191 アベント商会の荷物
私はそっと廊下の気配を伺った。
そこにはオーソクレーズ家の護衛が居るはずだ。クリア姫が診察を受けている部屋の前に3人。多少の距離はあるものの、何か異常があれば察してくれるはずである。
ティファニー嬢が急に父の話題を持ち出した理由はわからないが、この状況で危害を加えられるとは考えにくい。
そう判断した私は、あらためて彼と向かい合い、
「何かご存知なんでしょうか? 私の父のこと」
まっすぐに問いを投げかけた。
「詳細にとは言わないけど、多分、あなたが知りたいことはね」
「マジですか!?」
思わず身を乗り出すと、「落ち着いて」といなされた。
「先にこっちの質問に答えてくれたら、あなたの質問にもいずれ答えてあげる」
嘘、本当に? そんな都合のいい話が――。
「その代わりに何か協力しろとか、そういうお話でしょうか?」
ティファニー嬢は即座に否定した。
「違うわよ。誤解のないように言っとくと、今のアタシにはクンツァイトとの利害関係はないからね。母親は当主の従妹だけど、そんな親しい間柄ってわけでもないし」
この話題を持ち出したのは、単に個人的な好奇心を満たすためだとティファニー嬢は言った。貴族の密偵だった父親を持つ私に、できれば聞いてみたいことがあったのだと。
「復讐を考えたことはある?」
私の頭に、「?」と疑問符が浮かんだ。
「密偵や暗殺者を使い捨てにする貴族に、怒りや憎しみを感じる? できるなら復讐してやりたいと思わない?」
「???」
さらに疑問符が増えた。質問の意味が全く理解できない。
私の反応を見たティファニー嬢は、
「なんでこんなこと聞かれるのかわからない、って顔してるけど。ひとまず答えを考えてみてくれないかしら」
「はあ……」
そんな、復讐を考えたことはあるか、なんて聞かれても。
「今はまだ、色々と調べている途中なので……」
全容が判明しないうちに、誰かを恨むとか憎むとかはない。
ただ、仮に父の雇い主が極悪非道で、そこに相手を憎むべき事情があったとしてもだ。
自分が復讐なんてするところは正直、想像できなかった。
仇討ち物語は嫌いじゃない。
勧善懲悪、因果応報。悪に鉄槌が下ってすっきりする。
でも、それはあくまで物語の世界だからだ。
リアルで復讐なんてしようと思ったら、いったいどれほどの時間と労力がかかるだろう。私は一庶民。金も力もない。
あるのはこの身ひとつだ。それこそ、まともな暮らしを全てあきらめるくらいの覚悟がなければ、復讐なんて成し遂げられやしないだろう。
父の復讐のために、まともな暮らしを捨て去る覚悟があるか?
ない、と即答する自信があった。
親不孝な娘だと思われてしまうかな。でも、母や祖父母はもちろん、父だってそんなことは望んでいないと思う。
「……そう。そんなものかもね」
ティファニー嬢は少し気が抜けたような声でつぶやいた。
「普通はそうよね。みんな自分の生活があるんだもの」
そういうものに追われていない貴族だから、こんなどうでもいいことをつらつら考えるのかもしれないと。
ティファニー嬢は言った。ふっと、ため息でもつくように。
「……ティファニー様は誰かに復讐したいんですか?」
って、何を聞いてるんだ、私。普通、人に聞くことじゃないだろうに。
「それが自分でもよくわからないのよねえ」
と首をひねるティファニー嬢。
「アタシの親友がね。7年前に亡くなってるのよ。彼は事故死した王子の護衛の1人だったの。殉死命令が撤回された後に、とらなくていい責任をとって、自害した」
何だか随分と重たい話が飛び出してきた。しかしティファニー嬢は世間話でもしているような口調のまま、
「恨むとしたらラズワルド卿かしら? でもねえ。アタシにそんな資格ある? 我がギベオン家は、ずっとラズワルドに味方して甘い汁を吸ってきた家よ。アタシだって、この年になるまで清廉潔白に生きてきたわけじゃない。色々と汚いこともしたわ。それこそ、誰かに復讐されても文句を言えないくらいね」
ティファニー嬢の視線が、ちらりと扉の方に向けられる。その視線の意味はわからなかった。彼がこう口にするまでは。
「たとえば、可愛いマーガレットにも――」
「え?」
「罵られても仕方ないような、ひどいことをしたわ」
そう言って、席を立つ。
ほとんど同時に、扉が開いた。
ぞろぞろと現れたのは、作業着姿の男たち。やたら大きな木箱を積んだ台車を押して、室内に入ってくる。
「すみません、アベント商会のものですが」
男たちは戸惑い顔で私とティファニー嬢を見比べて、「ここにある荷物を運べと言われてきたんですが……」
「ああ、悪かったわね、長居しちゃって。もう話はすんだから」
男たちに声をかけつつ、扉の外に出ていくティファニー嬢。
話はすんだって、まだ全然すんでない。私の質問にも答えてくれるって言ったのに。
そう思ったけれど、ここに居たら作業の邪魔になるみたいだし、ひとまず彼の後について廊下に出ようとすると。
「おいおい、待ってくれよ」
作業着姿のおじさんが立ちふさがった。「どこへ行く気だ? 荷物はおとなしくしててくれ」
「へ?」
と硬直する私を、背後から別の男が持ち上げる。
「ひょええええっ!?」
そして有無を言わさず、木箱に放り込まれた。
幸い、箱の中には柔らかい布が敷かれていたので、痛みもなかったが。
――どさどさ、ばさ。
と、頭上から落ちてくる、大量の何か――柔らかい布のようなものに視界をふさがれ、ぎゅうぎゅうと押し込まれて。
身動きどころか、息をするのも困難な状況下で、私はパニックに陥った。
ジタバタと手足を動かそうにも、そんな隙間はなく。
あれよあれよという間に木箱のふたが閉ざされ、台車ごとどこかに運ばれていく。
――何、何、何。何なの!?
頭の中で必死に叫んでも、その声は誰にも届かない。
――いったい何事!?
その疑問に、答えてくれる人は居ない。
ただひたすら恐怖し、混乱する私の頭に、突如「誘拐」の二文字が浮かんだ。
そうだ。
これは誘拐だ。何が何だかさっぱりわからないが、私は見知らぬ男たちに連れ去られようとしている。
 




