211 自分勝手3
ひとまず、窓越しでは話もしにくいので、裏口から外に出て。
どうしてそんなことになったのかと重ねて問えば、殿下は「くわしい状況はわからん」と答えた。
ただ、ゼオの見張りをしていた近衛騎士たちから、今朝になって殿下のもとに届いた報告によれば、閉じ込められていたはずの酒蔵から、いつのまにか姿を消していたと。
酒蔵の出口はひとつで、鍵はかかったまま。ゼオを拘束していた手枷も、壊れもせずその場に放置されていたそうだ。
まるで煙になって消えてしまったかのような不可解な状況に、騎士たちも戸惑っていたという。
「アイオラさんは……」
王都一の傭兵は何をしていたのか。
ゼオの身柄を引き渡して、代わりに大金をせしめるつもりでいたみたいなのに。
ちゃんと見張っていなかったの? 酔っ払って寝ていたとか?
「それがさらに不可解な点だ」
と殿下は言った。
賞金首にまんまと逃げられたはずのアイオラは、怒るでも悔しがるでもなく、「自分にはもう関係がない」とばかりに、騎士たちを倉庫から追い出してしまったらしい。
確かに不可解だし、不自然だ。
……まさか、あの人がゼオを逃がした?
でも、そんなことをしても、アイオラには何の得もない。大金でも積まれれば話は別だろうけど、ゼオはお金なんて持ってなさそうだったし。
「叔父上はあの男を追うつもりはないそうだ」
ゼオが本物の「巨人殺し」だったとしても、予告状の件とはどうやら関係がなく、敵に雇われている様子もなかったので、もう用はないと。
宰相閣下はそうでも、私はまだあの男に用がある。
ゼオが何を隠しているのか、ちゃんと知りたい。このまま話をうやむやにされてはかなわない。
とはいえ、もう1度会って問いただそうにも、たやすく居場所を突き止められるとは思えなかった。
相手は「巨人殺し」だ。その気になれば、行方をくらますくらい簡単にできそうな気がする。
父のこと、7年前の事件のことを知るために王都に出てきて、ようやく、ようやく、真相にたどりつけそうだったのに――。
「手がかりは、あるかもしれん」
殿下の言葉に、顔を上げる私。
「いや、手がかりというよりは、単なる思いつきだが……」
この際、何でもいい。思い当たることがあるなら聞かせてほしい。
「…………」
食いつくように見つめると、殿下はしばし答えをためらった後でこう言った。
「あの男は、おまえが王都に出てきたことをいつ、どのようにして知ったのだろうか?」
「?」
「おまえの家を見張っていたのか? あるいはクンツァイトの動きを注視していたのか? そうかもしれん。その両方かもしれん。……だが、別の可能性もあるのではないかと思う」
何を言っているのかわからない。
私が王都に出てきたことを、ゼオがいつどうやって知ったか? それがあの男の行方を追うための手がかりと、いったいどんな関係があるというのだろう。
「つまり、仰りたいことは何ですか?」
「つまり……」
殿下はまた口ごもり、「いささか飛躍しすぎかもしれんが」と前置きして、
「おまえの家族が、実はあの男と連絡を取り合っていた、とは考えられないか?」
「………………」
私は10数秒の沈黙を挟んで「はああ?」と間の抜けた声を上げた。
あの男と連絡を取り合っていた? うちの家族がゼオと知り合いで、私が王都に出てきたことをわざわざ知らせたとでも仰りたいんですか?
「別に家族でなくても、村長や村人の誰かでもいいのだが……」
ジェイド家に何か動きがあれば、すぐに知らせることができる人間であれば。
「とはいえ、おまえの父君が密偵という仕事を周囲に伏せていたことを思えば、他人を連絡役にするとは考えにくい。最も可能性が高いのは、やはり家族ではないかと思う」
いやいやいやいや。
自慢じゃないけど、我が家は密偵だった父を除けば、どこにでも居るごく平凡な一家だ。そんな、元・伝説の暗殺者と連絡を取り合うとかありえない。
「どうして、そんな風に思われたんですか」
私が尋ねると、殿下は「根拠は2つある」と答えた。
「ひとつは、ラズワルドがあの男の警告通りにするとは限らないということ」
シム・ジェイドの家族には今後いっさい手出し無用――というゼオの警告を、ラズワルドが果たして本心から聞き入れたかどうか。
もしかすると、1度は聞いたフリをしておいて、ずっと後になってから危害を加える可能性だってなくはない。
「おまえの父君が、王国を離れたというのが事実なら――俺はその点も疑わしいと思っているが、事実だと仮定して話をするならば――あの男は、友人であるおまえの父君から、家族のことを託されたわけだろう」
たった1度の警告だけで安堵して、その後は放っておく、なんていいかげんなことを果たしてするかどうか。
「俺があの男の立場なら、できるだけ近い場所で様子を見張っている。それが難しいなら、何らかの手段で家族の無事を確かめられるようにする」
「…………」
「また、家族の方からも何か問題が起きた時、すぐに連絡がとれるような手段があった方がよいだろう。あの男が、たやすく居場所を特定できない『巨人殺し』であるなら、尚更」
「…………」
今まで考えてもみなかった可能性に動揺しつつ、私は殿下に問うた。
