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223 魔女の紋章

 晴れた空に、灰色の煙が幾筋かただよっている。

 立ったまま黒焦げになった木々、まだ熱を帯びた地面。

 つい昨日までは、手入れが行き届かないまでも美しい庭園だったものを――今は、見る影もない。

 真っ青に晴れ渡った空とは対照的な、実に凄惨な眺めであった。


 火事の翌朝。

 ハウライト・クォーツは焼け跡に立っていた。

 彼の周りでは、大勢の兵士が現場検証を続けている。火災の原因――あるいは、その手がかりを求めて。


 手がかり、と言えるかどうかは微妙であったが。

 彼の足元にはひとつ、奇妙なものがあった。

 焼き印だ。

 焦げ跡が地面の上に円を作り、カラスが羽を広げた姿に似た、象形文字のようなものがその中に描かれている。


「魔女の紋章」。そう呼ばれるものだ。

 もしくは、「呪いの印」と呼び習わされることもある。

 事実か否か、その印は、伝承にある「黒い魔女」の紋章だとされており、魔女関連の古い書物には必ずと言っていいほど記されている。


 それが「呪いの印」などと呼ばれるようになったのは、王国史上最悪の王と言われる先代国王アダムス・クォーツが、なぜかその紋章を好んで用いたためだ。

 彼は、多くの罪なき人々を処刑し、その印を、哀れな犠牲者の骸に、あるいはその屋敷の壁に描いた。時には、犠牲者の血を用いて。

 処刑が執行される日は、王城の城壁に、同じ印を掲げたそうだ。そのため王都の民は、印が見えた日は、また誰かが人生を終えるのだと嘆き、恐れた。


 そんな不吉な印が、なぜここに。火事の現場に、残されていたのか。

 いったい誰が、何の目的で――。


「特におかしなことはないですねえ」

 そう言ったのは、彼のそばに膝をついて、焼き印を調べていた1人の女性。

 生まれつき色素の薄い髪と肌の色。足元まで覆う長スカートとブラウス。地味な服装に、柄物のスカーフがよく映えている。

 彼女の名はセレナという。王室図書館の司書であり、偉大な先々代国王の相談役でもあったという。

 本名はセレナ・アジュール。建国当時から王家を支えた五大家のひとつ、多くの宰相を輩出した名家の、数少ない生き残りだ。


 アジュールの本家は、今からおよそ30年前、王国中の民、貴族から弾劾され、取りつぶされた。

 それは、悪名高き先代国王とアジュール家が、不幸にも姻戚関係にあった――というだけの理由からではない。


 王国史上指折りの名君として知られる先々代国王アレクサンダー・クォーツの治世。アジュール家は鳴かず飛ばずだった。

 不遇だったわけではない。家名に恥じない、それなりの地位を与えられていた。

 だが、不幸なことに、時の当主は野心的な男であった。

 平和な世で、それなりの地位を得て、天寿を全うするだけでは飽き足らず。

 先々代が病のために世を去った後、その正統な後継者たる王太子を謀殺し、自身の娘婿であるクォーツ家の男子を玉座に押し上げる、という陰謀を企て、成功してしまう。


 つまり、悪名高き先代国王を誕生させた黒幕はアジュール家なのである。

 先代の即位から間もなく、アジュール家当主は何者かに暗殺されてしまい、家自体もまた鳴かず飛ばずだったのだが。


 それでも即位から数年後、先代国王が王宮内で謎の死を遂げると、非難の矛先は当然のようにアジュール家に向けられた。

 跡形も残らず解体されていてもおかしくなかった。そうならなかったのは、アジュール家の分家筋にあたる貴族が、本家を裏切って反体制活動に参加していたためだ。

 先代の「変死」後、当時の政権が速やかに解体されたのは彼らの功績が大きい。……真偽は不明だが、彼らが先代を暗殺した、という噂さえあるほどだ。

 セレナは、その分家当主の姪にあたる。


「おかしなことがない、とは?」

 セレナのつぶやきに、彼はそう返した。

 こんな印がここにあること、それ自体が大いにおかしいではないか。

「ああ、ごめんなさい。誤解を招く言い方だったかしら」

 彼女はよっこらしょ、と立ち上がり、スカートについた土を払った。

