224 目を覚ますと
目を覚ますと、見知らぬ場所に居た。
お金持ちが使うような立派な寝台で、染みひとつない清潔なシーツにくるまれて、私は眠っていたようだ。
ぼやけた視界にうつるのは、けして広くはないが立派な部屋。
毛足の長いカーペットに、異国情緒あふれるタペストリー。アンティークの家具や調度品が飾られている。
「…………?」
なんだ、何が起きた。
ついさっきまで、国王陛下の執務室に居たはずである。
ハッと自分の体を確かめる。
着ているのは、あの時と同じ、地味なパジャマ。ただ、結んでいたはずの髪はいつのまにかほどかれていた。
周囲を見回す。
右手にある窓からは、赤い夕日の光が差している。
――え? 今は夕方?
どのくらい時間がたったんだろう。いや、それ以前に、ここはどこ?
ひたすら混乱していると、ふいに部屋のドアが開いた。
現れたのは、見知らぬ女性だった。
ややウエーブのかかった艶のある黒髪、透明感のある白い肌、黒目がちの瞳はまつげが長く、小柄でほっそりした体つき。
全体として、どこか儚い印象を受ける美女だった。
年齢は多分、私とそう変わらない。同い年か、少し上くらい。
服装も似通っている。飾りの少ない上品なメイド服で、私がいつも着ているお城の支給品と似ている。
見知らぬ美女は、私が起きているのを見て、驚いたように瞳を見開いた。それからすぐに安堵の表情に変わって、
「よかった……。気がついたんですね」
ゆっくりと、寝台に歩み寄ってくる。
彼女がその手に持っているお盆の上には、青い陶製の器が乗っていた。
香炉だろうか? 何だか良い香りがする。
「あ、これ。気持ちがリラックスするお香なんですよ。オジロさんが調合してくれて……」
そう言って、香炉が乗ったお盆を寝台の脇のテーブルに置く。
直後、ぴしりと姿勢を正し、
「ごあいさつが遅れました。私はアイシェル・ラズリアと申します。カイヤ・クォーツ殿下にお仕えしている者です」
折り目正しく一礼。着ているものはメイド服なのに、まるで騎士か何かみたいな完璧なお辞儀だった。
状況が理解できず、ただ彼女の姿を見つめるばかりだった私は、そこでようやく我に返った。
「え、っと……、あれ? 殿下の、ってことは、あの?」
我に返っても、あまり意味のある言葉は出てこなかった。結局ここはどこで、自分はなぜここに居るのだろうか。
「落ち着いて。ここはカイヤ殿下のお屋敷です。あなたが気を失ったまま連れて来られてから、およそ半日ほどが経過していますね」
「……気を失って……?」
「ええ。国王陛下の執務室でお倒れになったそうですよ。覚えていませんか?」
アイシェルと名乗った彼女は、少し心配そうに私の顔を見つめてきた。
「ええと……。ちょっと待ってください」
必死で記憶をたどる。
執務室に居たことは覚えている。カイヤ殿下に助けられて、燃える庭園から脱出し、抜け道を通っていったら国王陛下の執務室で、クリア姫やダンビュラとも再会して……。
でも、その後がさっぱりだ。
「すみません。何も覚えてないです……」
ついさっきまでお城に居て、ちょっと意識が途切れたと思ったら、この部屋で寝ていた。私の感覚ではそんな感じである。
アイシェルは私の答えに、深くうなずいて見せた。
「無理もないですよ。大変な目にあわれたんでしょう。カイヤ殿下からは、九死に一生を得たとお聞きしています。無事、助かったとわかって、気が抜けてしまわれたんじゃないでしょうか……」
「…………」
私は彼女の言葉を頭の中で反芻した。
九死に一生、はちょっと大げさな気も……しないか。
もしも殿下が来てくれなかったら、私はあの庭園で、18年という短い生涯を終えていたはずだ。
あらためてぞっとする。とっさに自分の体を抱きしめる。
「……もうだいじょうぶですよ」
アイシェルはそっと私の肩に手を置いて、姉が妹をいたわるような、とても優しい声をかけてくれた。
