239 宰相の用件
で、それからしばらく後。
私はお屋敷の応接間にて、宰相閣下と向き合っていた。
お名前を聞く機会はちょくちょくあったものの、こうして話をするのは、実は久しぶりだったりする。
先日、成り行きで閣下のお屋敷に泊めていただいた時も、あらためて向かい合うような機会はなかったし。
短い手足とふっくらした体つき。ぬいぐるみのクマさんみたいにつぶらな瞳。
あいかわらず無害そうな外見の、泣く子も黙る宰相閣下。五大家と呼ばれる、由緒正しい貴族のご当主様。
今日は聖職者が身にまとうような真っ白なローブ姿だった。
今現在、王都は青藍祭というお祭の真っ最中だ。色々と公的行事も多いと聞いているから、閣下もそういった行事に出席するのか、既に行ってきた帰りなのかもしれない。
私が淹れた紅茶を一口飲んで、
「大変だったらしいね」
と一言。
大変、大変、というのはどれのこと? 心当たりがないわけじゃなくて、心当たりがありすぎてわからない。
「……城で起きた火災のことだよ。君も巻き込まれたって聞いたけど?」
「あ、はい」
それは確かに大変でしたとうなずく私に、宰相閣下は冷ややかに目を細めて、
「さすがの君も、身の危険を感じたでしょ。そろそろ辞めたくなったりした?」
「…………」
「ああ、でも。君は危険には慣れてるのか。正体不明の密偵の娘だしね」
のっけからキツイな。もはや取り繕う気もないってことか。
「何を他人事みたいな顔してんだよ」
口ごもる私の代わりに、言い返してくれたのはダンビュラだった。
「最高司祭だかいうジジイを焚きつけて、こいつを誘拐させたのはあんたの仕業なんだろ? そのせいで殿下を怒らせて、危うく縁を切られかけたとか聞いたがな」
こちらもキツイセリフに、宰相閣下のまなざしがさらに細められる。
この場に居るのは、私と宰相閣下の他は彼だけだ。
クリア姫はリビングに居る。本当はこちらに同席したいと言ってくれたのだが、叔母上様が放してくれなかったのだ。
「心配したのよ、本当に心配したのよ、クリアちゃん。本当に本当に、無事でよかった――」
しっかりとクリア姫の体を抱きしめて、叔母上様は泣いたり喜んだり忙しかった。
私がその時の様子を思い出していると、
「今日、君に会いに来た目的はそれだよ」
と宰相閣下が言った。
「それ」というのはつまり、甥との関係がギクシャクしているので、何とかしたい。その原因を取り除きたい、という意味だったらしく。
「率直に言って、君には迷惑している」
ダンビュラが反論しかけるのを遮り、「いいかげん、消えてほしいとさえ思っている」
……まさか、本気でそんなセリフを言われるとは思わなかった。
唖然とする私と、警戒心を露わにするダンビュラの前で、閣下はローブの内側から分厚い封書を取り出し、
「これを、君に」
そう言って、テーブルの上に置く。
「金か?」
とダンビュラ。
「情報だよ」
と答える宰相閣下。
「君の父親であるシム・ジェイドについての情報。ひとまず現時点でわかっていること全部」
「…………?」
なぜ、そんなものを私に? いわゆる手切れ金代わり?
