204 巨人殺し3
正直、ついていけなかった。
今のやり取りだけで、「話は終わった」とか言われても。
「本当に、もうよろしいんですか?」
「ああ。問題ない」
殿下は迷いなくうなずいた。それはつまり、予告状の件に関してはシロってことなの?
「後でくわしく話そう。今はそれよりも――」
私とゼオの顔を見比べる。
先にこっちの話をしていいと? そう言われましても、急に頭を切り換えられないんですが。
私は目を閉じ、2、3度深呼吸した。
聞くべきことを頭の中でまとめ、気持ちを落ち着かせてから、ゼオに向き直る。
「……何だよ、何の用だ?」
いかにも迷惑そうな顔をされたが、負けていられない。これは私と家族にとって大事なことなのだから。
「7年前の話をしてください」
と私は言った。
「また、それか。あのジジイが長々と話してただろ?」
クンツァイトの元当主が言っていたことを、そのまま信じる気になどなれるわけがなかった。
「あの人、何もかも全部ラズワルドのせいにしたがってましたよ。本物の『巨人殺し』を雇って、殿下の暗殺をたくらんでるのもラズワルドだって」
「……へえ」
「そうなんですか? 騎士団長に雇われてるんですか?」
「んなわけねえだろ。騎士のおっさんに会ったのなんて、7年前の1度きりだっての」
要するにそういうことだ。あの老人の話は、全てが嘘偽りではなかったかもしれないが、保身のための嘘がたくさん含まれていた。
具体的に、どの部分が嘘だったのか。当時のことを知らない私にはわからない。
だからこそ、ゼオの口から聞きたいのだ。
本当は――父の口から聞きたかったけど、それはできないから。
代わりに話してほしい。父の友人だったという言葉が、嘘ではないのなら。
ゼオは小柄な体を折り曲げ、深々と嘆息した。
それから顔を上げて殿下の方を見ると、
「……なあ。ちょっくら席を外してくれないか?」
殿下は「それはできない」と即答した。「貴公とこの娘を2人きりにはできない」
「だったら、約束してくれ」
今から聞くことを、他言無用にすると。
「わかった、約束しよう」
殿下は今度も即答だった。「この場で耳にしたことを、誰にも話さないと誓う」
一瞬、ゼオの両目がギラリと光った。
「今の言葉、確かに聞いたからな」
そしてついに、ゼオは話し始めた。
王子の事故死から始まる7年前の出来事を、私の父であるシム・ジェイドの目線で。
あの老人の話――亡くなった王子の関係者に「殉死」命令が出た時、真っ向から「不当だ」と抗議した貴族が居て、ラズワルドを怒らせたというのは本当のことらしい。
私の父が、その貴族の子供を始末するよう命じられたという話も。
ただし命じたのは当然クンツァイトで、「そんなことはできない」と父が拒んでも容赦なく、「逆らうなら、おまえの家族も始末するぞ」と脅されたんだそうだ。
「シムの奴はそれまで、汚れ仕事は1度もしてこなかったんだよ。敵の家や領地にまぎれて、情報を集めるのが役目だったんだ」
一口に「密偵」と言っても、その仕事はさまざまだ。
諜報活動に特化した者も居れば、護衛のプロも居る。
まして「暗殺」なんて特殊な仕事だ。経験のない人間がいきなりできるものじゃないと、元・暗殺者のゼオは断言した。
では、なぜクンツァイトは、汚れ仕事をしたことのない父にそれを命じたのか?
「その貴族っていうのが、お偉いさんの遠縁だったからさ。……レイテッドって知ってるか?」
もちろん、知っている。五大家のひとつで王国一の大富豪、金髪金目の派手派手一族だ。騎士団長ラズワルドにとっては、王国が生まれた頃からの宿敵でもある家。
「当時のレイテッドの当主は、事なかれ主義でやる気のないおっさんでな。騎士のおっさんが好き放題しても放っておいたんだと」
それは知らなかった。7年前の当主ってことは、殿下の幼なじみであるレイルズ・レイテッドのことではないはずだよね。
おそらくはその父親。確か、毒殺未遂事件にあって引退したとか、その下手人がラズワルドだって噂があるとか聞いたような……。
って、あれ?
