215 王女の呪い2
重苦しい沈黙が、リビングを支配していた。
カイヤ殿下も、ダンビュラも、それに私も。
誰1人、口をひらこうとしない。
あの後、私たちはすぐにお城に戻り、お医者様を呼んで、クリア姫を診てもらった。
下された診断は、「精神的なショックによる貧血」。バザーの会場で倒れた時と、やはり同じだった。
しばらく休めば回復するだろうと言われて、深刻な事態ではなかったことに胸をなで下ろしつつ、頭の中では疑問が渦巻いていた。
いったい何が、2度も意識を失うほどのショックをクリア姫に与えたというのか?
「なあ」
沈黙を破ったのはダンビュラだった。
「あの魔女、似てたと思うか? 嬢ちゃんの母親に……」
私は王妃様に会ったことがない。しかしダンビュラの視線は私と殿下、両方に向けられていた。
「…………」
私は、向かいの席に座っている雇い主の顔を見た。
その美貌が、母親の王妃様に生き写し、という噂が事実の通りなら、
「特に似てはいなかったかと……」
あの彫刻の魔女は美しかった。
でも、あの手の彫刻って、だいたい同じような顔じゃない? 特別誰かに似ていると言えるほど、特徴的な顔ではなかったと思う。
「そうだな」
王妃様を直に見知っている殿下も同意し、「だよなあ」とダンビュラもうなずいた。
「そもそも、母親に似てたからって、倒れるほどショックを受ける意味がわからん」
再び「そうだな」と同意する殿下。何か考えている時の癖で、視線を相手の顔ではなく、宙の一点に据えて、
「先程のクリアは、ひどく脅えている様子だった。母上は――人間性に色々と問題はあるかもしれんが、娘に危害を加えたことはないはずだ」
「だよな。単に無関心なだけで」
……ちょっと待って。
王妃様って、そういう人なの? 人間性に色々と問題があって、娘のことに無関心なの?
「何を驚いてんだよ。あのクソ親父の連れ合いだぞ?」
……そうだけど。
クリア姫とカイヤ殿下と、ハウライト殿下にとってはお母様でもあるわけで。
それを言ったら、「クソ親父」は父親だけど。
うーん、よくわからなくなってきた。
「母上の話は一旦置いておこう」
殿下の黒い瞳が、私の方を向く。
「エル・ジェイド。最初にクリアが倒れた時のことを聞かせてくれないか」
それなら、殿下にはきのうも話している。
「もう1度頼む。それも可能な限り詳細に」
「……わかりました」
私は話した。記憶をたどりながら、バザーの会場で起こった出来事を、できる限りくわしく。
その場にギベオン家のマーガレット嬢とティファニー嬢が居たことや、彼らと交わした会話。それに、クリア姫が倒れた時、聞いていたオルゴールのことも。
「その、アルフが言った『王女の呪い』という曲についてだが――」
「2人の魔女のおはなし」をモチーフにした、歌曲集の中の1曲。
ティファニー嬢は確かにそう言った。しかし叔母上様は、そんな曲はないはずだと話していた。
殿下も文献等で調べてみたそうだが、該当する曲はやはり見当たらなかったらしい。
「ただ、似た名前で、『解けない呪い』という曲ならある」
「解けない呪い……」
「歌曲集の最後を飾る曲だ。妹との別れの場面で、黒い魔女が言うだろう。愛とは呪いのようなものだ、その呪いを解く魔法はない、と」
それだと、ティファニー嬢の話と違う。
「王女の報われない愛を表現した曲だ、って仰ってましたよ」
「だとすれば、全く別の曲ということか……?」
殿下はまた難しい顔で考え込んでしまった。
「あんた、どんな曲だったか覚えてねえのか?」
ダンビュラに問われて、記憶にあるメロディを鼻歌で再現してみる。
たった1度聞いただけの曲だ。思い出せるのはごく短いフレーズのみだったが、それでも何か手がかりになればと、繰り返し歌ってみた。
じっと耳を傾けていた殿下が唸った。
「難解そうな曲だな。リズムも独特だ」
そうかな? わりと切ない感じのキレイな曲だったんだけど……。
「…………」
ダンビュラは何も言わない。なぜか生温かい目で私を見つめているだけだ。
再び、リビングに沈黙が落ちて。
「ここで話していても埒が明かんな」
殿下はすっくと席を立ち、外套の裾を翻してリビングの出口に向かった。
「出かけてくる」
って、いきなりどこへ。
「王室図書館だ。あそこは魔女に関する書物も多い。それにセレナに聞けば、何か手がかりが得られるかもしれん」
セレナは王室図書館の司書を務める女性だ。魔女のことにもくわしい……というより、それ以外のことにも色々くわしい人だから、彼女の知恵を借りるというのは悪くないアイディアだ。
「2人とも、俺が戻るまでクリアのことを頼む」
それはもちろん、言われるまでもない。
でも、今すぐ行く必要はないんじゃないかな。クリア姫が目を覚ました時、殿下がそばに居た方がいいと思うし。
「そうかもしれんが……」
殿下は一瞬ためらう様子を見せたものの、「いや、今は急いだ方がいい」ときっぱり言った。
「なんで急ぐ必要があるんだよ」
怪訝な顔で問うダンビュラに、
「根拠はない。ただそんな気がするだけだ」
とまたきっぱり。
そう堂々と言われては、逆に反論の言葉も思い浮かばず。
1度クリア姫の寝室に戻り、異常がないことを確かめてから、殿下は出かけていった。
早足で。いや、駆け足で。もしくは、全力疾走で。
どこからともなく現れたクロサイト様が、その後についていく。
2人の姿は、すぐに庭園の木々に隠れて見えなくなってしまった。本当に本気で急いでいる。
「どうしちゃったんでしょうか、殿下」
クリア姫が心配なのはわかるけど……、それにしても言っていることが変だった。
「…………」
ダンビュラの返事はない。ひくひくと鼻を鳴らして、辺りの様子を警戒している。
「ダンビュラさん?」
どうかしたのかと尋ねると、「別にどうもしねえよ」と答えが返ってきた。
「ただ、なんとなく嫌な感じがしただけだ。体の毛が逆立つみてえな、嵐の前みてえな」
「はあ? 何ですか、それ」
「だから、何でもねえって。……殿下と同じだ。ただそんな気がしたってだけだよ」
意味がわからない。わからないけど……、何だか、私まで不安になってきた。
これから、良くないことが起きるんじゃないか、って。
根拠のない胸騒ぎに戦いていたら、妙に生ぬるい風が吹いて、私の首筋を撫でていった。
さっきまでよく晴れていたのに、いつのまにか灰色の雲が頭上を覆っている。
庭園の草木がざわざわと揺れて、遠くから雷鳴が響いて。
なんだこれ。まるで不穏な空気を演出しているかのような。
良くないことなら、もう間に合っている。つい数日前にも誘拐されて、不死身の巨人殺しと相対したばかりだ。
どうか、何事も起きませんように――と私は祈った。
その切なる祈りが、王国の守り神である白い魔女に届くことを信じて。
……しかし、神と呼ばれる存在は、往々にして残酷で気まぐれなもので……。