200 空の運び屋
「紹介が遅れたな。彼女は我が恩師にして王国一の傭兵、『魔女の憩い亭』のオーナーでもあるアイオラ・アレイズだ」
殿下の長い紹介に、ドヤ顔で胸を張るアイオラ・アレイズ。
「ってことは、セドニスさんの……?」
「義母でもある」
私はセドニスの、年のわりに落ち着いた空気と、物怖じしない性格のことを思った。
なるほど。そりゃこんな義母が居たなら、ちょっとやそっとじゃ動じなくもなるだろうね。
「彼女は見ての通りドラゴン・ライダーで、その機動力をいかして運び屋をしている」
見ての通りって、初めて見ましたよ。
竜も、それに乗ってる人も。
「……って、運び屋?」
「そうだ。馬車より迅速に移動でき、遠く離れた国とも行き来ができる。その上、空では夜盗に襲われる心配もない。まさに商売にはうってつけというわけだな」
いや、あの。
普通は伝説の生き物を使って商売しようなんて思わないんじゃ……。だいたい、竜なんてどこで見つけたの?
「そういえば、どこで見つけた?」
殿下の問いに、アイオラはぷかぷかと煙草をふかしつつ、「企業秘密だよ。知りたきゃ金を払いな」
「……だ、そうだ」
「…………」
「ともかくアイオラは金さえ払えば、人でも物でも、望む場所に届けてくれる。しかも極めて迅速に、だ。今回は誘拐されたおまえを救出するため、力を貸してもらった」
「はあ……」
どんなリアクションをすればいいのかわからない。あまりにツッコミどころが多すぎる。
もともと殿下の知り合いには変わった人が多い。ストーカーや処刑人、しゃべる虎から使い魔の末裔を名乗る護衛まで。だから竜に乗った運び屋くらい、今更驚くには値しないのかもしれないが。
ひとつ、疑問があった。
「どうしてこんなに早く誘拐のことがわかったんですか?」
身代金を要求する手紙が来たわけじゃないだろう。あの老人は殿下と「取引」するつもりだと言っていたが、それは今すぐの話ではなかったはずだ。
殿下は「それは」と言いかけて、わかりやすく目をそらした。
あ、これは何か言いにくい事情があるな――と私は察した。
「それは、つまり。おまえのことを見張らせていたからだ」
ほら、やっぱり。
「見張らせていたって、どういう……」
私がバザーの会場で何か怪しい行動に出るんじゃないかと、そうお疑いになっていたわけですか?
「違う。俺が疑っていたのは叔父上だ」
「宰相閣下を?」
「そうだ。このところ叔父上は、最高司祭のクンツァイトのことを妙に気にして、動きを探っていた」
最初は理由がわからなかった。
しかしこのたび「魔女の憩い亭」の調査によって、私の父がクンツァイトの密偵だったかもしれないと判明し。
「ようやく合点がいった。叔父上はおまえの父君とクンツァイトのつながりを知っていたのだと」
って、いつから? どうやって知っていたの?
「当然、調べたのだろうな。以前にも叔父上は、おまえの身元を無断で調査していたことがある」
……確かに、そうだった。宰相閣下と初めて会った時、「君のことを調べさせてもらった」的なセリフを言われて、7年前の事件のことを追及されたんだった。
「その件については、俺も厳重に抗議しておいた。叔父上も一応謝ってはいたのだが……」
本気で悪いなんて、きっと思ってなかったよね。多分、その後も殿下に隠れて調査は続けていたんだな。
「おそらくはそういうことなのだろう。問いただしても否定されたが」
宰相閣下が嘘をついていると、何か隠していると思った殿下は、直属の部下をひそかに動かし、様子を見張ることにした。
互いに相手のことを調べたり、監視したり。それだけ見ると、実に殺伐とした身内関係である。
ただ、殿下と宰相閣下の場合、お互いに情や信頼がないわけじゃない。むしろ大切に思いあっているということが、かえって事態を複雑にしているような気がした。
「俺はすぐにでも叔父上が動きを見せると――何らかの方法で、おまえと接触するのではないかと考えていた」
しかし実際にはそんな動きはなかった。
私は普段、お城に居る。そばにはクリア姫とダンビュラが居る。
城下に出かけた時にも、ジェーンやクロムが一緒だった。2人は近衛騎士であると同時に、カイヤ殿下直属の部下でもある。
宰相閣下が、殿下に隠れて何かするつもりなら。
