235 朝の食卓
「……うまい」
料理を一口食べたカイヤ殿下は、なぜかたいそう驚いた顔をした。
食卓に並んでいるのは、オムレツ、スープ、サラダ……といったごくごくありふれたメニューである。
殿下はそのオムレツが気になったみたいで、しげしげと中身を検分している。
トマトを刻み、ハーブと混ぜて、オイルで和えたものが入っている。ハーブはこのお屋敷の庭から採ってきた。いくらでも使っていいとオジロが言うので、お言葉に甘えさせてもらったのだ。
「あのう……、殿下?」
いつまでも食べずに眺めているので、冷めますよ、と声をかけようとしたら、おもむろに一口。ゆっくりと咀嚼して、感嘆の吐息をもらす。
「焼き加減といい、味付けといい、絶妙だな」
だから、そこまで感心せんでもいいだろうに。
「ただのオムレツですよ」
珍しい料理ではないことを強調すると、
「ただのオムレツが、ここまでうまいことが驚嘆に値する」
と真顔で返された。「このスープもうまいな。あの短時間で作ったことが信じられない」
台所にあったお野菜と、乾燥キノコを戻して作ったスープである。味付けには塩の他、やはり庭で採れたハーブを使用している。
ほめてくれるのは嬉しいが、あまり大げさに評価されるのも居心地が悪い。私が困った顔をしていると、
「あの、本当においしいと思います」
とニルスが言った。ちょっとバツが悪そうに笑って、
「僕たち、食事は当番製で。……だけど、みんなそれほど上手じゃなくて。もともと家事とかしたことない人ばっかりで、だから」
その言葉に真っ赤になって顔を伏せたのは、なぜかメイドのアイシェルだった。
赤面してうつむく姉を見て、ニルスは小声で付け加えた。「えーと、姉は何度か台所を爆発・炎上させました」
「…………っ!」
ニルスが「いたっ」と悲鳴を上げた。どうやらテーブルの下で、姉に叩かれるか蹴られるかしたらしい。
ちなみに2人は並んで座っており、車椅子に座ったままのニルスは、他の人より広い空間をとっている。
「アイシェルは何をやらせても上手い方だと思うが、料理の腕だけは壊滅的なのが謎だな」
カイヤ殿下がつぶやく。
心底不思議がっているような口調で、おそらく悪気はないんだろうけど、「壊滅的」は言い過ぎだと思う。さらに赤くなって縮こまっているアイシェルが気の毒だ。
「誰でも苦手なことはありますからね」
オジロがフォローする。「それでも皆、この2年で随分上達したと思いますよ。殿下のご指導の賜物ですね」
「ご指導、と言えるほど手間はかけていない」
仕える主人( しかも王族)に料理を習う使用人たち。想像すると、シュールな光景である。
「もともと家事とかしたことない人ばっかりで」というニルスのセリフといい、「押しかけ部下」というオジロの話といい。
彼らがこのお屋敷で働いているのには、色々と事情がありそうだった。
なお、あのサーヴァインという男は、朝食の席には姿を見せなかった。
理由は聞いていない。オジロが「気にしないでください」というので気にしないことにした。
ダンビュラも居ないが、彼はもともとあまり食事をとらない。
「そういえば、クリスタリア姫は甘いものがお好きだと伺っておりますが」
「う、うむ。好きなのだ」
オジロの言葉に、ぎこちなくうなずくクリア姫。慣れない人たちと囲む食卓で、少しだけ硬くなってしまっているみたいだ。
オジロはそんなクリア姫に、ひなたぼっこみたいな温かいまなざしを向けた。
「よろしければ、デザートにパイはいかがですか。そこのニルスが焼いたものです。レシピは殿下にいただきました。もとは、王妃様のメイド長が考案したものだと伺っております」
ああ、あのレシピ。私もノートにまとめたものを前任のパイラから引き継いだ。
いろんなお菓子や料理の作り方がわかりやすく載っている、とても役立つレシピで――だけど、あのノートもやっぱり、火災で燃えてしまったんだろうな……。
「それは、懐かしい……。離宮に居た頃、よく作ってもらったのだ」
クリア姫の顔が輝く。
一方のニルスは小さくなった。
「あ、あの。そんなにうまくはできてないと思います。多分、レシピ通りの味じゃないっていうか」
「それはクリスタリア姫に判断していただきましょう」とオジロ。
そんなわけで、食後のデザートはニルス作のパイということになった。
中身はベリーが数種類。レシピだとチェリーパイなのだが、旬のフルーツで代用することも可能なのだ。
オジロが切り分けてくれたパイは、若干焦げている部分もあったが、クリア姫は文句を言うでもなく、嬉しそうに食べていた。
そんな妹の様子を見ているカイヤ殿下も、心なしか、いつもより柔らかい表情を浮かべていて。
なんか、このままここで兄妹が暮らすことに何の不都合があるんだろうって思ってしまうけど……。
何かあるんだよな。クリア姫がそれを拒んでいた理由が、必ず。




