ああ。ためしに吹いてみるか?」

 私は高速でその手を引っぱたいた。

「おっと」

 殿下がよけたので、実際には空振りだったが。

「怖いこと言わないでくださいっ!」

 あの巨大な生き物がリビングの窓を突き破って飛んでくる、そんな光景をリアルに想像してしまったじゃないか。


「……すまん。冗談のつもりだったのだが」

 だとしても、タチの悪い冗談だ。

 私が軽くにらむと、殿下は「本当にすまなかった」と反省して見せた。

 縦笛をくるりと回し、吹き口を私の方に向けて、

「これは、普通に息を吹き込んでも音が鳴らないようになっている。定められた手順で音を出し、決められた音色を奏でた時のみ、効力を発揮する」

 つまり、うっかり間違えて竜を呼んでしまうとかいうことはないんだな。ちょっと安心した。


「殿下は使い方をご存知なんですか?」

「ああ。アイオラに聞いてきた」

「よく教えてもらえましたね……」

 それ以前に、よく貸してくれたものだ。

「竜を呼ぶ笛」だなんて、普通はどれほど大金を積んでも手に入らない。「白い魔女の杖」にだって負けない宝物だ。


「俺も、まさか借り受けられるとは思っていなかった」


 そもそも殿下がアイオラのもとに出向いたのは、彼女に確かめたいことがあったからだった。

 他でもない、逃げた「巨人殺し」のことだ。

 あの男は、「魔女の憩い亭」の所有する倉庫から姿を消した。そしてその場にはアイオラも居たのである。


「アイオラは、あの男の首にかけられた賞金を狙っていた。いくら相手が名の知れた暗殺者とはいえ、そう簡単に取り逃がすとは思えない」


 なので、くわしい事情説明を聞きに行ったところ、「魔女の憩い亭」にアイオラの姿はなかった。


「仕事ですか?」

「いや。馴染みの酒場にしけ込んでいた」

「…………」

「場所を教えてくれたのはセドニスだ。何でも、俺が来たら不在だと伝えるように言われていたらしい」

「…………」

 あからさまに不審な態度だ。何かやましいことがあるとしか思えない。


「アイオラにしては妙だ、と思った。仮にやましいことがあったとしても、それがどうしたと居直る方がアイオラらしい。にも関わらず逃げるというのは――」


 ありえない、と真顔でつぶやく殿下。

 しかも、ありえないことはそれだけではなく。

 殿下がアイオラを訪ねて酒場に出向くと、彼女は――。


「なんと、謝罪してきた」

「……それがありえないことなんですか?」

「少なくとも俺には経験がない。確実に自分の側に過失がある場合でも、まずは慰謝料を請求してくるのがアイオラ・アレイズという人間だ」


 不思議だ、としきりに繰り返す殿下のことが、私は不思議で仕方ない。

 そういう人間と、どうして普通に付き合っていられるのか。迷惑そうにも嫌そうにもしないのか。


「ただ、事情説明についてはかたくなに拒まれた。こちらが悪かったと認めてやるから、それで手打ちにしろと」


 それは一般的な謝罪とはだいぶ違う。……っていうか、謝罪とは呼べないよね。単に自分の都合を押し通そうとしているだけだ。


「俺が『それでは部下への説明に困る』と言うと、この笛を押しつけてきた」


 大事なお宝をしばらく貸してやるからいいだろうと。あとは何を言っても聞く耳持たずで。


「少し、よろしいでしょうか?」

と私は手を上げた。殿下の話を聞いているうちに、思い出したことがあったからだ。

「確か、宰相閣下は逃げた『巨人殺し』を追うつもりはないって話でしたよね?」

 例の予告状を出した人間は、どうやら別に居るらしいとわかったからだ。宰相閣下もカイヤ殿下も、あの男にはもう用がない。

 用があるのは、私だ。あの男はまだ何か隠していた。それを知りたかった。


「つまり、私のためにわざわざ『憩い亭』に寄ってくださったんですか?」

 忙しいのに。火事のことやら、盗まれた秘宝のことやらで大変な時に。

「……まあ、通り道だったからな」

 殿下はなぜかバツの悪そうな顔をした。

 私が硬い表情を浮かべていたので、怒っているとでも思ったのかもしれない。

 実際は違う。それこそバツが悪かったのだ。話を聞いてすぐにそのことに思い到らなかった自分が、不甲斐なくもあった。


 人が、自分のために何かしてくれること。優しさとか親切とか、そういうものって案外、見落としやすい。

 最初のうちは感謝していても、だんだん当たり前になってしまう。ついには気づくことすらなくなったりする。


「あの、ありがとうございます。色々大変なのに、気にかけてくださって」

 私はぺこりと頭を下げた。

 殿下が口をひらきかけたので、多分「礼の必要はない」だろうと思い、遮るように言葉を続ける。

「私も憩い亭を訪ねてみます。アイオラさんに話を聞けるかどうかはわかりませんけど、セドニスさんなら何か知っているかもしれませんし」


 自分のことは自分で何とかしよう。

 殿下には盗まれた秘宝のことや、目の前に迫る儀式のことに集中してもらわなければならないのだから。


「そうか……、わかった」

 殿下は少し考えてからうなずいた。そしてすっくと席を立ち、再びリビングから出て行ってしまった。

「?」

 不思議に思いつつ待っていると、やがて足音が戻ってきた。1人ではない、2人分だ。

「申し訳ありません、殿下。出迎えもせずに」

 やってきたのはオジロだった。


 多忙な殿下は、お屋敷に戻る時間が不規則になりがちだ。

 だからお屋敷の人たちは宿直を決めて、主人の帰りを起きて待つようにしている。今夜の当番は彼だったのだが、

「つい書類仕事に熱中してしまいまして……。あなたが居てくださって助かりました」

 オジロは苦笑いを浮かべている。


 当のご主人様は、そんなことは全く気にせずで、

「それより、近いうちに街に行く予定はあるか? エル・ジェイドを『魔女の憩い亭』まで送ってやってほしい」

 唐突な命令に、オジロは戸惑うでもなく、すぐに承知した。

「それでしたら、アイシェルに送らせましょう。数日中に市場に買い出しに行くと申しておりましたので」

「そうか、任せた」

 殿下の視線が移動する。オジロから私の方へ。そのまなざしが、なぜか少しだけ不機嫌そうだ。

「オジロに聞いた。昼間、叔父上がおまえに会いに来たそうだな。……なぜ、隠していた?」


 別に隠してない。殿下が先に話を始めたから……。まあ、秘宝が盗まれた件やら竜を呼ぶ笛やらに気をとられて、うっかり報告を忘れそうになっていたけど。


「叔父上の用件は何だ。何をしに来た?」

 既に真夜中を過ぎている。今からその話を始めたら、寝不足になってしまうんじゃ……。でも、この様子だと、「明日にしましょう」と言っても聞いてくれそうにないし。

 私は仕方なく、自分が寝泊まりしている客間へ、例の封書を取りに行った。

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