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219 告発

 屋敷のどこかで、怒鳴り声がする。

 あれは父だろうか? ……いや、おそらくは伯父だろう。


 マーガレットの伯父であるギベオン卿は、お城の重鎮だ。ファーデン国王陛下が若い頃からそばで仕えてきた、最も信頼の厚い臣下だと聞いている。

 自分は娘を授からなかったからと、姪のマーガレットや2人の姉のことをいつも可愛がってくれる。

 優しい、素敵な人だと思っていた。


 その伯父が、このところ毎晩のように屋敷を訪れては、難しい顔でマーガレットの父と話し込んでいる。

 時には、あんな風に声を荒げることもある。

 何か大変なことが起きているのだと、嫌でもわかるのに。

 父も母も、2人の姉たちも、マーガレットにはくわしい話をしてくれない。いつも子供扱いして、「あなたには関係ない」だ。

 ここ数日は、夕食が終わるとすぐに自室に帰されてしまう。


 自分は、皆が思っているほど子供ではないのに。

 来月には16歳だ。立派な淑女になるのだ。

 ……そういえば、皆、マーガレットの誕生日のことをちゃんと覚えているのだろうか。

 昨年はとても素敵なパーティーをひらいてくれたけど、あの様子では、今年は無理かもしれない。


「ただいま……」

 沈んだ声であいさつしながら、自室の扉をひらく。

 返事はなかった。いつもなら侍女のメアリーが、「お帰りなさいませ、お嬢様」と優しく迎えてくれるのに。

「……? メアリー?」

 入ってすぐの場所は応接間になっている。

 マーガレット専用の、マーガレットだけのお客様を迎えるための部屋だ。

 家具や調度品はどれも一級品で、マーガレットの趣味にあわせて可愛らしくそろえてある。

 いつか、この場所に憧れのクリスタリア姫をお招きしたい――というのが夢だが、今のところ実現の見込みはない。

 それどころか、社交界に出たばかりのマーガレットは1度も客など招いたことがなく、もっぱら2人の姉とおしゃべりするためだけの部屋になっている。


「メアリー、どこに居るの? わたくし、今戻ったのよ……」

 侍女の名前を呼びながら、勉強部屋の扉をひらいてみる。

 そこは名前の通り、マーガレットが家庭教師について勉強するための部屋だが、教師が来ていない時には読書部屋になっている。

 壁一面を覆う書架には、やはりマーガレットの趣味でそろえた本がぎっしり。同じく本好きのメアリーも、たまに仕事を忘れて読みふけっていることがあるのだが。


「おかえりー。早かったね」

 扉を開けたマーガレットの耳に届いたのは、聞き慣れた侍女の声ではなかった。

 ひらひらと手を振りながら、親しげに笑いかけてくる。

 10代半ばくらいの、つまりマーガレットと同じ年頃の少年。

 明るい茶髪と同色の瞳。まだ厚みのない体に、動きやすく目立ちにくい暗色の装束をまとい、腰には短剣を差している。

 これで素顔をさらしていなければ、まるっきり物語に出てくる暗殺者みたいな姿だった。


 マーガレットはぽかんとした。

 自室に、知らない人が――しかも異性が居たのだ。

 悲鳴を上げるとか逃げ出すとか、少なくとも恐怖を覚えて然るべき場面だったと思う。

「……どちらさまかしら?」

 が、実際にマーガレットの口から出たのは、穏やかで間の抜けた誰何すいかの声であった。

 少年が笑顔を浮かべていたからか。危険な空気を微塵も感じなかったせいだろうか。

 あるいは、何だか懐かしいような気がしたからかもしれない。初めて会う人なのに、昔、どこかで会ったことがあるような――。


「んー、名家のお嬢様に名乗るほどの者じゃないけど」

 少年は手にしていた本をぱたりと閉じた。

 そう、本。あれは自分の本では? そう思って書架に目をやれば、そこに納まっているはずの本が何冊も抜き出されて、床に積まれている。

 少年はマーガレットの視線の先を目で追って、

「意外に本格推理物とか好きなんだね。甘々の恋愛小説ばっか読んでるのかと思ったら、ハードボイルド系とか、歴史物の群像劇とか」

 感心したようにつぶやいているが、マーガレットの目尻は尖った。

「勝手に人の本を見るだなんて、失礼ですわ」

 少年は平然とうなずいた。

「知ってる。ってか、勝手に人の部屋に入るのがまず失礼だよね」

 それは失礼ではなく、犯罪だ。

「あなた、悪い人ですの? もし賊だというなら、人を呼びますわ」

 少年はぽりぽりと髪の生え際をかいた。


「いや、自分は賊だって名乗ってから悪いことする賊はあんまり居ないからさ。こういう時は、すぐに人を呼んだ方がいいと思うけど……。俺は悪者じゃないよ。むしろ、悪者を探して、捕まえる方の人」


「まあ」

 マーガレットは一転して感嘆の声を上げた。

「あなた、騎士様ですの? お若いのに、立派な仕事をなさっているんですのね?」

 少年はあきれ顔になった。

「あっさり信じるんだ……。俺は騎士じゃなくて警官……って、まあその話はいいや」

 懐から白い便箋びんせんを取り出し、「これ、何だかわかる?」とひらひら振って見せる。

「便箋ですわね」

 マーガレットの答えにうなずいて、

「そう。さる偉い人への脅迫状に使われたのと同じやつ。で、君の机の引き出しにも同じ物が入ってた。ご丁寧に、下書きまで一緒に」

 今度は折り畳まれた紙を取り出し、広げて見せる。そこには同一の文面が、さまざまな字体で綴られていた。

「元ネタはこの小説なんだってね。よく似たシチュエーションで、よく似た文面の脅迫状が出てるって、本好きの知り合いが教えてくれたよ」

 少年が先程から手にしているのは、マーガレットのお気に入りの1冊だった。

 無名のまま早世してしまった小説家の作で、死後に人気が出て有名になった。本好きなら誰でも知っている――とまでは言わないが、ミステリー小説好きなら、大抵は読んだことがあるはずだ。


「自分の侍女に命じて、お城の宰相の部屋に脅迫状を届けさせたんだよね。突き止めるの、ムチャクチャ苦労したよ。地道に聞き込みして、怪しい奴を見つけてはまた聞き込みして、もう聞き込みなんて一生したくないかもしんない」


 彼が何を言っているのか、何のためにここに来たのか、だんだんとマーガレットにもわかってきた。


「そういえば、メアリーは……」

 気になったことを尋ねれば、「ああ、君の寝室で寝てる」と答えが返ってきた。「ケガはさせてないから、安心して」

 メアリーは若い頃、父の護衛をしていた女性で、今でも剣の達人である。その彼女を、この少年は騒ぎを起こすこともなく眠らせてしまったというのか?


「あなた、何者ですの?」

 息を飲むマーガレットに、少年はいたって軽い調子で告げてきた。

「さっき言ったじゃん。警官だって。悪者とか、何か悪いことした人とかを探して、捕まえるのが仕事だよ」

 その悪いことをした人というのは、つまり――。

「『巨人殺し』を名乗って、カイヤ殿下に暗殺予告状を送ったのは君だよね?」

「…………」

 自らの罪を告発されて、マーガレットは沈黙した。

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