「そんなつもりはないよ。そもそも、この情報が君にとって有益なものかどうかはわからない。君が依頼した『魔女の憩い亭』が調べた内容も含まれているだろうし」
分厚い封書を私の方に押しやり、
「ただ、私にはもう必要がないものだから、持ってきただけだ。これをどうするかは君次第。処分してくれても一向に構わない」
そう言って、席を立つ。
そのまま帰ってしまいそうに見えたので、私は慌てた。
「待ってください!」
その「情報」とやらの見返りは何だ。
代わりに辞めろ的な話なら受け取るわけにはいかない。
たとえ、庭園のお屋敷が焼けてしまったせいで、もうすぐ辞めることになるかもしれない仕事でも。
そんな取引はできない。
宰相閣下はうるさそうに振り向いて、
「別に、見返りなんていらない」
私とダンビュラは、そろって同じ疑いの眼になった。
「……強いて言うなら、カイヤが機嫌を直してくれること」
今日ここに来た目的は、こじれた甥との仲をどうにかすることなのだ。本人の不在中にメイドを辞めさせたりしたら、関係修復どころの騒ぎじゃない。
「そんな馬鹿なこと、するわけないでしょ」
「だったら、最初から物騒な真似すんなよ」
ダンビュラの突っ込みは無視して、宰相閣下は私に質問してきた。
「もちろん、納得して辞めてくれるなら願ってもないよ。君、王都に出てきた目的を果たしたらどうするの。郷里に帰るわけ?」
「……先のことはまだ、考えておりませんが」
慎重に答えると、宰相閣下の眉間にしわが寄った。
「君、確か長女だよね?」
家業を継ぐつもりだったんじゃないのか、それとも弟が継ぐのか、とさらに不躾な質問を投げてくる。
家族構成もとっくに調査済みなんだな。
だったら別に隠す意味はないのかもしれないけど……。あまりプライベートな話はしたくなかったので、私は頭の中だけで答えを考えた。
実家の居酒屋を継ぐつもりが、全くなかったというわけではない。
ただ、「長女だから」と過度な期待をかけられていたかといったら、そういうわけでもない。
家族も周囲も、子供が3人も居るのだから、放っておいても誰かが継ぐだろう――くらいのアバウトな感じだった。
それでも弟が継ぐ、というのは多分ない。
客商売には根っから向かない性格と口の悪さ。加えて、王都の大学に行って官僚試験を受ける、なんて大それた野望を持っているからだ。
店を継ぐのに1番積極的だったのは、実はまだ10歳の妹だったりした。
料理の仕事は大変だから、腕のいい料理人と結婚して、自分は美人おかみになりたいとか言ってた。おかみの仕事だって、全然楽じゃないだろうに。
私が黙って家族のことを思い出していると、
「田舎は嫌だとか郷里に帰りたくないとか、どうしても都会で働きたいとか君が思っているなら」
もっと安全で、割のいい仕事をいくらでも紹介する、と宰相閣下は言った。
「君がカイヤの前から消えてくれるのなら、安いものだよ」
随分な言われようである。もはや宰相閣下の目には私のことが、殿下に災いをもたらす疫病神にしか見えないらしい。
……そんなことはない、と言い切れないところが微妙につらい。
「あの……」
閣下の顔色をうかがいつつ、私は遠慮がちに口をひらいた。
「お祭の儀式って、もうすぐですよね?」
青藍祭は数日前に始まって、期間は2週間ほどで、儀式が行われるのは最終日。だから、だいたい10日後くらいに殿下がお役目を務めることになるわけだ。
宰相閣下のまなざしが尖る。「それが何?」と鋭く問い返してくる。
「中止になったりとかは……」
しないのかな。それか、代役を立てるとか。
例の予告状は、本物の「巨人殺し」が書いたものではなかった。
でも、ただのイタズラや脅しと決まったわけでもない。
別の暗殺者が、有名な「巨人殺し」の名前を勝手に使ったのかもしれない。その暗殺者が、儀式の場で殿下を狙ってこないという保証はない。
「他国の要人もやってくる公的行事だからね。そう簡単に中止になんてできないよ」
「……ですよね」
「まして代役なんて、認められるわけがない。それならフローラにやらせろって話になるのは目に見えてるし」
宰相閣下は苛立たしげに前髪をかきむしると、「はあ」と肩を落とした。
「まったく、いいかげんにしてほしいよ。こっちの問題も解決しないうちに、今度は城のど真ん中で放火だって? しかも犯人は魔女だとか」
後半はわりと初耳というか、寝耳に水だった。
あの火事は放火だと確定したのか? 犯人は魔女って?
「カイヤが帰ってきたら聞けばいい。どうせ君には話すだろうから」
つっけんどんに言い捨てる。
結局、最後まで刺々しい態度を崩すことなく、宰相閣下はお屋敷から去っていった。