193 誘拐2
馬車は長い時間、走り続けた。
ようやく停車した時には、いったいどのくらい経過していたのか。恐怖で時間の感覚が狂っていた私にはさっぱり見当もつかない。
間もなく、複数の気配と足音が近づいてきた。
私を拉致した男たちだろうか。数人がかりで木箱ごと馬車から下ろされて、それから――どうも酸欠で意識が朦朧としていたようなのだが、おそらくはどこか、建物の中に運び込まれたのだと思う。
ふいに世界が明るくなったと思ったら、木箱のふたが開いていた。一緒に詰め込まれていた布類も取り除かれている。
私は狭苦しい木箱の底で、赤ん坊のように手足を丸めて寝ていた。
「…………?」
ふらふらする頭を起こし、辺りの様子を伺う。
そこは狭い部屋だった。家具も何もない、殺風景な場所だ。
石造りの壁。石造りのドア。
天井近くに明かり取りの窓があるが、人が出入りできる高さでも大きさでもない。早い話が閉じ込められている。
「3回目だっけ……?」
などと、自虐的につぶやいてみる。
こういう場所に監禁されること自体は初めてじゃない。
1度目は警官隊の留置所。2度目はお城で。無実の罪を着せられたり、あらぬ疑いをかけられたりして、一時的に閉じ込められた。
だが、その時と今とでは決定的な違いがある。
相手が善人か悪人か。
警官、もしくはお役人に捕まった場合、疑いさえ晴れれば何の危険もない。
対して、いきなり人を誘拐するような連中に捕まった場合、相手は犯罪者。危険てんこもりだ。
あいかわらず希望の見えない状況に半ば放心していると、部屋の外で人の気配がした。
「起きたのか」
くぐもった男の声が聞こえる。
石造りの重そうなドアには、よく見ればちょうど目の高さにのぞき窓が開いていた。そこから、誰かがこっちを見ているようだ。
ガチャガチャと鍵を回す音。
すぐにドアが開き、室内に入ってくる。目立たない服装に、覆面で顔を隠した怪しさ満載の人物。
先程の声からして大人の男だと思うが、それにしては小柄で、薄っぺらい体格をしている。
後ろ手にドアを閉めると、こちらに近づいてくることはなく、ドアの前で動きを止めた。
『…………』
沈黙が流れる。緊張と恐怖をはらんだ沈黙が。
私は木箱の中で体を硬くしたまま、目だけで室内を見回した。
あらためて見るまでもなく、逃げる場所もなければ、武器になりそうなものもない。なので、男に悟られないよう、そっとメイド服のポケットに手をのばし――。
「おい。おかしな真似はするなよ」
ふいに男が警告の声を上げた。
「まずは両手を上げろ」
と言いつつ、自分の方が降参でもするように両手を上げて見せる。
「え?」
「両手を上げろって言ったんだ。小石か何か投げつけようとしただろ、今」
どうしてわかったんだろう。確かに、私のエプロンドレスのポケットには小石が入っている。
バザーの会場で、サンドイッチを盗んだカラス用に拾ったものだ。
私はまだ木箱の中に座り込んだ状態で、相手には見えないはずなのに。
「おまえさんの行動パターンくらいわかるさ」
男は軽く肩をすくめた。まるで知り合いであるかのような発言に怪訝な顔をすると、
「その、なんだ。久しぶりだな?」
まさに知り合いのようにあいさつされた。
「……どちらさまですか」
「昔、会っただろ。覚えてないのか?」
「顔を隠してたらわかりませんよ、そんなの」
聞こえる声の方には覚えがない。というか、覆面のせいでイマイチ聞き取りにくい。ひとまず顔を見せろと要求すると、男はなぜか及び腰になりつつ、
「石を投げるなよ」
そう念押ししてから、私の要求通りに覆面を外した。
現れたのは、ごくごく平凡な男の顔だった。
本当に、すごく普通。特徴を挙げろと言われたら困ってしまう。
たとえば目が鋭いとか眉が太いとかホクロがあるとか、そういう印象に残りそうなものが全くない。
髪の色は薄茶。瞳は黒――ううん、若干紫がかっているかも? 室内が薄暗いせいで判別しにくい。
年齢はさらに判別しにくい。
30歳より若くはないと思うが……、「老けている」というより「くたびれている」という感じだ。実年齢はさほど上ではないかもしれない。
「本当に、覚えてないのか?」
男が言った。その顔は残念そうにも、ホッとしているようにも見えた。
「どちらさまですか」
私はもう1度、同じ質問を繰り返す。
「そう警戒するなよ」
と男は言った。
この状況じゃ信じるのは無理な話だろうが、私に危害を加えるつもりはないと。
……本当に無理な話だし、説得力皆無だ。
「俺の名はゼオ」
全然、聞き覚えがない。
しかし、続けて男が発した名前は、聞き覚えがあるどころの騒ぎじゃなかった。
「おまえさんの親父の、シム・ジェイドの友達だよ」