212 自分勝手4
「……わからない」
それが、殿下の答えだった。
「わからない、って」
「……何があったのか、よくわからない」
んん、どゆこと? 状況もよくわからないまま叩かれたってこと?
「えーと、何の話をされてたんですか?」
言い争ってたよね。わりと冷静に。その話の流れで、あんなことになったんじゃないの?
「それも、よくわからない」
なぜ。ほんの1時間かそこら前のことでしょうに。
「兄上に手を上げられた瞬間、頭が白くなって……」
前後の記憶も飛ぶくらい、ショックだったの?
「もしかして、初めてだったんですか?」
そんな兄弟が居るだろうかと疑問に思いながら尋ねると、殿下も「そんなことはない」と否定した。
「確か、10年と少し前にも1度……」
「…………」
「あ、いや。2年ほど前にもあったな、そういえば」
それは最近ですね。10年と少し前に比べたら。
「参考までにお伺いしますが、その時は何があったんですか?」
本題とはズレてしまうけど、気になった。年単位でしか弟に手を上げることのないハウライト殿下が、そういう手段を使うのってどんな時?
「あれは……、確か、オジロたちを屋敷に雇い入れると決めた時で……」
「すみません、どなたですか?」
「?」
殿下は意味がわからないという風に私の顔を見返し、ややあって理解が追いついた様子で、
「……そうか。おまえはまだ面識がなかったな」
自分の屋敷で働いている者たちだ、と教えてくれた。
あ、あ、あー。
殿下がクリア姫と暮らすために買ったお屋敷で、働いているという使用人たちのことか。
第二王子殿下は、美女や美形やひげのおっさんまで集めてケバケバの御殿で暮らしているとかいう、そんなおかしな噂のもとになった――。
「彼らは信用のおける者たちだが、少々わけありでもあってな。俺が自分の屋敷に雇うと決めた時、兄上も叔父上も反対した」
わかる。まさに「わけあり」の身で殿下に雇われた私には、たとえくわしい事情を聞かなくたって、何があったのか想像できる。
要するにお2人は、カイヤ殿下のことを心配して反対したんでしょ。
それでも殿下が聞かないから、今と同じようにけんかになってしまったと。
「叔父上があまりに強硬なので、俺も冷静さを欠いてな。もう放っておいてくれ、これ以上、俺のすることに口出ししないでくれと」
過保護な親の干渉に悩む子供が、1度は口にしそうなセリフを言ったわけだ。
「それで、ハウライト殿下が?」
「……そうだ。頭を冷やせ、と」
なるほど。
つまりハウライト殿下ご自身がキレたわけじゃなくて、言い争う叔父と弟を止めに入ったわけね。
暴力はよくないし、往々にしてエスカレートしがちなものだから、それに頼るのは危険だけど。
熱くなりすぎてしまった人間の頭を冷やすためには、そこそこ有効な手段でもあったりする。
殿下は話しているうちに記憶が戻ってきたのか、「ああ……、そうだ」と1人でつぶやいている。
「先程も確かそうだった。俺が叔父上と縁を切ると言ったら、兄上が――」
ちょ、待って。
宰相閣下と縁を切る?
私が驚くと、殿下は少しバツの悪そうな顔をして、
「仮定の話だ。叔父上が今のやり方を続けるつもりなら、と」
今のやり方というのはつまり、殿下の雇ったメイドを、殿下に一言の相談もなしに危険な目にあわせるような、そういうやり方のことですよね?
「そう言ったら、また頭を冷やせって?」
「……そうだ。周りの人間を危険に巻き込みたくないなら、己の行いをまず省みろ、と言われた」
殿下は完全に思い出したらしく、沈んだ声で兄殿下のセリフを再現する。
「俺が立場もわきまえず勝手ばかりしているから、厄介事に首を突っ込もうとするから、その後始末に叔父上が奔走するハメになるのだ、と」
それは……。あながち間違いとは言えないかな……。
「おまえも、そう思うか」
「あ、いえ」
思うけど、思わない。まさに「厄介事」を殿下に持ち込んだ身で、同意なんてできやしない。
「私は、殿下に感謝しておりますので」
救国の英雄にして第二王位継承者という立場もわきまえず、メイドごときに力を貸してくれたことに心から感謝している。
「宰相閣下とハウライト殿下には、ご心配をおかけして申し訳なく思っておりますが……」
だからといって、宰相閣下の「やり方」には納得できない。
自分が危険な目にあわされたから、というのもある。
だけど、私が1番納得できないのは、宰相閣下が殿下の気持ちを無視して強硬な手段に出たことだ。
自分が汚れ役を引き受ければいい、嫌われ役になればいい、とでも思っているんだろうか? そんなことしたら、後で殿下が傷つくのは明らかなのに。
「私は、宰相閣下もけっこう自分勝手だと思います」
それに多分、叔母上様も、と心の中で付け加える。
お2人が殿下を守りたい、幸せでいてもらいたいと思う気持ちに嘘はないのだろう。
しかしながら、そのために守るべき相手の気持ちを踏みにじったら、それはただの自己満足に過ぎないのではあるまいか。
「だが、兄上は……。俺の方に問題があると……」
「言ったんですか?」
「叔父上の方が正しい、と言ったわけではないが……。俺がどうしようもなく愚かだ、とは言っていたような気が……」
それはまあ、言うかもしれませんね。
メイド1人のために、絶対に自分を裏切らない叔父で、敏腕政治家でもある宰相閣下と、「縁を切る」とか言っちゃう弟に。
どうしようもなく愚かだと、嘆きたくなる兄の気持ちはよくわかる。
「あの、殿下。本当に、あらためて、申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げると、殿下はこのタイミングで私が謝る理由がわからないって顔をした。
「私のせいで、周りの方々にご心配をおかけして……」
「おまえが謝る必要はない」
やっぱり、そう言うんだ。でも、たまには素直に受け取ってくれない? でないと、こっちも罪悪感が弱まらない。
「素直に受け取れと言われてもな。必要ないものはない。俺は自分のしたいようにしているだけだ」
ずっと落ち込んだ顔をしていた殿下が、そこは迷いのない目できっぱり言い切った。
「いくら考えても、わからないことはある。何が正しいのか、どうすべきなのか。結局、最後は自分のしたいようにしてきた。おそらく、これからもそうするだろう」
と、そこで急に不安になったように声を落として、
「兄上には、あきれられてしまうかもしれんが……」
だとしても、多分だいじょうぶだと思う。
ハウライト殿下が厳しいことを言ったり、わざと手を上げたりしたのは、自ら厄介事に巻き込まれようとする弟をどうにかして引き止めるための、いわば苦肉の策なんだと思うから。
「……そうなのだろうか」
「そうですよ」
って、ごめんなさい、ハウライト殿下。バラしちゃったら意味がないですよね……。
それでも私は、こっちの味方をするしかない。
底抜けに善良で優しいこの人が、「自分のしたいように」したからといって、きっとすごく間違った道を選ぶことはない。そう信じたい。
「……ありがとう」
「お礼の必要はないです」
罪悪感が増すから、ホント、やめてください。
「エル・ジェイド」
殿下はひたと私の顔を見すえた。
明るい陽光のもとでも黒く、深淵のように深い色の瞳は、うっかりのぞき込んだら吸い込まれてしまいそうなくらい、どこまでも美しい。
「明日、俺と――『魔女の霊廟』に行こう」