190 彼の昔話
「わたくしのせいですわ、わたくしのせいですわ」
ティファニー嬢に細い肩を抱かれたまま、マーガレット嬢はうわごとのように繰り返している。
「わたくしが、クリスタリア姫様をバザーにお誘いしたから。あんな暑い場所で、長々と立ち話などしたから。浮かれて、騒いで、調子に乗って。だからこんなことになったのですわ! どうしましょう、あの方にもしものことがあったら……!」
しまいには両手で顔を覆って泣き出してしまった。
そこはバザーの会場に隣接する小さな離れ。小さいとは言っても、それはお屋敷と比べての話で、一般的な集合住宅くらいの広さはある。
その離れの一室で、クリア姫は今、医師の診察を受けている。さすが外務卿夫人のバザー、不測の事態に備えて、ちゃんと医療スタッフも常駐していたのだ。
知らせを聞いて飛んできた叔母上様が付き添っている。護衛3人は廊下で待機している。
私はといえば、診察室からは少し離れた別室に居た。取り乱すマーガレット嬢を、ティファニー嬢と2人がかりでなだめていたからだ。
「…………」
もっとも、ティファニー嬢はさっきから無言のままだし、私も黙っていた。
何度「落ち着け」と言っても、マーガレット嬢のうわごとはやまない。もはや慰めの言葉も思いつかず、2人で途方に暮れていた。
救いの手は、小気味よいノックの音だった。
「失礼します」
すぐに扉が開いて、知らない女性が現れる。
二十代半ばくらいのご令嬢だった。ややつり気味の瞳に、きりっと引き結ばれた口元。長い黒髪をアップに結い上げた、とても美しい人だった。
「お姉様!」
マーガレット嬢が叫ぶ。座っていた椅子から飛び上がり、親を見つけた迷子のように駆け寄っていく。
美しいご令嬢はその体を優しく抱きとめる代わりに、その頭上にすこんと手刀を落とした。
「泣くのはおやめなさい! ギベオン家の娘ともあろうものが見苦しい!」
「で、でも……、わたくし、わたくしのせいで……」
「弁解は聞きません! ちょっとこっちにいらっしゃい!」
妹の首根っこをつかんで、廊下に引きずっていく。勢いよく閉じた扉の向こうから、びしばしと叱りつける声が聞こえてくる。同時にマーガレット嬢の泣き声も聞こえたが、何やらゴツンと鈍い音の後に何も聞こえなくなった。
ギッ……とひらく扉。隙間から、ご令嬢の顔だけがのぞく。
「マーガレットがショックで気を失ってしまったので、ひとまず屋敷に連れて帰ります。後の始末は任せましたよ、アルフレッド。クリスタリア姫にも宰相閣下の奥方にも失礼のないように」
「……了解」
ティファニー嬢の返答にうなずいて、ご令嬢の顔が廊下に引っ込んだ。
えーと。
今のやり取り、何だか色々と突っ込むべきところがあったような気がするけど、言ってもいい? それとも、スルーした方がいい?
ちらりとティファニー嬢の顔を見ると、彼もこっちを見ていた。
「……何か聞きたそうね」
ええ、まあ。色々と、気になる点が。
「今のはダリア。マーガレットの姉よ」
それはマーガレット嬢のセリフでわかった。社交界の花と呼ばれるギベオン3姉妹の長女、1番上のお姉様。
「ちょっと心配性で過保護で、教育的指導が行き過ぎることもあるけど。マーガレットのこと、本当に可愛がってるのよ」
それも、マーガレット嬢の様子でわかった。……教育的指導に関してはまあ、私も姉の立場だから偉そうなことは言えない。
「……まだ何か? ……もしかして、名前のこと?」
ティファニー嬢は苦いものを口に含んだような顔になった。
「ええ、アタシの名前はアルフレッドよ。別に、どこにでもある名前でしょ。何かおかしい?」
「いえ、そんな」
どこにでもあるし、いい名前だと思う。だから「自分の名前が好きじゃない」と前に彼が言った理由が少し気になったのだ。
でも、名前のことって基本デリケートな話だし、敢えて突っ込んで聞こうとは思わなかったのだが。
ティファニー嬢は不機嫌そうに顔をそむけた後で、ぽつりと言った。
「祖父と同じ名前なのよ」
「……おじいさまと?」
「ギベオン家では代々長男が受け継ぐことになってる名前なの。……ええ、アタシは次男よ。うちの父もそう。よくあるお家騒動のゴタゴタでね。実兄を差し置いて家を継いだわけ」
