206 霊廟の管理者
酒蔵を出ると、待ち構えていた近衛騎士たちに囲まれた。
「殿下!」
「おけがはありませんか!?」
口々に叫ぶ騎士たちに、殿下は「問題ない」と繰り返した。
「用事はすんだのかい? なら、こっちの話をしようか」
さっきよりさらに酔っ払った顔のアイオラが、「あの男の身柄、いくらで買い取るんだい?」と聞いてくる。
「すまん。その件は明日以降に話そう」
殿下はアイオラの横を通り過ぎ、台所の出口に向かうと、後をついてこようとした騎士たちに「あの男の見張りを頼む」と言い残し、早足で出て行ってしまった。
「少し考えをまとめたい。1人にしてくれ」
その間、わずか十数秒。
あっけにとられた様子の騎士たちが、どうしたものかと顔を見合わせている。
同じく置き去りにされた私も、どうしたものかと1人で考えていたら、「エル・ジェイド。来てくれ」と殿下の声がした。
慌てて、廊下に出る。殿下の背中は、もうだいぶ先まで行ってしまっている。
「ちょ、待ってください」
私は廊下を走った。
殿下は止まらなかった。
私が追いついても歩調を緩めることなく、すたすたと同じペースで歩いていく。
廊下の角を曲がり、最初に入ってきた裏口から外に出て、そこでようやく足を止めた。ふうっと息を吐き出し、
「あれが巨人殺しか――」
つぶやいて、深呼吸。その様子を見て、私は遅ればせながら悟った。
「もしかして、殿下も怖かったんですか?」
殿下は意外そうにまばたきした。
「そう見えなかったか?」
すごく平然としているように見えましたよ。でも、実はけっこうプレッシャーを感じていた?
「ああ。あれほどの圧力を感じたのは、以前クロサイトが本気で怒った時以来だな」
救国の英雄並ですか。さすがは元・伝説の暗殺者――って、感心している場合じゃなかった。
「……すみませんでした」
ゼオを怒らせたのは私なのに、一緒に居た殿下を危険にさらしてしまった。
「おまえが謝る必要はない」
うん、そう言うだろうと思った。私への気遣いとかじゃなくて、多分本気でそう言ってるんだよね。
それでも私は申し訳ないと思うから謝りたいし、殿下が味方してくれたことに感謝しているから、お礼だって言いたいのだ。
「さっきはありがとうございました。おかげで助かりました」
殿下は困惑顔になった。
「礼を言われるほど、役には立っていないが……」
そんなことはない。一緒に居てくれて心強かったし、私1人では聞き出せなかったことも、殿下が居てくれたからわかったのだ。たとえば、あの男が嘘をついていたことだって――。
「嘘、か」
殿下は考える顔になった。
「そう言ってましたよね?」
ゼオの言葉が事実ではないと、断言していた。
「『魔女の霊廟』の件では、確かにな。彼はその場所について、知っているのに知らないと言った」
だが、それ以外の部分では。
「話がおまえの父君のことになると、どうもよくわからなかった。偽りを口にしているというより、まだ語っていない部分があるような――。それを補うために、つじつま合わせをしているような――」
殿下はゼオと私のやり取りを思い出しているのか、しばし宙を見上げて考え込んでいた。
やがて小さく首を振り、
「とにかく、彼はまだ何かを隠している。それは間違いない」
同感であった。
「が、あの様子では、それを聞き出すのは容易ではないだろう」
それもまた、認めたくはないが同感であった。
あの取りつく島のない態度。冷たいまなざし。絶対に真相を口にはしないと決めているかのような頑なさ。
何を隠しているのだろう。今更、何を隠す必要があるというのか。私がそれを知ったら、ゼオにとって不都合なことがあるとでも?
「まずは『魔女の霊廟』に行ってみよう」
と殿下は言った。
「そこに手がかりがあるはずだ。彼はその言葉を聞いて、ひどく動揺していた」
簡単に「行ってみよう」とか言われて、私は戸惑った。
クリア姫のお話によれば、そこは王族でも許可がなければ立ち入れない神聖な場所のはずだ。
「その通りだが、方法はなくもない」
国が管理する施設だから、原則、立ち入りには正統な理由と手続きがいる。
ただ、原則はあくまで原則であって。
「魔女の霊廟」の管理者に、「個人的に」頼んで入れてもらうという裏技があるらしい。
その管理者とは?