「何か、これを書いた犯人のメッセージ的なものが残されているのじゃないかと思ったのだけれど、ただの焼き印みたいですね」

「言っていることがよくわからないのだが……」

 戸惑う彼に、セレナはくすくす笑って、

「よくあるでしょう? 犯行現場に残された謎のメッセージ。次の犯行を示唆したり、自分の正体を仄めかしたり……。そこから探偵役が犯人を突き止めるの」

「……あなたを呼んだのは、探偵物語の話をするためではない」

 まじめに考えてほしい、と彼は嘆息した。


 昨夜の大火事は、失火と考えるには無理がある。が、人為的な放火だとしても、やはり不自然な点が多すぎる。

 ひとつは、火災の規模がこれだけ大きかったにもかかわらず、現場に居た人間が誰も前兆に気づかなかったことだ。


 いや、人間はまだいい。仕方がないと言える。真夜中で、ぐっすり眠っていたのだから。

 おかしいのは、彼の妹の護衛が――あのダンビュラが、全く何の異変もなかったと証言していることだ。

 あの獣は、人間をはるかに超越した聴覚と嗅覚を持っている。不審な侵入者があれば、気づかないはずがない。

 まして、これだけの規模の火災を起こすには、1人2人では手が足りない。

 油を撒き、可燃物を仕掛け、周到な準備がいるだろう。


 ダンビュラはこう言っていた。

 人の気配もなければ、油の匂いもしなかった。唐突に、本当に突然、炎が上がったのだと。

 まるで、そう。――魔法のように。


 そんなことができるのは、おとぎ話の中の魔女か。

 あるいは、たった1人だけ。

 彼は、それができそうな人物に心当たりがあった。

 とはいえ、その人物がこんな真似をするはずがないこともまたよく知っていた。

 結局のところ。何もわからないのだ。


「お役に立てなくてごめんなさいね」

 セレナはのんびりと笑う。事の深刻さがわかっていないようにも見えるが、そうではあるまい。

 彼女はいつもこんな風だ。温厚な老婆のようなほほえみを絶やさず浮かべて、他者を煙に巻く。

 王城に死の粛正が吹き荒れた三十年前も、彼女はそうやって我が身を守ったのだろうか。


 こちらの思いを知ってか知らずか。セレナは森の一方を指さし、

「姫様のお屋敷があるのは、あちらの方角よね?」

「ああ、そうだ」

「ゆうべは北風が吹いていたから、こちら側は風下になるわけでしょう。おかしなこと、と言ったらそのくらいかしら」


 言いたいことはわかる。

 この紋章を描いたのが、仮に火事を起こした人間であるならば。

 風下から火をつける馬鹿は居ない。下手をすれば自分が巻き込まれる。

 ただ――。

 もしもその「誰か」が、屋敷の中に、異様に鼻の利く獣が居ると知っていたのなら。

 風下から接近するのは不自然なことではない。むしろ道理にかなっている。


「あなたは、この火災の原因をどう思う」

 彼は直裁に問うた。まわりくどいのは好きではない。

 しかしセレナは、あいかわらず煙幕のようなほほえみを浮かべて、「それはもう少し調べてみませんと」と、答えになっていない答えを返した。

「油をまいた痕跡でも見つかれば、それは人間の仕業ということになるでしょうし……」

 イライラするほどゆっくりした彼女の言葉を遮り、

「あなたも妹の屋敷を見ただろう。『ただの人間の仕業』で説明がつくと思うか」


 妹の屋敷は、火災を免れた――と、表現するのは正確ではない。

 屋敷は無事だった。焦げ跡ひとつなく、元通りに立っていたのだ。


 あの火事はやはり、普通ではない。

 もしくは、あの屋敷自体が、普通ではなかった可能性もある。

 建てたのは先々代国王で、屋敷に住んでいたのはその妻。彼にとっては、曾祖父母に当たる人々だ。

 あの屋敷も、この庭園も、曾祖父が最愛の妻のため、特別に作らせたものだという。

 そこに、何らかの特別な力――魔法が隠されていてもおかしくない気がする。いにしえの魔女の血族。曾祖父は、その正当なる継承者だ。


「結論を焦ってはいけませんよ、ハウライト殿下」

 一瞬遠くなった彼の意識に、セレナの声がすべり込んできた。

「始めに結論ありき、では大切なことを見落としてしまうかもしれません。まずはそこにあるものをよく見なくてはね」