ティファニー嬢の父、現近衛隊長のギベオン卿にとって、正統な後継者の証たるその名前は、ある意味、忌まわしいものだった。
自分が正統な当主ではないという証拠のように感じられたのだろう。だから長男には別の名前をつけたし、次男以下もそうするつもりだった。
しかしギベオン卿の実父や親戚筋がそれを許さなかった。代々受け継いできた名前を途絶えさせるなど、あってはならないことだと言って。
「それでアタシがとばっちりを受けたわけ。わかる? 子供の頃から、この名前で呼ばれるたびに、アタシがどんな気分になったか。兄貴や親父には妙な目で見られるし、母親や弟たちからは腫れ物扱い。家族の中で、アタシだけが浮いてた」
想像以上にデリケートな事情に、私は言葉も出なかった。
何か疑問があれば、正直に顔に出てしまう。そういう自分の性分が嫌になった。
「おかげで家に居づらくなって、ちょいちょい出入りしてたのがリウス家だったのよね。知ってるかしら。ジャスパー・リウスが王族や貴族の子供に剣を指導してたって話。ケインとはそこで親しくなったの」
話の風向きが、ほんの少し良い方に変わった。
「もしかして、カイヤ殿下とも……」
「共に学んだ仲よ」
「ティファニー様も殿下の幼なじみだったんですね」
「そう呼ぶには、ちょっと年が離れ過ぎてるわね。あの子が色々あってリウス家に預けられてた時、アタシはもう幼くはなかったから」
殿下はむしろ、リウス家のユナやレイテッド家のレイルズと仲良くしていた、とティファニー嬢は語った。
「ジャスパー・リウスはああいう性分だから、あの家では親同士の派閥とか、あんまり気にしなくてもよかったんだけど。アタシはやっぱり気になっちゃって。カイヤとハウルがあそこに居たのは、好きでそうしたわけじゃなくて、城から追い出されたせいで、そこにはうちの親父もしっかり関わってるわけよ。そういうの全部忘れて仲良くするとか、さすがに後ろめたくて。だから似たような立場のケインとよく話したの」
ケイン・レイテッド――当時の名前はケイン・ラズワルド。
武門の家の後継ぎでありながら生まれつき体が弱かった彼は、ティファニー嬢と同じく家での居場所を失い、リウス家に来ていたらしい。
「今思えば、ほんの短い間だったけど。あの頃は楽しかったわね。真っ暗だったアタシの10代で、唯一のいい思い出」
しみじみ語るティファニー嬢に、「そうだったんですか」としみじみ相槌を打つ私。
もっとくわしく聞いてみたい気もしたが、
「あら、ごめんなさい。長話して。クリスタリア姫のこと、心配してるわよね」
ディファニー嬢がそう言ったので、話はそこまでになった。
クリア姫がお医者様のもとに運ばれてから、かれこれ1時間はたっている。
診察が終わったのなら、誰かが知らせに来てくれるはずだ。それがないということは、クリア姫の具合が良くないのだろうか?
「熱中症かしらね。かなり暑かったし」
そういう可能性もなくはない。でも、クリア姫はちゃんと食事をして、水分もとっておられた。倒れる前まで、特に変わった様子も見られなかったと思う。
――あの古びたオルゴールの音色を聞くまでは。何か関係がある、と思うのは私だけ?
「とにかく、1度様子を見てきますね」
と立ち上がる私。
しかし、「ああ、待って待って」と呼び止められてしまった。
「クリスタリア姫のことは心配だろうけど、もう少しだけ話に付き合ってほしいのよ。アタシの昔話とかじゃなくて、もっと大事なことね」
はて、何だろうか?
「アタシの母親、実家に帰ったって言ったでしょ」
言いましたね、さっき。
「その実家ってクンツァイトなのよ。知ってた?」
……ちらっと聞いたことはあるような気がしますが?
確か、セドニスが。
最高司祭の妻が騎士団長ラズワルドの親戚だとか、ギベオン近衛隊長の奥方がクンツァイトの出身だとかいう話を――。
「それを聞いて、何か思い当たることはない?」
えーっと。
「……もしや、私の父の話とか……」
ティファニー嬢は特にタメもなくあっさりうなずいた。「そうよ。あの家の密偵だったんですってね、あなたの父親」




