240 盗まれた秘宝
そんな成り行きで置いていかれたものだったので、私は分厚い封書を開けてみる気にはなれず。
まずはカイヤ殿下に相談してからと思い、雇い主の帰りを待つことにした。
しかし殿下は、夕方になってもお屋敷には戻らなかった。
とっぷりと日が暮れた後も、夕食の時間を過ぎても、私がその日の仕事を終えて、与えられた部屋に戻った後も。
ひょっとして、今夜は帰らないのかな。
明日も仕事があるし、そろそろ休むべきか――。
でも、もう少し。もう少し――と粘っているうちに、時刻は真夜中に近づき。
さすがに時間切れかとあきらめかけた時、お屋敷の外から、馬の嘶きが聞こえた。
急ぎ、部屋を飛び出し、玄関へと向かう。
「エル・ジェイド。まだ起きていたのか?」
そこにはたった今、お屋敷に帰ってきたばかりのカイヤ殿下が居た。
1人ではない。一抱えほどの木箱を持った、荷運び風の男を連れている。
……何だかちょっと、怪しい雰囲気の男だった。
猫背で、うつむきがちで、しかも上着のフードを目深に下ろしているので、顔がよく見えない。
私が近づいていくと、なぜかぎょっとしたように身をすくませた。
そして手にした箱を放り出すように床に下ろし、走って外に出て行ってしまった。
「ヴァイス、ご苦労だったな。明日もよろしく頼む」
殿下が声をかけても、返事すらしない。
「……どちらさまですか?」
「ああ、俺の護衛だ」
護衛の人なの? それにしては貧相な体格だったし、態度は悪いし。
「気を悪くしないでくれ。彼は極度の人間嫌いで、見知らぬ人間と同じ空間に居るだけでも耐えがたいらしい」
それを「気を悪くしない」でいられる人はわりと少数派だと思う。
「それよりも、こんな時間までどうした。何かあったのか?」
そうだ。本題を忘れてどうする。
「実は、ご相談が――」
「ちょうどいい。俺もおまえに話したいことがあった」
殿下はさっき男が放り出した木箱をひょいと持ち上げ、すたすたと歩いていく。
行き先はリビングだった。昨夜と同じように、既に明かりも落とされており、薄暗い。
殿下は例の飲み屋のカウンターみたいな対面キッチンに木箱を下ろし、「中身を確かめておいてくれ」と言って、一旦リビングから出て行った。
はて、何だろうと首を傾げつつ、木箱に近づく私。
何の変哲もない箱である。一応ふたがついているものの、鍵がかかっているわけでもない。
そっとふたをずらし、中をのぞいてみる。
「え……」
思わず2度見してしまった。
箱に入っていたのは、私の私物だった。私服やメイド服の替え、普段使っていた身の回りの品々。クロサイト様がサインしてくれた文庫本もある。
「どうして……」
これがここにある、ということは、お屋敷は火に巻かれなかったの?
あるいは全焼を免れた? 私が寝泊りしていた部屋はたまたま無事だったとか?
「待たせたな」
殿下が戻ってきた。なぜか明かりの灯ったランプを2つも提げている。
「薄暗い場所で2人きりになるなと、サーヴァインに忠告を受けたばかりだからな」
それをカウンターの上に並べて置いて、これで問題はないとばかりに席につく。
「…………」
問題はあるような気もしたが、私は黙っていた。
だいたい、昨夜のことはサーヴァインの邪推なのだ。一部は常識的な苦言だったとしても……、いや。あんな男の言うことなんて気にしない。断固として気にしない。
「現時点でわかったことを説明する。ただ、どうにも不可解な点が多いということは先に理解しておいてほしい」
「はあ」
曖昧にうなずきつつ、私は殿下の横に腰掛けた。……念のため、ひとつ席を空けて。
「クリアの屋敷は無事だった。焦げ跡ひとつなく、元通りに建っていた」
あの業火の中で? そんなことがありえるのだろうか?
「黒焦げになった庭園の草木も、午後には若葉が芽吹き始めたと報告を受けている」
確かに不可解だ。まるで魔法みたい。
「そうだな。あのダンビュラが直前まで異常に気づかなかったことといい、不可解なことばかりだ。失火にせよ放火にせよ、普通の原因ではありえない。何らかの超常的な力がおそらく関わっている」
それと関係があるかどうかはわからないが、と前置きして。
「実はあの火事の夜、城の宝物庫に賊が侵入したようでな。王国の秘宝が盗まれた」
さらっと軽い口調で言われて、言葉の意味がすぐには飲み込めなかった。
「……秘宝?」
「前に話したことがあるだろう。魔女の七つ道具だ」
魔女の七つ道具。
……確か、「魔女の霊廟」に行った時に話を聞いた気がする。
白い魔女が遺したとされる宝物で、魔法の杖とか空飛ぶホウキとか、ちょっと信じられないようなものが実際にあるらしく。
「……え。それを盗まれちゃったんですか?」
「ああ」
「七つとも全部? そっくり丸ごと?」
さらに問いを重ねると、殿下の視線が泳いだ。
「いや……、それも不可解といえばそうなのだが」
宝物庫から消えた宝はひとつだけ。白い魔女の杖だけがなくなっていたと聞いて、私はつい大声を上げてしまった。
「あの杖ですか!?」
「2人の魔女のおはなし」にも出てきた、節くれ立った木の杖。人々の願いをかなえる時、魔女たちが必ず使っていた、あの。
「その杖って、あれですか!? 魔女じゃなくても、誰でも魔法が使えたりするとか!?」
「落ち着け。声が大きい」
と注意してから、
「城に遺された古文書の記述によれば、そこまで便利な物ではないらしい」
と殿下は首を振った。
その杖を使うためには、色々と細かい制約がある。
まずは清浄な月の光に千日以上、あて続けなければならない。
その後は暗い場所で百日以上保管し、最後は月のない星夜に十日以上。
杖を使う者は清らかな乙女でなければならず、不浄を祓うために千日、俗世との関わりを断つ必要がある。
そこまで念入りに準備をしても、魔法を使えるのは1度きり。
次に使うためには、また入念な下準備をやり直さなきゃいけない。
「不便ですね……」
率直に言って、すごく面倒くさい秘宝だ。神秘的といえばまあ神秘的だけれども。
「使うのが人間では、そんなものなのだろうな」
と殿下は肩をすくめた。「本物の魔女なら、話は別かもしれん」
もっと自由に魔法を使える?