 殊更のん気なことを口にする。だが、彼女もわかっているはずだ。彼が何を恐れ、焦っているのか。

「先程、兵たちが噂していた。……魔女の祟りがどうの、と」

 セレナは小さくうなずいて、話の続きを促した。

「原因がわからなければ、不穏な噂が1人歩きすることにもなりかねん。罪なき者が罪を着せられ、責任を問われることになるやも……」

「そんなことはさせませんよ」

 セレナはつと視線を落とした。

「なんて、勇ましいこと、こんなおばあちゃんには言えませんけどね」

 彼女が見ているのは、地面に描かれた印だった。

 何かを思い出しているように、しばし遠い目をして。それから、まるでため息のような笑い声をもらす。

「クロサイト様と部下の方々が、あちらで聞き込みをなさっていたでしょう。きっと何か手がかりを見つけてくださるのじゃない?」


 聞き込み程度で、この不可解な事件の謎が解けるとは思えなかったが。

 ちょうどその時、部下の1人である近衛騎士のクロムが、焼け焦げた森の奥からこちらに走ってきた。

「ハウライト殿下!」

「どうした」

 問い返すと、クロムは目の端でちらりとセレナの方を見やった。

「構わん。彼女にも聞いてもらった方がいい」

 クロムはうなずいて、「実は」と話を切り出した。


 それは穏やかならぬ報告だった。

 城の宝物庫に、何者かが侵入した痕跡が見つかったというのだ。

 宝物庫は、城の最奥。限られた人間以外、近づくことのできない区画にある。当然、何重にも鍵がかけられ、警備の兵士も居たはずだ。

 が、昨夜は城中の人間が、突然の火災に気を取られていた。宝物庫の警備兵も、一部が鎮火のために駆り出された。その際、警備の引き継ぎに不手際があったらしく。

 見回りの兵士が、宝物庫の扉が開いたままになっているのに気づいたのは今朝になってからのこと。

 何か盗まれたものがあるのか――現在、国王自ら確認中だそうだ。


「何ということだ……」

 彼は呻いた。それが事実だとしたら、とんでもない失態である。

 ……いや。

 問題はさらに深刻かもしれない。

 庭園の火災が、陽動だったとしたら?

 賊の目的は、最初から宝物庫にあったのだとしたら――。


「大変な話だよねえ」

 背後から、聞き覚えのある声がした。

 振り向くと、そこに立っていたのは、国王ファーデン・クォーツ。……彼の父親だった。

「血縁上は」と注釈を入れたくなるほど真っ当ではない間柄だが、一応、父親であることは間違いない。


「あそこはご先祖から引き継いだお宝だらけだし、ぶっちゃけ、かなりヤバイものも置いてあったし。誰かに持ち出されたりしたら大事おおごとじゃない?」

 両腕を組み、わざとらしく深刻な表情を浮かべて見せているが、口調は気楽なものだ。


「……なぜ、ここにいらっしゃるのですか」

 盗まれた物がないか、宝物庫で確認中ではなかったのか。

「ざっと見たけどさ。正直、よくわかんないんだよね。私は本家の人間じゃないしさあ。リシアならすぐにわかるんだろうけど」

 母親の名を、この男の口から聞くのは久しぶりだった。

 両親は15年も前から別居している。それ以前から、普通ではない関係の夫婦だったが――まあ、今はどうでもいいことだ。


「わからない、ですむ話ではないでしょう。事の深刻さがおわかりですか」

 わかってるよ、と肩をすくめる。言葉とは裏腹に、全く理解しているようには見えなかった。

「だからさ。セレナに助けてもらおうと思って、呼びに来たんだ。君ならわかるでしょ? あそこのお宝のこと」

「さあ、お役に立てるかどうかはわかりませんけど」

 セレナは控えめにほほえんで、「私でよければ、お手伝いしますよ」

「うん、頼むよ。ハウルも来る?」

「私は――」

 ついていくべきかどうか、一瞬迷った。しかし近衛のクロムが、まだ何か言いたそうな顔でそばに居ることに気づき、

「……もう少し、ここで調べることがありますので」

「あ、そ。じゃあ、またねー」

 軽く手を振りながら、立ち去っていくファーデン。その後に、セレナもついていく。1度こちらを振り向いて小さくうなずいて見せたのは、後で見たものを報告してくれる、という意味にとってよいだろう。


