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魔女の末裔~新米メイドの王宮事件簿~  作者: 晶雪
第十章 新米メイド、お屋敷で働く
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228 お屋敷の住人たち2

 そこは何の変哲もない廊下だった。

 天井には、小さなランプがひとつ。時間が遅いためか光量は絞ってあり、辺りは薄暗い。

 扉が2つ並んでいる。うちひとつは私がたった今出てきた扉で、もうひとつはクリア姫とダンビュラが寝ている部屋だと思う。

 廊下はL字に折れていた。その先は見えないが、お屋敷のどこかに通じているはずだ。

 私は廊下に踏み出した。スリッパは油断するとパタパタ音がしてしまうので、すり足で慎重に移動する。


 ガタンッ。


 と、その時。

 曲がり角の向こうから、物音がした。


 ガタガタ、ゴトッ。


 物音は続く。

 その音に混じって、かすかに苦しげな吐息も聞こえた気がした。


 ――え、何? どうしたの?


 私はとっさに駆け出した。スリッパが鳴るのも構わず、勢いよく廊下の角を曲がる。

 その先も、よく似た廊下だった。

 一方の壁には窓が、もう一方の壁にはドアが、それぞれ等間隔に並んでいる。

 そのうち1番手前のドアが半開きになっていて、そこに車椅子に乗った誰かが居た。背を丸め、車椅子の上にうずくまるようにして。

 よく見ると、ドアの下部にある溝に、車椅子の車輪がひっかかってしまっている。

「だいじょうぶですか?」

 私の声に、ハッと顔を上げる。


 まだ少年だった。14、5歳だろうか。ちょうど郷里の弟と同じくらいの年頃だった。

 雰囲気もどこか似ていた。

 知的で、落ち着きがあって、体を使うより頭を使う方が得意そうなタイプ。

 もっとも、うちの弟は少々性格が悪く、いかにも人を小馬鹿にしたような目つきをしているのだが、少年は違った。知的な上に澄んだ目をしている。

 

 緩くウエーブのかかった髪質と、どこか儚い顔立ちがアイシェルによく似ていて、すぐに血縁者だとわかった。

 アイシェルよりも色素の薄い、栗色がかった髪を首筋で切りそろえている。

 代わりに前髪を長くのばしており、顔の右半分がほぼ隠れてしまっていた。ただ、完全に覆い隠すことはできておらず――人形のように美しい顔立ちを、痛々しいやけどの痕が蝕んでいるのがわかった。


「あ……」

 少年の左目が見開かれる。「あの、カイヤ殿下のお客様、ですか?」

 丁寧に尋ねてくる、その声はわずかにかすれていた。感情の乱れによるかすれではなく、声を出すのが不自由なのではないかと思えた。


「あ、はい。エル・ジェイドと申します」

 正確にはお客様ではなく、雇われたメイドだが。

 慌てて名乗ってから、「あの、だいじょうぶですか」と声をかける。

 少年は車椅子を見下ろし、「お騒がせしてすみません……。ここ、よくひっかけてしまうから気をつけていたのに」

 やはり、車輪がはまってしまったようだ。ちょっと持ち上げれば抜けそうに見えたので、

「あの、お手伝いしてもよろしいでしょうか」

と控えめに声をかける。

 お願いします、と少年は答えた。


 私は少年に近づき、車椅子に両手をかけた。

 近くで見ると、少年の下半身が異様に細いことがわかった。やや大きめのズボンを履いて、足元は室内履きを身につけているのだが、わずかにのぞく足首は糸杉のようだ。

 私は、実家の食堂に時折やってくるおばあさんのことを思い出した。

 彼女は昔、腰に大けがをして、歩くことができなかった。それでも祖父の作る料理が好きで、家族に連れられて、たまに来てくれていた。

 少年の足も、そのおばあさんと同じように、歩くための機能を失っているように見えた。


「よいしょ、と」

 幸い、車椅子の車輪はすぐに持ち上がった。

 自由を取り戻すと、少年は両手で器用に車椅子を操り、私と向かい合う位置に移動した。

「ありがとうございます。助かりました」

「いえ、そんな」

「あらためまして……。僕はニルス・ラズリアです。先に、姉がごあいさつしたかと思いますが」

「はい。アイシェルさんですね」

 ニルスと名乗った少年の口元が綻ぶ。

「ええ、そうです。姉弟でこのお屋敷にお世話になっています。……もっとも、僕は姉と違って、ただの居候いそうろうですけど」

 居候。そんな単語を口にしつつも、少年の声に卑屈な響きはない。むしろ明るかった。そのまなざしも、柔らかなほほえみも。


 寝巻きにガウンの私を遠慮がちに見て、「あの、失礼ですが。こんな時間に、どうかなさったんですか?」

 ああ、そうだった。

「部屋で寝るつもりだったんですけど、喉が渇いてしまって……。あの、台所はどちらでしょうか?」

 ニルスは「こっちですよ」と案内してくれた。


 しばらく廊下を進むと、広いリビングがあった。

 立派な暖炉があり、大きな長椅子があり、庭に面した窓はバルコニーのように大きく張り出している……ようだが、既にシャンデリアの明かりが落とされているせいで細部は見えなかった。


「台所はここです。ついてきてください」

 ニルスは車椅子をすいすい操り、薄暗いリビングの奥に入っていく。

 足もとに気をつけながらついていくと、きちんと片付けられた対面型のキッチンがあった。奥にかまどや水瓶、流しや貯蔵庫の扉らしきものも見える。

「汲み置きの水はそこです。グラスは適当に棚から出して使っていただければ……」

「ありがとうございます」

 お礼を言って、食器棚に歩み寄ろうとした時。

 誰も居ないように見えたリビングで、気配が動いた。

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