やる気がなくて、自分の邪魔をしない相手を、ラズワルドが毒殺するっておかしくない?
そう考えた時、私の脳裏をよぎったのは、金の髪をしたゴージャスな美女2人。
レイリアが、あるいはレイシャが。……もしくは、その夫であるケインが。
前当主にひそかに毒を盛り、引退に追い込んだ真犯人とか?
「それでも偉いさんは偉いさんだ。やる気はなくても、メンツだけはある。自分の親戚にまで手を出されて、黙ってるかどうかはわからない」
考えるのはやめよう。怖いし。
今はゼオの話に集中しよう、と私は決めた。
「早い話が怖かったのさ。あのジジイは、レイテッドもラズワルドも怖かった。――なら、どうする? どっちの家からもにらまれずにすむためには、どうすればいい?」
そんな時こそ捨て駒の出番だ、とゼオは言った。
「昔、拾った身寄りのないガキに恩を売って、手駒として使ってたのはこういう時のため、ってな。シムの奴に手を汚させて、後は知らぬ存ぜぬを決め込む。それか、自分たちの手でシムを始末して、話をうやむやにするかだ」
話し疲れたのか、1度言葉を切って。
ゼオは「どう思う?」と私に問いかけてきた。
「腹が立つか? それとも、あんたみたいに真っ当な育ちの人間には、想像するのも難しい話か?」
育ちのことはともかく、ピンとこない、というのが正直な感想だった。
人づてに聞いただけでは、他ならぬ自分の親を駒扱いされたという怒りも、実感すらわいてこない。
そんな私に、ゼオは畳みかけるように残酷な事実を告げてきた。
「シムが始末しろって命じられた子供、あんたの妹と同じ年だったらしいぜ」
妹は今10歳である。7年前はつまり、……3歳?
「できるはずないよな、あいつに。結局、命令に逆らって子供を助けることに決めた。幸い、表では行商人をやってたおかげで、王都の外にもツテがあったからな。その子供が逃げられるよう、うまく細工したらしいんだが……」
その報復として自分が、自分の息子の命までもが狙われる結果になってしまった。
「俺が事情を知ったのは、あいつが貴族の子供を逃がした後でさ」
その頃ゼオは、父が王都での隠れ家に使っていたボロアパートに居候していた。
……父に断りなく、勝手に。
行商と密偵、2つの仕事でいそがしい父は、滅多に隠れ家に戻ることもなかったので、気ままな1人暮らしを満喫していた。
「…………」
私が抗議の視線を送っても、
「あいつが居ない間、留守番してやってたんだよ。空き巣でも入ったら困るだろ?」と居直る始末。
空き巣と居候、果たしてどちらのタチが悪いかは置くとして。
ゼオがそこに居たこと――それは私の家族にとってはある意味、幸運だったのかもしれない。
「俺が昼寝してるところに、クンツァイトの連中がいきなり押しかけてきて――」
シム・ジェイドはどこに居る、答えなければ命がないぞと刃物を向けられた。
そいつらもまさか、相手が「巨人殺し」だとは思わなかったのだろう。あっさりと返り討ちにされ、逆に洗いざらい事情を吐かされることになった。
話を聞いたゼオは焦った。
狙われているのはシム・ジェイドだけではない。故郷に居る息子にも刺客が差し向けられたと知って、
「シムが戻るのを待ってる暇はない。適当に書き置きだけ残して、急いであんたの村に行った」
そして刺客が来る前に、私の弟の身柄を保護した。
「保護って」
私は思いきり顔をしかめた。「誘拐じゃないですか。あんな風に無理やり連れていこうとするなんて」
ゼオは負けじと顔をしかめた。
「仕方ねえだろ」
シム・ジェイドの家族は、彼の「裏の仕事」については何も知らない――とそう思っていたから。
「理由を説明するわけにはいかない。だったら、無理やりにでも連れていくしかないだろう?」