 2人が立ち去った後で、クロムが口をひらいた。

「すみません。実はもうひとつ、気になる話が」

 本当の話かどうか、微妙なんですけどね、と前置きして。

 クロムが語ったのは、「火事の現場で、怪しい人物が目撃されていた」という話だった。

 場所は、ここから少し南。庭園の端で、消火を手伝っていた数人の兵士たちが目撃したらしい。

 全身をすっぽりとローブで覆い、顔も隠し、ねじくれた杖を持った正体不明の人物を。


「……なんだ、それは」

 ローブにねじくれた杖? 絵本の中の魔女でもあるまいに。

「や、目撃したって奴らも半信半疑で」

 果たして怪しい人物だったのか、それとも幻でも見たのか。


 その人物は、消火作業で大わらわになっていた兵士たちがふと気がつくと、庭園の隅に立っていた。

 あまりに妙な格好だったので、兵士たちもとっさにどうすべきか、判断に迷った。


「思い切って声をかけたって奴も居たんですがね。何をしてるんだって」


 その人物は答えなかった。代わりに、燃える庭園を指さした。兵士たちもつられて、そちらを向いて……再び視線を戻した時には、その人物の姿は消えていた。


「白昼夢でも見たかもしれないって、その兵士は言ってましたよ。……あ、昼間じゃねえから白昼夢とは言わねえのか。とにかく、そのくらい現実感がなかったってことらしくて」

「…………」

 彼は頭を抱えたくなった。

「殿下? だいじょうぶですか?」

「……女か」

「はい?」

「その人物とやらは、男か女か、と聞いている」

「あー、女だそうです。顔は見えなかったけど、小柄できゃしゃで……。けっこう、いい足してたって」

「つまり、若い女か」

「だと思います」とクロム。

 何なのだ。

 この王国に、再び魔女が現れたとでも?


「兄上!」

 聞こえた声に、意識が引き寄せられる。

 今度現れたのは、彼の弟だった。

「唯一の」と言ってもいい。弟とされる人間は何人も居るが、そのほとんどは縁が薄い。

 生まれた時から共に過ごした弟はただ1人。無駄に善良で、無謀で思慮が足りず、どうしようもなく愚かな彼1人だ。


「……どうした、カイヤ」

 また新しい厄介事を持ってきたのかと思えば、そうではなかった。

 弟の用件は、彼の執務室で休ませているメイドが、いまだ目を覚まさない、という実に他愛のないものだった。


「いつまでもあそこに置いておくわけにはいかんだろう。クリアと共に、ひとまず俺の屋敷に連れ帰ろうかと思うのだが」


 こんな時に、メイドの心配などしている場合か、と言いかけて思い直した。

 クリアの屋敷は無事だった。とはいえ、今の段階で、幼い妹をそこに戻すわけにはいかない。一旦、城から連れ出す方が賢明だ。

 付け加えると、この弟のこともできるだけ騒ぎから遠ざけておきたい。よろず災難を引き寄せ、あるいは自ら引き受けてしまうからだ。


「好きにしろ。何かわかったら知らせをやる」

 そう答えると、弟は「感謝する」と言って、すぐに立ち去った。その後ろ姿を見送って。

 また足元を見れば、そこには先程までと変わらず魔女の紋章がある。


 魔女はこの国の守り神。しかし同時に、魔女には災厄を招く、という古い言い伝えがある。

 何者かが描き残したその印が、この王国に災いを招かんとしているような。

 妙に不吉な予感にとらわれ、彼はしばらくの間、そこから動けなかった。

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