203 巨人殺し2
――そして、最初の1歩目で足を止めた。
何だろう。このひやりとした空気、いや気配。
酒蔵の中は暗かった。一応小さな照明は灯っているのだが、隅々まで明かりが届いていない。
売り物なのかアイオラの私物なのか、大量の酒瓶、酒樽が並んでいて――。
私は息を飲んだ。
入り口から見て正面の位置。奥の壁に背中を預けて、あの男が座っていた。
正確には、座らされていた。さっきはロープでぐるぐる巻きだったはずだが、今は後ろ手に手枷をはめられている。
「貴公が『巨人殺し』か」
殿下が問いかける。
「……何か用か」
と問い返すゼオ。その視線は私を無視して、殿下の方にだけ向けられている。
本当に、何なのだろう。このプレッシャー。ひやりと冷たい空気。昏く不気味な声と目付きは。
さっき2人で会った時はこうじゃなかった。もっと、普通の人だったはずだ。有名な暗殺者だなんて信じられないくらいだったのに。
「貴公に話があって来た」
殿下は気負いも恐れもなくそう言った。
「気分はどうだ。傷ひとつ見当たらなかったと聞いているが、本当にそうか? どこか痛む所などは?」
「…………?」
ゼオの瞳に浮かぶ、不理解の色。殿下の顔をじろじろと無遠慮に眺め、少し考えてから答えを口にする。
「別に、どこも悪くはないが……、喉が渇いた。酒がほしい」
「あいにく、ここにある酒はアイオラの所有物だ。頼めばわけてくれるかもしれんが、法外な値段をつけられる恐れがある」
殿下の答えに、ゼオはまたしばし考え込むような素振りを見せて。
そして初めて、私の方に視線を向けてきた。
「なあ。何がどうしてこうなってるのか、イマイチ理解できんのだが」
ゼオの認識としてはそうだろう。
奇妙な音がしたと思ったら意識が飛んで、気がついたら拘束されていた。そんなところか。
「多分、説明してもよくわからないと思いますよ」
「いいから教えてくれよ」
「でも……」
空から竜が飛んできて、あなた踏みつぶされたんですよ。
なんて言っても、常人には理解できないと思う。
「貴公は竜の下敷きになった。俺が知人に頼んで、乗ってきた竜だ。捕らわれた彼女を救出するため、馬より迅速な移動手段が必要だったものでな。狙ってやったわけではないが、悪いことをした」
常人には理解できない話を、淡々と言葉にする殿下。
思った通り、ゼオは聞き覚えのない外国語を聞かされたような顔をした。
「わかりましたか?」
「……いや、おまえさんの言う通りだったよ」
と認めてから、ゼオはあらためて殿下の整った顔立ちを見上げた。
「なあ、あんた。救国の英雄だとかいう第二王子だよな?」
そう呼ばれることもある、と殿下はうなずいた。「国を救ったのは俺ではなく、兵士たちだが――」
殿下の注釈をスルーして、
「なんでこの娘と一緒に居る?」
と問いを重ねるゼオ。
聞きたいことがあるのはこっちだと怒るでもなく、殿下は律儀に答えを返す。
「彼女は、俺の妹のメイドだ。3ヶ月ほど前に雇用契約を交わした。今ここに連れてきた理由は、彼女もまた貴公に話があるというからだ」
目線で話をするよう促されて、しかし私は首を横に振った。。
「こちらの用件は立て込んでおりますので、お先に殿下の話をどうぞ」
立場的にも、話の重要度から言っても、まずはそっちを優先するのが筋だと思う。
「いいのか?」
「はい、どうぞ」
わかったとうなずいて、ゼオに向き直る殿下。さあ、いよいよここからが本題だ。
「貴公は本当に『巨人殺し』なのか?」
「…………」
「南の国の魔女と戦い、巨人を葬ったという――」
「葬ってねえよ。あれはおとぎ話な」
「そう、おとぎ話だ。王国と南の国の争いをモチーフにしているというのが定説だが、元になった伝説、言い伝えもあるとされている」
その伝説というのは、かつて不死身の戦士が戦場で活躍したという内容で、何百年も前から王国に伝わるものらしく。
「貴公の年齢を尋ねてもいいだろうか?」
「知らねえ、忘れた」
殿下はそっけない返答にも構うことなく、
「俺の知人には、魔女に姿を変えられてから、三百年ほど生きているという人物――いや、虎のような生き物が居るのだが」
虎? と眉をひそめてから、
「俺はそこまで長くない。ちゃんと数えてはねえが、多分、百五十かそこら……」
言いかけて、ゼオは投げやりに首を振った。
「おい、何なんだよ。このやり取りは?」
気持ちはわからなくもないけど、なんで私に聞くかな。
「あの、殿下。そんなことよりも、予告状の件は」
仕方なく会話の軌道修正をはかると、殿下は若干バツが悪そうに詫びてきた。
「すまん。つい、興味深くてな」
実は魔女の話とか好きだったのかな。妹のクリア姫は魔女マニアだが、殿下もそうだとは思わなかった。
あるいは単に好奇心? 気になったことは、その場で確かめたくなるタイプなのかも。
「今からおよそ一月前、我が叔父のもとに『巨人殺し』を名乗る者から文が届いた」
その手紙が、自分の命を狙う暗殺予告状だったこと。具体的な予告の内容も含めて、殿下はくわしく説明した。
「…………」
ゼオはどうでもよさそうに聞いていた。殿下が「貴公の仕業か?」と尋ねても、
「知らねえ」
と乱暴に吐き捨てる。さすがに黙っていられなくて、
「あの。大事な話なので、もう少しちゃんと答えて下さい」
と私は言った。
ゼオは露骨に不満そうな顔をしつつも、一応はちゃんと答えてくれた。
「俺は暗殺予告状なんて知らない。そもそも暗殺者はとうの昔に廃業してる。あんたの身内に手紙を送りつけた覚えもない」
「つまり、騙りか」
「そうだろうよ。今も昔も、勝手に『巨人殺し』を名乗る奴らは居たからな」
殿下は小さくうなずいて、また違う質問をした。
「最近、貴公に何らかの仕事を依頼した者、あるいは連絡をとろうとした者は居るか?」
ゼオは居ないと言った。
「本当ですか」
と念を押す私。
「本当に本当だ」
と答えるゼオ。
「…………」
会話が途切れた。殿下は「なるほど」とも「そうか」とも言わずに、じっとゼオの目を見つめている。
ちなみに私には、ゼオが嘘をついているようには見えなかった。
予告状のことなんて初耳だし、別にどうでもいいと思っているようにしか見えなかった。
果たして、殿下の判断はいかに?
固唾を飲んで見守っていると、やがて殿下は唐突に私の顔を振り向き、こう言った。
「俺の用件は終わった。おまえの話を始めてくれていい」