205 巨人殺し4
本音や本性を隠すことを、俗に「仮面をかぶる」という。
相手に嫌われないためとか、その場の空気を壊さないためとか、はたまた何かやましいことがある時とか。
いろんな理由で、私たちは仮面をかぶる。
小さな子供でもなければ、誰でも多少は身に覚えがあるだろう。
人前で素の自分をさらすことなど滅多にない。よほど驚いた時か、よほど強いショックを受けた時でもない限りは。
私は、見た。
大の男の顔から、「仮面」が剥がれ落ちるその瞬間を。
「なんで……」
ゼオがつぶやく。見開かれた瞳が、私をうつしている。
茫然自失。そう表現するのがぴったりくる表情だった。
「どうして……」
たった今聞いた言葉を、信じたくないというように声を震わせて。
「知ってるんですか!?」
予想以上の手応えに、私は興奮して身を乗り出した。「教えてください、そこに何があるんですか!?」
「…………」
すうっ……とゼオの瞳が冷えた。
「そこに何があるか?」
私が口にした言葉を、確かめるように繰り返し、「つまり、知ってて聞いたわけじゃないのか。俺にカマをかけたんだな?」
ゼオの瞳に、冷たい怒りが宿る。急に取りつく島のない態度になって、
「あいにく、俺は魔女の何とかなんて知らない。これ以上、おまえと話すことは何もない」
出て行け、と最後に告げる。
私は、自分が失敗したことを悟った。もっと慎重に、言葉を選ぶべきだったのに――。
「嘘だな」
救いの手は、すぐそばから。
「貴公は彼女が知りたいことを知っている」
殿下は落ち着いた口調でそう断言した。
「なぜ、偽りを口にする。今の会話の流れからすると、『魔女の霊廟』に彼女を近づけたくない事情でもあるということか?」
「黙れ」
ゼオが立ち上がった。「おまえ、それ以上しゃべるな」
私はぎょっとして身を引いた。
後ろ手に枷をはめられたままだというのに、とんでもない迫力だ。まるで檻から解き放たれた猛獣みたい。
殿下は微動だにしなかった。牙をむく猛獣を前にしても、いつも通り淡々と、
「先程の話が全て真実なら、貴公は彼女の人生に対して、軽くはない責任を負っている。彼女が知りたいと言うことには、全て答える義務があるのではないか?」
「もう1度だけ言う。黙れ」
あの「人殺しの目」が、殿下を見ていた。
逃げてる場合じゃない。私は2人の間に割って入った。
「この人に何かしたら、許しませんよ」
闇色の瞳がこっちを向く。ものすごく怖い。でも、ここは絶対に引くわけにはいかない。
「私があなたを――」
どうしよう。普通の脅し文句じゃだめだよね。相手は殺しても死なない、不死身の暗殺者なのだし。
「えっと、お腹を切って、そこに石を詰めて、井戸に沈めますよ」
昔話から丸パクリしたマヌケな脅しに、ゼオはどん引きだった。
「怖いこと言うな」
怖いのは私じゃない、あんただ。
「エル・ジェイド。下がっていろ」
背中から殿下の声が聞こえたが、私は動かなかった。なけなしの虚勢を張って、ゼオをにらみつける。
ゼオは毒気を抜かれたらしく、「なあ」と緊張感のない声で問いかけてきた。
「第二王子って、色々と悪い噂がある奴だよな? 猟奇殺人犯だとか、父親以上の色魔だとか」
「親父殿の話はやめろ」
殿下はこの状況ですら、王様を引き合いに出されるのは心底嫌らしい。
ゼオは私と殿下の顔を見比べて、おそるおそるという風に聞いてきた。
「そんな、身を挺してかばうほど大事なのか? まさか――惚れてる、とかじゃないよな?」
「違います」
きっぱり否定する私。「私が大事なのは姫様です」
「エル・ジェイド……」
また背中から聞こえる、殿下のつぶやき。「そこまで迷いなく断言されると、何やら微妙な心もちになるのだが」
「あ、いえ。もちろん殿下のことも、全くどうでもいいというわけではなく」
「…………」
ちゃんとフォローしたつもりだったのに、殿下は憮然としている。
ゼオはもう1度、私たちの顔を見比べて――。
唐突に壁の方を向いたかと思うと、手足を丸めてうずくまってしまった。
「俺は寝る」
…………。
「って、はい?」
「俺は寝る。悪いが、出て行ってくれ」
いきなり何を言い出すかな、この人。
話はまだ終わってない。ちゃんと起きてくださいと言おうとしたら、殿下が後ろから私の手を引いてきた。
振り返ると、無言で首を振って見せる。
今はやめておけってことですか? これ以上刺激するのは危ないとか、また落ち着いてから話した方がいいとか?
視線で問いかける私に、殿下はこくりとうなずいて見せた。
うーん、どうしよう。
正直、まだあきらめたくない気持ちはあるのだが。
下手に怒らせて、また殿下に危害を加えられそうになっては困る。それは本当に困る。
わかりましたとうなずきを返すと、殿下は安堵した様子だった。
2人で酒蔵の出口に向かう。最後にちらりと振り向いてみたが、ゼオは壁の方を向いたまま、ぴくりとも動かなかった。