だろう? と同意を求められたところで、うなずけるわけがないのである。あの時は本当に怖かった。今でも悪夢に見るほどなのだから。
ゼオはしかめ面のまま文句を言っている。
「後でシムの奴に聞いたら、カミさんにだけは結婚前に打ち明けてたらしいがな。そういうことは先に話しとけっての」
とにかく、だいぶ乱暴な手段で弟を「保護」したゼオは、村はずれにある水車小屋に立てこもった。
仮に村の中で戦いにでもなれば、村人を巻き込みかねない。そうなれば、後でシム・ジェイドの家族が困ったことになる。できるだけ人目につかない場所に敵をおびき寄せる必要があると判断したからだ。
「つまり、私の弟を囮にしたってことですか?」
冷ややかにツッコミを入れると、ゼオは肩を落とした。
「……悪かったよ。まさか、おまえが追いかけてくるなんて予想できなかったんだ」
「?」
「しかも弟を助けようとして、水車小屋に乗り込んでくるとか……。11歳の女の子が、だぞ? 普通思うか?」
そんなことあったっけ? よく覚えてない。
私の反応を見て、ゼオは「……まあ、覚えてないならいい」と小さくつぶやいた。微妙に目をそらしたまま、微妙に早口になって、
「シムの奴が後から追いついてきたのは、ちょうど夜が明ける頃だった」
その時には、私の村にやってきた黒服の刺客たちは全員、ゼオの手によって倒された後だった。
覚えている。闇の中に響く、断末魔の悲鳴。血の臭い。
事切れた亡骸の、うつろなまなざし。切り裂かれた黒覆面からのぞく苦悶の表情。
「どうして、父があの人たちを殺した、ってことにしたんですか?」
ほんの数時間前まで、あの凄惨な光景を作り出したのは自分の親だと思い込んでいた。
非難を込めて問いかけると、ゼオは歯痛をこらえているかのように顔を歪めた。
「その方がいいって、シムが言ったんだよ」
人殺しのロクデナシだと思われた方が。
なぜなら、その時には既に家族のもとを去る決心をしていたからだ。
もはや、クンツァイトで密偵を続けることなどできるはずもなく。
かといって、家族のもとに帰ることもできない。また危険を呼び寄せてしまう。
「おまえさんたち家族にしてみれば、当然、納得できるもんじゃないだろう。ずっと普通の父親のフリしてたくせに、今更なんだって思うよな。とことん身勝手な話だってことはあいつもよくわかってたよ」
だが、真相はそういうことなのだ。
「シムは海を渡って、遠くの国に行った。おまえさんたちの所にはもう帰ってこない」
ゼオの話が終わり、酒蔵の中に沈黙が落ちた。
私は、横に立っている殿下の顔をちらりと盗み見た。
聞いてみたい気がしたのだ。今の話、どう思いますか? 本当だと思いましたかって。
私は、そう思えなかった。
少なくない違和感があった。理屈ではなく、本能の部分が訴える。この人は嘘を言っている。あるいは本当のことを話しているのだとしても、まだ何か隠していることがあるはずだと。
小さく深呼吸。殿下に甘えるなと自分に言い聞かせる。
知りたいことなら、聞けばいい。人に頼らず、自分の口で。
しかし、百年以上生きているというのが嘘でも本当でも、相手は世慣れた大人の男。どうやって知りたいことを聞き出すか――かなり難易度が高い。
私が、優位に立てる材料があるとしたら。
思い出す。長い黒髪。真っ黒なローブ。父は王都に居ると告げた「魔女」のこと。
何者だったのかは、今でもわからない。だが、あのお告げがあったからこそ、私は今こうしてここに居る。
つい先日も、真昼の礼拝堂に現れ、お告げを残していった。あの時の言葉が、もしも真実だとしたら。
「ひとつ、聞きたいんですけど」
私はゼオに言った。どんな些細な変化も見逃すまいと目をこらしながら、
「『魔女の霊廟』って知ってますか?」