「王家、クォーツ家だ」
というのが、殿下の答えだった。
「開祖の霊廟だからな。代々の当主が管理を引き受けることになっている」
「え。今の当主ってことは……」
まさか、王様ですか?
「だめですよ、だめ。あの人に借りを作るとか、絶対だめです」
殿下に頼み事なんてされたら、見返りにおかしな要求を突きつけてくるかもしれない。
いや、絶対にするな。殿下が困るようなことを、嬉々として。
「落ち着け、エル・ジェイド」
「落ち着けません。だったら、私1人で行きます。立ち入りの許可がもらえないなら、こっそり忍び込みます」
殿下は少しばかりあきれたようだった。
「念のため言っておくが、国の重要施設だからな。露見すれば死罪の可能性があるぞ」
それでも、王様に借りを作るよりはずっとずっとマシだ。
「だから、落ち着け。管理者というのは親父殿のことではない」
「は?」
「クォーツを継いだのは、俺の母上だ。三十年前の政変後、本家の資産を全て相続した」
王様は国のトップではあるけど、王家の当主ではないんだって。……何だか、ややこしいな。
玉座を継いだ人と、王家を継いだ人。それって、どっちが偉いんだろう?
私の疑問に、殿下は苦い顔をした。
「まさにそれこそが、この国が数十年前から抱える大問題だな」
王と、王家の当主。その2つは本来、同じ人間が務めなければならないのだ。
玉座を継ぐ時、クォーツ家の当主の座も継ぐ。玉座を譲る時には、当主の座も下りて隠居する。
そうしなければ、国で1番偉いはずの王様よりも、偉い人が居ることになってしまうからだ。仕える臣下だって、当然ながら混乱する。
そういう事態を避けるため、代々の当主はずっと慣例を守ってきた。
だが、三十年前の政変で王位が簒奪され、王太子と息子2人が殺されたせいで、一時的にクォーツ家当主の座が空席となってしまった。
政変後に、生き残った王妃様が一応は継いだものの、国政に関わるほどの意欲も体力もなく、分家筋のファーデン・クォーツが代わりに玉座についた。
2人の間に生まれた子供に、いずれ王位も、当主の座も譲るという条件つきで。
しかしその約束は、いまだ履行されていない。
「これまで問題が表面化しなかったのは、母上が政治に無関心だったせいだ。兄上が家を継げば、また状況は変わる。もしもその時までに王位の交替が実現しなければ――」
国王に従う者と、王家に従う者とに分かれて、争いが起きかねない。下手をすれば内戦の危機だ。
「……すごく大変なことじゃないですか」
私の大ざっぱな感想に、
「すごく大変なことだろう」
と生真面目に返す殿下。
「政治に興味がないなら、さっさと隠居してしまえばいいものを。中途半端な状況を続けて、国民を振り回す。つくづく迷惑な夫婦だ」
その「迷惑な夫婦」が殿下のご両親のことだと理解するまでに、しばしの時を要した。
や、だってね。殿下の口調が、「吐き捨てる」というのがまさにぴったりくる感じで。
この人にしては、冷たい――と思ってしまったのだ。
王様はともかく、離宮で病気療養をしているというお母上に対して、そんな風に言うのはどうなのかと。
「すまん。話が脱線したな」
と謝ってくる。
その時にはもう、いつもの優しい殿下に戻っていた。さっきの冷たい口調が、私の聞き間違いだったんじゃないかと思えるほどに。
「『魔女の霊廟』には、母上の許可があれば立ち入りが可能だ。いずれ暇を見て、離宮に文を出しておく」
離宮はノコギリ山のふもとにあるので、手紙のやりとりにはそれなりに時間がかかる。だから実際に「魔女の霊廟」に行けるようになるのがいつかはわからないけど。
それでも、普通なら絶対入れない場所に、入れる目途がついたのだ。感謝の言葉を口にしようとしたら、なぜか「すまんな」と謝られてしまった。
「本当なら、すぐにでも確かめに行きたいところだろうが――」
そんな贅沢な希望は持ってない。
「先に、叔父上と決着をつけておきたい」
決着って何ですか、殿下。そんな穏やかじゃないセリフを、またちょっと怖い顔して。
「叔父上が、おまえの誘拐に関与したのか、黙認したのか。いずれにせよ、このまま放っておくわけにはいかないからな」