「2つめの根拠は……」
「以前おまえに聞いた話だ。父君のことを探すために王都に向かおうとした際、家族が猛反対したと言っていたな」
その通りである。私の王都行きには、家族そろって反対した。
特に祖父が、普通じゃないくらい怒って。それを見て私は、どうにも不自然だと思ったのだ。
まるで、そう。何か知られたくないことを必死に隠そうとしているみたいだって――。
「祖父君がおまえに隠そうとした『何か』とは、あの男が何としても口にすまいとしていたことと、果たして無関係なのだろうか?」
私は言葉を失った。
自分は何も知らないと頑なに言い放ったゼオと、王都に行くなど絶対に許さん、行くなら俺を倒していけと息巻いていた祖父の顔が重なる。
「……エル・ジェイド。くどいようだが、ただの思いつきだ」
そういう仮説も一応は成り立つというだけの話だ、と殿下は念を押す。
「いくら父君の友人であっても、暗殺者などとは関わり合いになりたくない、口をきくのも恐ろしいという人間も居るだろうしな」
居るだろうっていうより、そっちが主流だよね。普通はみんなそうだ。
ただ、残念なことに、うちの祖父はそういう常識的な人種じゃない。
「私の祖母は、実は異国の生まれでして……」
「ほう」
「若い頃、流れ者みたいな生き方をしていて、たまたま立ち寄った村で、居酒屋の主人の料理に惚れ込んで、そのまま村に居着いて……」
半ば押しかけ女房のように、祖父と結婚した。
ちなみに、祖母がなぜ流れ者などしていたかといったら、罪人として故郷を追われたせいだったりする。
「ほう?」
殿下が驚いた顔をしたので、慌てて弁明する。
「って言っても、悪いことは何にもしてないですよ。うちの祖母は曲がったことが大嫌いな人なので。……くわしいことは言いたがらないんですけど、偉い人同士の争いに巻き込まれたらしくて。祖母は負けた方の味方をしたせいで政治犯みたいな扱いを受けて、故郷を追われることになってしまったようなんです」
そんなわけありの相手でも、所帯を持ってしまうのがうちの祖父だ。元・暗殺者だから恐れて関わりを断つ、なんてことは多分しない。
問題はむしろ、祖父とゼオに面識があったかどうかだと思う。
7年前、ゼオは私の弟を誘拐した。クンツァイトの刺客を返り討ちにしたのも、ゼオではなく父だと偽っていた。
おかげで私も、「弟を誘拐した男は、他の黒服たちと一緒に父に殺された」と思い込んでいたのだ。
そうした状況から考えれば、祖父はゼオとは会っていない可能性の方が高いと思う。まして普通にあいさつを交わしたり、連絡先を交換したりなんて余裕はなさそうだけど……。
「絶対にない、とは言い切れないです」
孫2人を危険な目にあわせた落とし前をきっちりつけた上で、「娘婿の友人」として言葉を交わした可能性もなくはない。
「……そうか」
「あ、でも。連絡をとっていたとしたら、もしかすると母の方かも……」
もともと母だけは、「貴族の密偵」という父の正体についても知っていたのだ。
祖父は頑固でおっかなくて、ゼオみたいなアウトロータイプには特に厳しい。だから連絡役にするなら、母の方が適していたかもしれない。
「何というか、その……」
殿下は私の話に、心底感心したという顔で、
「おまえの家族は、『どこにでも居る平凡な一家』とは少々、違うのではないかと思う」
「…………」
「無論、おまえも含めての話だ」
「…………」
「ほめているつもりなのだが、なぜそんな顔をする?」
嬉しくないからですよ、ちっとも。
薄々気づいてはいた。でも、認めたくなかった。自分と家族が、あんまり普通じゃないってこと。
平凡に、つつましく、真っ当な暮らしを。
そう自分に言い聞かせてきたのは、ある種の憧れだった。要するに、ないものねだりだった。
……誤解しないでほしいのだが、私は別に、家族に不満があるわけではない。
これまでの人生、それなりに楽しく、幸せに暮らしてきたし。
もしも理想通りの「平凡」を貫いていたら、殿下に雇われることも、クリア姫に会うことも多分なかっただろう。
だから自分は、これでいいんだけど。
あまりに理想とかけ離れた現実を突きつけられると、少しばかりへこむ。
私の反応を見て、殿下はまずいことを言ったと思ったみたい。
「……すまない」
と頭を下げてきた。
「俺は他人の感情を推しはかるということができない。結果的に、他者に不快な思いをさせてしまうことも多い」
そんな、急に落ち込まれると困る。確かに殿下には空気を読めないところもあるけど、それは今に始まった話じゃないのに。
「何度、兄上に諭されても、理解することができない」
あ、そうか。ハウライト殿下とけんかした件、まだ立ち直ってなかったのね。
「もう1度、頭を冷やしてくる」
そう言って、また唐突に立ち去ろうとする。
私はとっさに手をのばして、殿下の外套の裾をひっつかんだ。
「ちょっと待った。……いいかげん、1人で落ち込むのはやめてくださいよ」
人のことは当たり前みたいに助けようとするくせに、なんで自分のこととなると人に頼らないの。こっちは目の前に居るんだから、少しは相談するとかしてほしい。
「お話、聞かせてください。ハウライト殿下と、何があったんですか?」