216 悪夢
その日の夜。
私は1人、自室でぼんやりしていた。
夜になっても、殿下はお屋敷に戻らず、クリア姫も目を覚まさず。
今夜は私とダンビュラで、交替で姫に付き添っていようということになり。
「俺が嬢ちゃんについてるから、あんたは先に寝ろよ」
と、珍しく紳士なことをダンビュラが言ってくれたので、自室に戻り、寝間着に着替えはしたものの。
どうにも気分が落ち着かなくて、寝ることができずにいる。
そっとカーテンをひらき、外を見る。
寝静まった夜の庭園。嵐の前兆のような雲はどこかに去り、空には星がまたたいている。
静かで、平和な眺めだった。何も起きてはいないし、起きる気配もない。
それでも、胸のざわめきは鎮まらない。
寝るのをあきらめた私は、寝間着のまま机に向かい、引き出しを開けた。
そこには書きかけの手紙が入っている。
宛先は実家だ。私の家族が、ゼオと連絡をとっていた可能性があるのではないか――という殿下の「思いつき」について、念のため家族に確かめておこうと思い、筆をとったのだが。
うちの家族が、父の仕事について、どの程度くわしく知っていたのか。
今の私にはよくわからない。もしかしたら、ほとんど何も知らないという可能性だってあるのに。
不死身の暗殺者と会ったことや、クンツァイトの元当主に誘拐された件を、果たして手紙に書いてもいいのだろうか?
そもそも便箋2、3枚で書き切れる話じゃないし。万が一、誰かに読まれでもしたら困るし。
本当は、1度故郷に戻って、家族と直接話した方がいいのだと思う。
しかし私は一応、祖父に勘当された身で――。
「はあ」
考えても良い知恵は出ず、出るのはため息ばかり。
書きかけの手紙を眺めながら、ぼんやり机に向かっているうち、眠気に襲われて。
気がつけば、夢を見ていた。
昔の――まだ子供だった頃の夢だ。
両親と祖父母と弟妹、みんなそろって夕食を囲む、ただそれだけの夢。
なんてことのない、日常の一場面。それがもうすぐ終わってしまうだなんて、家族の誰も、想像すらしていなかった頃。
みんな笑っていた。
頑固者の祖父と、可愛げや愛嬌をどこかに置き忘れてきた弟はいつもの仏頂面だったが、母と祖母と妹は確かに笑っていた。
父も、笑顔だった。
控えめで物静かで温かい。
そうだ。うちの父さんはこんな顔で笑う人だったな……。
懐かしさに胸がぎゅっとなった時。
絹を裂くような悲鳴が、私の夢を真っ二つに切り裂いた。
「!」
ハッと身を起こす。
明かりがついたままの室内。置き時計の時刻は、深夜0時を回っている。
――何? 何が起きたの?
今の悲鳴は……、クリア姫だった。
私は椅子を蹴って立ち上がり、夢中で部屋を飛び出し、廊下を駆け抜けた。
「失礼します!」
叫んで、ドアを開ける。
明かりの消えた寝室。枕元に置かれたランプの灯だけが、ぼんやりと室内の光景を浮かび上がらせている。
クリア姫はベッドの上に居た。
上体を起こし、長い金髪を振り乱して、うわ言のように何かをつぶやいている。
「やめて、かあさま、やめて……、おねがい……」
ダンビュラが寄り添い、太い前足を姫君の膝の辺りに乗っけて、しきりに話しかけていた。
「おい、嬢ちゃん、しっかりしろ! なんだ、悪夢でも見たのか!?」
私は2人に駆け寄った。
「どうしました!?」
「わからん。さっきまで普通に寝てたんだが、いきなり……!」
「姫様、だいじょうぶですか!?」
クリア姫の細い肩に手をかけようとした、その時。
急に、窓の外が明るくなった。
まるで大勢の人が、いっせいに松明を灯したかのように。
「何だ?」
とつぶやくダンビュラ。
私は窓に近づき、バッとカーテンをひらき、その体勢のまま固まった。あまりに信じがたい光景をこの目で見たからだ。
燃えている。
庭園が。お屋敷を囲む木々が。
いったい何の冗談だと思った。
あるいは夢か、気の迷いか。目の錯覚――ではないようだ。薪を火にくべた時のような、パチ、パチという音も聞こえてくる。
遅れて窓に駆け寄ったダンビュラが、
「いったい何の冗談だよ……」
と、全く同じ感想をもらすのを聞きながら。
私は胸中で呻いた。
だから、悪いことなら、もう間に合っているんだってば……。