225 火事の夜
天をも焦がすような炎がどうにか消えたのは、東の空がようよう白み始めた頃だったそうだ。
幸い、王宮への延焼は免れた。それは城の兵士たちが夜通し鎮火にあたってくれたおかげだと、クリア姫は言った。
もちろん彼女は現場に居たわけではない。
兄2人が火事の様子を見に行ってしまったので、クリア姫はお城の一角にあるハウライト殿下の執務室に移動し、ダンビュラと共に2人が戻るのを待った。
仮眠をとるよう言われたものの、とても眠る気にはなれず――。それでも気がつけばうとうとしてしまったと、少しすまなそうな顔をする。
「えっと、私はどこに居たんでしょうか?」
今の話の中には出てこなかった。確か、王様の執務室で倒れたんだよね?
「ああ、すまない。エルも一緒に居たのだ」
クリア姫のお話によれば、私は何の前触れもなく、いきなりぶっ倒れたそうだ。
ホッとして気が抜けたから? それにしても、少しくらい前後の記憶があってもよさそうなのに。
「俺の毛皮で受け止めてやったんだぜ。感謝しろよ」
ダンビュラが恩着せがましく言う。
「ちょうどダンが後ろに居たのだ。おかげでケガもなくてよかった」
クリア姫が笑う。
つまり、意図的に助けてくれたわけじゃなくて、偶然そうなったというだけなんだな。
それでも一応助けてもらったわけだから、「どうも、お世話様でした」とお礼を言っておく。
あまり感謝されているようには聞こえなかったらしく、ダンビュラはいつもの憎まれ口を叩いた。
「真っ青で死体みたいだったぜ。殿下が心配してた」
カイヤ殿下はすぐに医者を呼んでくれたそうだ。しかも、王宮御用達の侍医を。
メイドの身には余る厚遇に、感謝より申し訳なさが先に立つ。
「そういやその時、アクアが来たんだよな」
ふと思い出した、という風につぶやくダンビュラ。
「え。……アクア・リマですか?」
王様の愛妾で、ルチル姫とフローラ姫の母親の。
「他にアクアが居るかよ。旦那が夜中に出てったきり戻らないんで、様子を見に来たらしいぜ」
彼女も火事の騒ぎには気づいただろうし、様子を見に来たとしても別におかしくはない。
ただ、今の発言には、気になる点がふたつ。
ひとつは「旦那」という言い方。もうひとつは、「夜中に出て行った」ということ。
王様とアクア・リマは、同じ寝室を使っているんだろうか。気のせいでなければ、クリア姫がちょっと微妙な表情を浮かべている。
現れたアクアは、状況を一瞥し。
そこに集まった顔ぶれを見て、「あら、珍しい。きょうだい勢ぞろいね」と言ったそうだ。
きょうだいとは、ハウライト殿下とカイヤ殿下、それにクリア姫のことだろうけど。
「3人がそろうのって、そんなに珍しいんですか?」
「っていうより、親父の部屋に集まってることが、だろ」
王妃様の子供たちが、そろって国王陛下の部屋に居る。
それは王の愛妾で、自分の娘を次代の王に――と願う彼女にとってみれば、あまりおもしろくない光景だったのかもしれない。
「みんなで何をしていたの?」
とアクアは尋ねた。
ちなみにその時、何をしていたかといえば、倒れた私を執務室の長椅子に寝かせ、医者を呼んで診てもらっているところだったそうで。
メイド1人のために侍医を呼び寄せ、国王の執務室で診察させる。
……実に珍妙な光景じゃなかろうか。アクアじゃなくても、誰でも、変に思いそうだ。
カイヤ殿下は悪びれもせず、「見ての通りだ」と答えた。
「見てもわからなかったから聞いたんだけどね」
とアクアは肩をすくめ、ダンビュラいわく、「嫌味なセリフをいくつか残して」去っていった。具体的な嫌味の中身は教えてくれなかったが、私も別に聞きたいとは思わなかった。
ただ、その嫌味によってクリア姫たちは、「ひとまず場所を変えよう」ということにしたらしい。
「ここで休めばいいのに」
と、空気を読まない発言をかます王様を置いて、クリア姫をハウライト殿下の執務室で待たせて、兄2人は火災の様子を見に行って――そのついでに、気を失ったままの私を、執務室まで運んでくれた。
「ええええ……」
私は思いっきり恐縮した。
重ね重ね申し訳なくて、何と言えばいいのやら、だ。
「運んだのは俺だからな」
「あ、そうなんですか?」
山猫もどきの柔らかそうな毛皮に乗せられて移動する自分を想像。ちょっと気が抜けた。
「なんだよ。殿下が抱っこして運んだとでも思ったのか?」
「……違いますよ」
否定しつつも、頬が熱くなる。
庭園の火災がおさまった後は、城の兵士たちによる現場検証が行われた。
その場には国王陛下をはじめとして、お城の重鎮がそろって立ち合った。
それも当然の話で、お城のど真ん中で、あんな火事が起きたのだ。もしも放火とかなら、大事件である。
原因がわかるまで、詳細は国民に伏せておくそうだけど。
真夜中に、お城の一角が赤く燃え上がる様子は、城下からも見えただろう。きっと大騒ぎになったはずだ。
現場検証は今も続けられているという。
ただ、クリア姫をいつまでも執務室で待たせておくわけにもいかず、私がなかなか目を覚まさないというのもあって。
カイヤ殿下は後の始末を兄殿下に任せ、一旦、城を出て、自分の屋敷に戻ってきた。
それが、今日の昼頃のこと。
「何かわかったら、兄上から知らせが来ることになっている」
カイヤ殿下が戻ってきた。
ガラガラと台車を押している。その上には、1人分にしては量が多い食事が乗っていた。
「俺とクリアの分も持ってきた。話が続いているなら、ここで食事にしようと思ってな」
台車の上には、取り皿やパンの乗ったお皿、水差しやグラス等。
それから、お鍋が2つ。一方には肉と野菜の煮込み料理、もう一方には柔らかそうな雑炊が入っていた。卵の黄色や、鮮やかな緑の野菜が彩りよく散って、とてもおいしそうな――うん、これこれ。前にも作ってくれたやつだよね。
皆で食事を囲もうとした時、コンコンと扉がノックされた。
誰かが返事をする前に扉が開いて、またしてもひょっこりのぞいたのは王様の顔。
「なーんだ、ここに居たの? 誰も食堂に居ないから、どこ行ったのかと思った」
「入るなと言っただろう」
殿下が近づいていく。王様の進路を塞ぐように立ちふさがり、「何の用だ」
「や、何って。私もご飯食べたいなー、って思ったんだけど?」
「親父殿の分なら、食堂に用意してある」
殿下の答えに、王様はわざとらしく嘆いて見せた。
「えー、そんな、仲間外れなんてひどいよ。一緒に食べよう?」
「…………」
「ねえ、坊や? 約束したよね?」
「…………」
「私はお客さんだよ? ちゃんともてなさないとダメだよね?」
王様は勝ち誇ったような笑みを浮かべて、無言を続ける殿下の頭を気安くなでようとした。
その手を振り払い、深くため息をついて、殿下が私たちの方を向く。
「……すまない。適当に食べていてくれ」
そう言って、王様と一緒に部屋から出て行ってしまう。
残されたのは、温かい料理と、とても微妙な沈黙――。