今日のバザーは、いかにも怪しい。会場となる外務卿夫人のお屋敷は王都の郊外にあり、厳重に警備されているとはいえ、王城よりは出入りがたやすい。
しかも私とクリア姫の護衛にあたるのはオーソクレーズ家の、宰相閣下直属の騎士たちだ。
「もっとも、叔父上がクリアや叔母上の前で、手荒なことをするとは思えなかった。特に、叔母上の前では……」
考えすぎかもしれない。何も起きないかもしれない。
しかし、何か起きてからでは遅い。
悩んだ末に、殿下は当事者の私にも黙って、護衛を派遣することにした。人目につかないよう、影から守ることのできる護衛を。
「もしかして、例の……」
自称・使い魔の末裔のことかと聞くと、殿下は首肯した。
「例によって仕事をサボっていたらしく、おまえが連れ去られるまで気づかなかったそうだが」
頼もしい護衛だな、おい。
「バザーには思いのほか、うまそうな食材が多くて夢中になっていたそうだ。特にサンドイッチは絶品だったと」
日頃は安月給のせいであんな贅沢なものにはありつけないからと、雇い主の殿下に、皮肉まで口にしたらしい。
さすがに黙っていられなくて、
「その護衛、クビにした方が――」
と進言すると、殿下は小さくなった。
「すまなかった。結果的に、おまえにはつらい思いをさせたな」
違う。確かにものすごく怖い思いはしたけど、殿下に謝ってほしいわけではない。
「本当に、すまなかった」
だから、謝ってほしいわけじゃないんだってば。
「それでも、こうして助けに来ることができたのは、彼らの働きのおかげだ。おまえが乗せられた馬車を追跡し、その向かう先がクンツァイトの別邸であることを突き止めた」
護衛は急ぎ王都にとって返し、殿下に事の次第を報告した。
ちなみにその時、殿下がどこに居たかというと、クロサイト様や近衛騎士たちと共に、城下町を馬で移動中だったらしい。間もなく行われるお祭の儀式のため、下見に行った帰りだったんだって。
私が怪しい男たちに連れ去られたと聞いた殿下は、1分1秒でも早く救出に向かう必要があると考えた。
しかし城下町から王都の郊外まで、馬では1時間以上かかる。
そこで「魔女の憩い亭」に向かい、運び屋のアイオラ・アレイズに助力を求めることにした。
「ひょっとして運び賃とか、かかってます?」
私はふと思いついたことを口にした。
乗り合い馬車だってお金がかかる。まして竜で運んでもらうだなんて、ムチャクチャ高いのでは?
「今回はボランティアだよ」
アイオラが言った。明らかに不服そうな顔で、
「あたしはきっちり受け取るつもりだったけどね。うちの息子が、殿下に恩を返すべきだって言うから、仕方なくね」
恩を返すとは何のことか。殿下の顔を見ると、
「アイオラの釈放に力を貸した」
と答えが返ってきた。
事情聴取に来たお役人を病院送りにした件と、サギ事件との関与を疑って押しかけてきた貴族を同じく病院送りにした件で、アイオラは2度ほど留置所に入れられている。
「放っておけば罪に問われかねなかったからな。ひとまず金で解決できるよう、話をつけておいた」
「何が罪だい。こっちは被害者だってのに」
アイオラに反省の色はない。
足しげく面会に通っていたらしいセドニスの顔を思い出し、私はいささか気の毒になった。
「とにかく、頼まれた仕事はやった。これで貸し借りなしだね」
「ああ。世話になったな、アイオラ」
「礼なんていらないよ。それより、この――」
竜の足もとから、気絶したゼオを引っ張り出し、「賞金首らしい男はもらっていくが、構わないね?」
「いや、構う。先程も言った通り、彼には聞くことがある」
殿下が止めても、アイオラの手は止まらない。ゼオの体をロープでぐるぐる巻きにして竜の背に放り込み、
「聞きたいなら、勝手に聞けばいいさ。あたしは一足先に帰らせてもらうよ」
竜の背中によじのぼり、ぽんぽん、とその太い首を叩く。
直後、風圧を感じた。
竜が翼を広げたのだ。さっきまでは背中に折り畳んでいた翼――夜空に溶け込む漆黒の翼を羽ばたかせ、10メートル超の巨体が、ゆっくりと浮き上がる。
「わかった。例の場所で落ち合おう」
風圧に負けじと、殿下が声を張り上げる。その声が聞こえたのかどうか。アイオラがこっちを見て笑った気がした。
しかしそれも一瞬のことで。
竜が羽ばたく。まばたきするほどの間に、その姿がかき消える。
不敵な笑顔の残像だけを残し、運び屋アイオラ・アレイズは夜空に消えていった。