だけど、おとぎ話の中の魔女たちも、けして無制限に魔法を使っていたわけじゃない。必ず代償を求めていた。それが「ことわり」だってセリフもあった。
「あの火災が、仮にその杖の力で人為的に引き起こされたものだとすれば――」
何の前触れもなく火が出たことも、ダンビュラが異変に気づかなかったことにも一応は説明がつく。
「ただ、その場合。犯人はどうやって宝物庫に忍び込んだのか、というのが問題になる」
盗難が発覚した当初は、突然の火災の混乱をついて、賊は宝物庫に侵入したものと考えられていた。
しかし、あの火災がそもそも秘宝の力によるものなら、杖が盗まれたのは火事が起きるより前ということになる。
「宝物庫は厳重に警備されていた。普通の方法では近づくことさえ難しかっただろう」
殿下は眉間にしわを寄せて考え込んでいる。
「すごい腕利きの泥棒だったんじゃないですか?」
私が適当な思いつきを口にすると、
「だとしたら、目的は何だ?」
と返された。
伝説の秘宝を盗み出し、お城に火を放った犯人の目的?
何だろう。……たとえば、テロ攻撃?
王国の中枢を直接攻撃、破壊することが目的だったとか。
実際に火をつけられたのはクリア姫の庭園だが、放っておけばお城にも燃え移っていたはずだし、要人にも犠牲者が出ていたかもしれない。
となると犯人は、敵国の工作員?
厳重な警備をかいくぐって忍び込み、王国の秘宝をまんまと手中に収め、今も王都のどこかにひそんでいるのだとしたら。それはこの国の平和にとって、重大な脅威となりうる。
「そうだとしても、再び杖を使うことは不可能だ。今頃は燃料切れになっているはずだからな」
あ、そっか。魔法を使うためには、面倒な下準備がいるんだっけ。
「古文書の記述が全て正しいとは限らんから、油断は禁物だが……」
……それも、確かに。安心させるのか不安にさせるのかどっちかにしてほしいんだけど、殿下に悪気はないんだろうな。単に思ったことをしゃべっているだけで。
「狙われたのが王国とも限らない。俺があの屋敷に泊まっていると考えた何者かの仕業かもしれん」
また何でもないような口調で、怖いことを言う。
確かに殿下は、現在進行形で命を狙われている身だ。
とはいえ、殿下1人の命を奪うためだけにわざわざ王国の秘宝を盗んで、あんな大火事を起こすのは不自然な気がする。
それに殿下は、このところずっと妹姫のお屋敷に来るのを避けていたし――。
……あ、でも。
あの日の昼まではお屋敷に居たんだよな。「魔女の霊廟」で急に倒れてしまった、クリア姫の意識が戻っていなかったから。
あのまま泊まっていくことだってありえたかもしれない。
しかし実際には、1人で王室図書館に出かけて、そのまま帰らなかった。
「そういえば、セレナさんには会えました?」
「?」
「王室図書館に行ったんですよね? 例の『王女の呪い』のことを調べに……」
「……ああ、その話か」
殿下はなぜか目をそらすと急に早口になって、
「セレナには会った。話を聞くこともできた。だが、クリアが倒れた原因についてはわからなかった」
文書を読み上げるみたいに抑揚のない口調で言う。明らかに挙動不審だ。
「……何かありました?」
控えめに突っ込んでみても、「何もない」ときっぱり。「そんなことより、今後の話をしよう」
強引に話を変えてしまう。
「クリアには明日、俺の口から直接、事情を説明する。秘宝のひとつが盗まれたこと、それがあの火事と関わりがあるかもしれないことも」
話せることは全て包み隠さず話すと、力を込めて言う。
このところずっと、クリア姫に隠し事してたからな。殿下も罪悪感が蓄積してるのかも。
「屋敷の警備も万全にする。具体的には、腕に覚えのある近衛騎士を交替で常駐させる。それに、サーヴァインとアイシェルもああ見えて腕がたつ。もとは貴人の護衛を務めていたほどだからな」
貴人の護衛って、いわゆるエリートの仕事では? それがどうしてメイドと雑用係に?
「俺もできる限りそばに居るつもりだ。例の儀式の準備もあるから、全く外出しないというわけにもいかんが……。必要があれば飛んでくる。そのための手段も手に入れた」
私の疑問を放置したまま、殿下は話を進めてしまう。
まあ、サーヴァインたちのことはいいとして、「王女の呪い」の件はくわしく聞いておいた方がいいような気がした。
殿下って、たまに思い込みで行動することがあるからね。マメにチェックしないと。
そう思って口をひらきかけた私だったが、結局はうやむやになってしまった。殿下が懐から小さな笛を取り出したからだ。
「竜を呼ぶ笛だ。今日、『魔女の憩い亭』に行って借りてきた」