「本当は、もう少し休んでくださいと言うべきなんでしょうけど……。あなたが目を覚まされたこと、カイヤ殿下にお伝えしてもよろしいでしょうか。随分、心配なさっていたので」
それにクリスタリア姫と、護衛のダンビュラ殿にも、と続ける。
「……ここに居るんですか? 姫様たち」
「はい。皆さん、いらっしゃいますよ」
わかりましたと私はうなずいた。
では、とアイシェルが部屋を出て行く。
それから間もなく。バタバタと慌しい足音が近づいてきた。
と、しまった。
せめて顔ぐらい、洗わせてもらうんだった。
寝起きのくたびれた顔を、殿下や姫様に見せたくない――と思った時には遅く。乱れた髪を手櫛で整えているところに、クリア姫が飛び込んできた。
「エル!」
私の名前を呼んで、寝台に駆け寄ってくる。その後から、一足遅れてダンビュラも姿を見せた。
「落ち着けよ、嬢ちゃん。死人が目を覚ましたわけじゃあるまいし……。まあ、ここに運ばれた時には、真っ青で死体みたいだったけどな」
クリア姫は護衛の失礼なセリフも聞いておらず、ベッドの上に身を乗り出すようにして私の顔をのぞき込み、
「だいじょうぶか? 気分は悪くないか?」
「だいじょうぶですよ、姫様」
ひとまず、気分は悪くない。
さっきアイシェルは、私がここに運ばれてから半日くらいたっていると言った。
それは言い替えれば、半日ぐっすり寝ていたってことだ。おかげで体力も回復したんだろう。頭は少しぼんやりするけど、体の方は異常なしである。
「エル・ジェイド」
開いたままのドアから、今度はカイヤ殿下の顔がのぞいた。慌しくこちらに歩み寄ってくると、
「だいじょうぶか? 気分は悪くないか」
妹とそっくり同じセリフを言っている。
だいじょうぶですよとこちらも同じセリフを返しつつ、私はさりげなく胸元のシーツを引き上げた。
火事の時にもパジャマ姿を見られているから、今更だけど。それでも、寝ているところを男の人に見られて、全く気にしないっていうのもちょっとね。
「それより、殿下。その格好――」
第二王子殿下は、いつもの分厚い外套の代わりに、青いエプロンと三角巾を身につけていた。
「夕食を作っていた」
なぜ。王子自ら。
「食欲はどうだ? あるなら持ってくるが」
なんか、前にもこんなことがあったような……。少しばかり体調を崩して、昼寝して起きたら殿下が居て、手作りの雑炊を食べさせてくれた。あれ、おいしかったな……。
回想にふけっていたら、胃袋の方も思い出したようだ。ぐーっと音をたてて食事を催促してきた。
「そうか、わかった」
ちょ、わかったって何が。私、何も言ってませんけど!?
お腹を押さえて赤面する私を置いて、殿下は開いたままのドアから出て行こうとした。
と、その時。
ドアの向こうに、ひょっこり別の顔がのぞいた。
ベッドで寝ている私を見て、「ああ、気がついたんだ。よかったね」と笑いかけてくる。
私はぎょっと身を引いた。
そこに居たのは、記憶の上ではついさっき会ったばかりの国王陛下だったのである。
ドアに向かいかけていたカイヤ殿下が、「若い娘の寝室に入ってくるな!」と、王様の体を部屋の外に押し戻す。……ついでに、自分も部屋から出ていってしまった。
「えー、おまえは入ってるじゃん。なんで私はダメなの?」
不満げな王様の声を残し、バタンと閉まる扉。
「え……。なんで、国王陛下がここに?」
「…………」
私の疑問に、クリア姫が困ったような、心配そうな、何とも複雑な表情を浮かべて見せる。
「あんたが寝てる間に色々あってな」
ダンビュラは複雑というより、はっきりと嫌悪の表情を浮かべていた。「聞くか? 別におもしろくもねえ話だが」
「……ええ。それは、まあ」
自分が寝ている間に、何があったのか。どういった経緯でここに来ることになったのか、知りたい。……一応、国王陛下のことも含めて。
「だとよ。話してやれや、嬢ちゃん」
そう言って、部屋の隅にうずくまるダンビュラ。
姫様に説明を押しつけるとは、なんて奴。
しかしクリア姫は怒るでもなく、素直に話し始めた。
「まずは、あの火事のことだが――」